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サイン・コサインを学ばないといけない理由を京大生が改めて考えてみた

三角関数不要論って定期的に出てくるみたいです。もっとも三角関数というもの自体が不要というわけではなく、高校の勉強で、三角関数をやらなくていい(自由選択でいい)んじゃないかという主張です。

すでにいろんな人が反論している主張ではありますが、そうした反論が的を射てないものが多く、また、僕と同じ主張をする人がネットで見当たらなかったので、記事を書いてみることにしました。


彼らの主張とよくある反論

なるほど、サインやコサインって誰しもが一度は「なんでこんなこと勉強しなくちゃいけないんだろう」って思うことかもしれません。ただ、問題なのは、橋下徹や藤巻健太といった政治家までもがこのような主張をしてしまっていることです。
例えば、以下の記事やツイートです。

三角関数そのものの重要性は認めつつも、果たして国民全員がそれを学ぶ必要があるのかについて疑問を抱いているようです。
当然、こういった主張にはいろんな人が反論をするわけですが、残念なことに反論が的を得ていないものが多いです。

例えば、「三角関数を学ぶことで人生の選択肢が広がる」であったり、そもそも三角関数の重要性を説いてしまっていたり、仕事で使っていると主張したり。

でも、そもそも三角関数を高校で学ばなくていいって言ってる人たちは、三角関数そのものの価値は認めているわけだし、それを仕事で使っている人達がいることも知っています。

三角関数を学ぶことで人生の選択肢が広がるといっても、三角関数じゃなくても何かしら学べば選択肢は広がります。例えば簿記を学べば会計士や税理士といって選択肢が広がるわけで、三角関数を学ぶより、自分にとって人生の選択肢がより広がりそうなものから学んだ方が良さそうです。

もっとも、学校によって強制的に学ばされたからこそ役に立ったという人も中にはいるかもしれませんが、だからと言って、それは全国民に学ばせるべきという根拠にはならないでしょう。

このように、反論側が、三角関数不要論を唱える人たちを納得させることができていません。だからこそ、こうした話題が彼らに限らずいろんなところから出てきてしまうのでしょう。

教育って個人のためだけのものじゃない

では、三角関数は必ずしも全国民が学ばなければならないものではないのでしょうか。私は違うと思います。

なぜ、彼らの主張に満足に反論できる人がいないのか。
それは、みんな”教育が個人のため”という視点に捉われているからです。
おそらく、個人のためという視点でみると、三角関数は、必ずしも全国民が学ばなければならないものでもないのでしょう。私も、その切り口から反論することは難しいです。

でも、教育って個人のためだけのものじゃないです。どうして、義務教育といって、中学校まで全国民が通わなければならないのでしょう。どうして、高校以降も公立国公立で教育に税金が使われているのでしょう。そう、教育は国のためのものでもあるんです。

三角関数って基礎の基礎です。三角関数を学ばなくなったら、国民の数学力ってぐんと下がります。(そもそも三角比が数I、一年生の内容ですしね)。そうなると、国としては困ってしまうわけです。だからこそ、三角関数は、全国民が学ばなければならないのです。
ちなみに、高校生の文系・理系の割合は7:3だそうです。文系が三角関数を学ばなくなることの影響の大きさが分かりますね。

国民の数学力が下がると何がやばいのか

国民の数学力が下がる、これを聞いても「それの何がやばいのか。理系だけ学べばいいじゃん!」って思う人もいるかもしれません。「国が困るからってなんで学ばなきゃいけないんだ!」とか。なので、国民の数学力が下がるということがどういうことなのか、説明したいと思います。

1. 理系の足を引っ張る

国民の数学力が下がると、当然国はそれに合わせた教育を行わなければなりません。文系が三角関数を学ばないということは、言い方は悪いですが、理系の足を引っ張ることになります。

なぜなら、それは文理共通で学習する範囲が狭まるということであり、理系に進む人は、自分に理系の素質があるかという判断材料が少ない状態で理系に進むという選択をしないといけないからです。

すると、理系に進んだ後に、やっぱり向いてなくて挫折する人が増えてしまうかもしれません。また、そうした挫折を恐れて、そもそも理系に進む人が減ってしまうかもしれません。

また、文理選択って大体高2の段階で行われますが、それまでに三角関数等をやらないとなると、勉強がだいぶ遅れることになります。文理選択で理系をしてから三角関数を学ぶとか、遅すぎです。

このように、国民の数学力が下がると、理系人材がちゃんと育たなかったり、そもそも減ってしまったり、理系の勉強進度が遅れたりと理系の足を引っ張ります。理系の足が引っ張られると国力が低下するのは明らかで、その影響を被るのは文系を含めた全国民です。

2. 優秀な人材が生まれにくくなったり、程度が下がる

国民の数学力が下がることは、当然、次の世代にも影響を及ぼします。

個人の能力は、遺伝や環境によって大きく左右されます。上の世代が、数学のできない人たちだったらどうでしょうか。当然、数学ができる子供の数は、減ります。また、できたとしても程度が下がることが考えられます。

「その道に進む人だけが数学を学べばいいじゃん!」なんて暢気なことをことを言っていたら、そもそもその道に進む人がとても少なくなってしまうという。それに、数学の力って何も数学だけに関係しているわけじゃなくて、いろんな能力に関係しているわけです。

国民全員が数学できて、その結果下の世代に優秀な人材がたくさん生まれて、国全体が恩恵を受ける方が良いのではないでしょうか。


上記のような理由で、国民の数学力が下がるのがどれだけやばいいのかが分かっていただけると思います。最終的に損をするのは私たち国民です。

おわりに

サインやコサインを学ぶべき理由について書いてみました。
国というマクロな視点でこの問題を考えている人を見つけられなかったのは少し意外です。まして、よりにもよって政治家が三角関数不要論を唱えてしまうのは残念に思いました。僕が今後、橋下徹や、維新の会を支持することはないように思います。
サインやコサインを学ぶことに意味を見出せなかった方は、「国のために学んであげた」と思うようにすれば、少しは気分が良くなるかもしれません。
また、これから学ぶ、今学んでいるという人も、国のためにやってあげる
といいと思います。


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