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式根島のおじいさんと始まった、島の健康と幸せを育てる挑戦

「先生、この本すごいよ」

診察室に入ってきた千松さんは、見覚えのある本を握りしめていた。
カラフルな表紙には、『コミュニティナース』と大きく書かれている。

何を隠そう私の本だ。

数日前、診療所の待合室のレイアウトを変える際に、
待ち時間で少しでも読書や雑談をして楽しみながら待ってほしいと思い、
私の本を数冊試しに置いてみたのだ。

まさかこんなに早く、私の蔵書を読んで面白がってくれる人と出会えるとは。
私は感想を共有する程度のつもりで話そうとしたが、彼は本気で、かつ前のめりだった。

「この本に書いてあること、この島でもできないかな」
「よく読みたいし仲間にも教えたいから、この本貸してよ」
彼はその日、私の処方した薬よりも大事そうに本を抱えて帰っていった。

人口500人弱の式根島に、たった1人の診療所長として赴任してまだ半年。
千松さんとは外来で2,3回話した程度だったが、
「この人のことをもっと知りたい」と思った。

彼も同じことを思ったのだろう、何度か声をかけてくれて対話を重ねた。

式根島に今の人口の2倍近くの人が暮らし、離島ブームで多くの観光客が訪れていた40年前、千松さんは島の若者の1人として、青年会の立て直しや観光協会立ち上げに奔走したそうだ。

「自分達の島は自分達自身で変えていくんだ」
という当時の想いが、『コミュニティナース』の本の中で奮闘する人達の想いと重なったという。

細かい説明は省くが、
「コミュニティナース」とは、
「人を繋げ、まちを元気にする」という地域実践の1つのあり方だ。

「ナース」という言葉は「手当てをする」という意味に近く、担い手は看護師に限らない。
全国でも多様な住民が、各々の立場や好きなことを活かし、地域の健康課題に「手当て」をすることで、繋がりや生きがいを創り出している。

「私ももうすぐコミュニティナースにお世話になる歳だけどね、
人生の最後に『これだ』と思えるやりたいことに出会えましたよ」

79歳の千松さんも、今までコミュニティにナースのように地域を楽しみ支えていたのだ。あの時の情熱が、彼の中で再び燃え始めていた。

私自身も、離島医療に憧れていた学生時代にコミュニティナースの存在を知り、式根島に来る前に研修を受けていた。

実際はコミュニティナースに限らない。
近年は「社会的処方」「ケアとまちづくり」などの様々なキーワードのもとで、
白衣を脱いで地域に出るケアの専門職や、まちづくりの担い手になる人々が、健康と幸せを暮らしの動線上でデザインする活動を日本全国・世界中で広めようとしている。

私もこうした活動を式根島で始めたいと思っていた。
その矢先に千松さんと出会えたのだ。

活動を始めたくても島の人に働きかけるきっかけのなかった私と、
島のことは知り尽くしても行動する方法が分からなかった千松さんは、
まさにお互いの足りないものを補い合っていた。

対話を重ねて3ヶ月。
お互いの背景や想いを何度も語り合った。
2人の対話だけではなく、千松さんは島の内外の仲間を、私も今まで地域活動をともにした仲間や学生を島に招いてみんなで語り合った。

そして、島の人達と共に健康と幸せを考える会が動き出した。
コミュニティナースが他の地域で実践している活動を参考に、会議の名前は「おせっかい会議」とした。

最初に作ったポスター

最初の会は、とてつもなく緊張した。
「健康と幸せ」という目標も、「住民と作る」というプロセスも、
言葉で説明するだけではとても曖昧な概念だ。
「うまく伝わるかな」という不安でいっぱいだった。

参加者は千松さんの親しい人達に声をかけ、島の公民館に集まってもらった。
参加者は7名。私も知りあいの方達だったが、
「これから何が始まるのだろう」とみんな期待はしつつ緊張した空気が漂っていた。

司会も参加者もお互いが緊張している中ではうまくは進まない。
冒頭の私の説明では、みんなが腑に落ちた感覚は得られなかった。

しかしそう簡単には諦められない。
島の人に自分事として共感してもらうために
用意してきた問いかけを島の皆さんに尋ね、
ワークショップに取り組んだ。

こちらは準備が報われた。
最初の問いかけで場の空気はガラッと変わったのだ。

「この島の好きなところは?」という問いに、みんなが前のめりに答え始めた。
集まった人達は本当に式根島が好きで「何とかしたい」と考えていた人達だ。
各々のアイデアと想いが、ほとばしるように出てきた。
次の「あなた自身が好きなことは?」という問いも合わせて、模造紙は付箋でいっぱいになった。

最後に、
「さっきの2つの問いの答えをかけあわせたアイデアが、
あなたが式根島で取り組みたいコトです」
という説明のもと、式根島でのこれからやりたい活動のアイデアを集めた。

活動のアイデアも初回とは思えないほどの量が集まった。
参加者の中には学校の先生もいた関係か、アイデアを整理してみると、学校を会場やテーマにしたアイデアが半数近くを占めており、この結果を踏まえて次の回は学校で開催することになった。

こうして、お試しで動き出した「第0回おせっかい会議」は
次回に繋がる形で会を終えられた。

参加した人達からは
「自分の意見が受け入れてもらえた」という嬉しい感想や、
「もっと届けたい人をイメージしよう」などの意見をもらっており、
2ヶ月たった今でも活動は続いている。

会議を通して、まず参加している人達が少しずつ変わり始めた。
島に対する想いを受けとめる場所があることで、
自分事として島の魅力と課題を捉えられるようになってきた。

想いを伝えられる安心感ややりがい、アイデアに対する共感が少しずつだが広がってきていると、回を重ねる毎に感じている。

中でも1番変化した人は千松さんだった。
彼自身は、いくつかの病気を抱え、家族の問題など悩みの数は他の島民以上にあるように思う。

それでも、
「生活の悩みはあるけど、それ以上に希望を感じられる」と言うのだ。

ある日、嬉しそうに会いに来た千松さんは、
直近のおせっかい会議で出たアイデアをフローチャートにまとめてきてくれた。

「会議を始めてから、熟睡できるようになりましたよ。朝も気持ちよく起きられます」

そう言って、今日は朝から慣れないパソコンに向き合ってワードに打ち出してくれた。
なお、彼が毎朝気持ちよく目覚める時間は午前2時だそうだ。

慣れないパソコンと1日中睨めっこして作ったという、千松さんの姿を想像するだけで尊い

内容も素晴らしかったが、何よりも千松さん自身の健康と幸せを育てることができたことが私も嬉しかった。

正直、お見せできるような会議の成果がまだ無く、
参加者数やビジョンなどで思い悩んでいた私にとって、
目の前の人の健康と幸せを見られたことが掛け替えのないプレゼントだった。

この変化は、たった1人の島民の小さな一歩だが、
未来の式根島にとって偉大な一歩になって欲しい。

きっかけや合言葉は何だって良い。
たまたま式根島では、私が診療所の待合室に忍ばせた『コミュニティナース』だった。

少しでも興味のある人と出会ったら、
地元を愛する人達と対話の場を開いていくことが1番大切だと、
式根島の人達から日々教えてもらっている。

これからも、式根島の人達が今までのしがらみや関係性を乗り越えて、
健康と幸せについて対等に語り合い共感できる場を、島の人と一緒に育てていきたい。
そしてこの共感の輪から、島民同士で健康と幸せを考える活動が生まれてほしい。

このゆっくりとした変化を共に歩めることが、私にとっても1番の幸せだ。

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