「遠視、近視」
おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。
私は中学の頃から近視だ。最近は老眼も入って近くも見えない。遠視と同じ状況だ。今回はその遠視、近視の話しではない。
経営をしていると、今年のこと来年のこと、5年後のこと。10年後のこと。先を見る遠視力が必要になる。だが、今日の仕事、明日の仕事。来週の予定も近視的に考えなければならない部分がある。
人がまっすぐに進んでいくには、遠くを見なければならない。足元ばかり見ていると、進んでいる道を間違えてしまう。逆に、遠くばかりを見ていると、近くの何かにつまずく。どちらも見えなければ、経営など出来ない。
学生の時、夜中に山中をドライブしている時、友人から聞いた内容だ。あるとき、当時の私達のように、峠を走っていた若者二人がドライブに行った。峠のがけの近くで休憩をしていると、一人がもう一人を呼んだ。「おい!お前友達だよな?」「そうだよ。急に何言ってんだ?」「おい、お前俺を見捨てないよな?」「当然だろ、何だよ気持ち悪いな」「そこ見てみろ」彼が指さす足元を見ると、彼の足首をつかんでいる手が見えました。
「うわーっ!」
悲鳴を上げると、その人は一人で車に乗って逃げてしまった。だがさすがに気になって、しばらくしてから先程の場所へ戻って来たそうだ。だが彼の姿は見えない。車を止め、恐る恐るがけを見ると、下の方に白い彼のシャツが・・・。
なんて怖い話をしながらドライブをしたことがある。この話が実話なのか作り話であるかはどうでもよい。人は危険な高所、水の中などを見ていると、目を離せなくなる性質がある。そして、気づかぬうちに、その深遠に引きずり込まれることがある。とても近視眼になる瞬間だ。同じ様な内容がハイネの詩集にもあったように記憶している。
一本橋を渡る時、人は両手を広げてバランスを取りながら歩く。足元の奈落の底を見てしまうと、恐れで足元から目が離せなくなる。そうなると、些細なバランスの違いに動揺し、立て直そうと力んだことで、余計に元に戻れなくなり、焦れば焦るほど状況は悪くなる。そして、残念ながら、奈落の底に落下することになる。一本橋を渡るコツは、ゴールを見すえて足元を見ずに歩くことだ。倒産しそうな時ほど、未来のことを考えるべきだ。
滝を登る時、ゴールである上を見て進んでいきたいものだが、あなたが見るべきは、足元と手元で、3点支持を失わないことだ。どこか1点にスキが生まれると、落下することになる。それは、足元から目を離してはならない、近視眼になるべき時だ。順調な時ほど、「まさか」に備えるべきだ。
ビジネスにおいて、従業員を同じゴールに向かわせるには、大きなホラを吹き、そこに到達する意味を語り、一緒に行くことを楽しまなければならない。目先の辛い仕事になど目を向けているから、大きな仕事が出来ないのだ。政治家など、人を指導する立場の者に求められるのは、そのような大風呂敷だ。それを遠視力という。
一般の従業員は、自分から遠視力を身に付ける必要はない。目の前の仕事に集中することが正しい。時には顕微鏡を使って、もっと近い部分の仕事をしなければならない時もある。その近視眼を続けていると、段々と煮詰まり、何をやっているのか?なぜやっているのか?段々分からなくなるものだ。それを現実に引き戻してくれる人がいないと、「ウツ」や「燃え尽き症候群」になるのだ。深淵に落ちていくように。だから、経営者は時々、双眼鏡や望遠鏡を差し出し、遠くを見ながら、ゴールの位置を確かめる必要がある。社長がそれをしないから、近視眼になった者から、会社を辞めていくのだ。従業員がフラフラしだしたら、遠くを見せてあげよう。定期的にするのが、最も肝要だ。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。
シンジ