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心の中の砂嵐

テレビ番組を見るのがしんどい。
中でもバラエティ番組を見るのがとにかくしんどい。

「この数秒のVTRを撮るのに丸2日はかかっただろうな」
「この資料映像の利権に、このくらいの金額を投じただろうな」
「この女優さんのコメントは台本だな」

こんなことばかり考えながら番組を見てしまう。
こんなの流行のレストランで原価率を考えるようなものだ。
楽しいはずがない。

というのも、私はバラエティ番組のAD―アシスタントディレクターをしていたことがあり、制作現場の裏側や現実を知っている。
バラエティ番組を見ているとそれが頭をかすめて、製作スタッフの苦労が見えてしまうのだ。

ADの仕事は体と心を壊して半年足らずでやめたのだが、それでも2時間特番1本と通常放送1本分くらいは携わった。
その中で経験した制作現場の現実をいくつか挙げてみる。

企画会議は23時を過ぎてから始まるので通勤の概念はない。
スタジオ本番収録の前日は完全徹夜なので、収録中はひどい眠気との戦い。
プロデューサーは真顔で非現実を現実にしろという。たとえば買い置きのクロワッサンを焼き立てにしろ、みたいな。
必要経費はすべてADが立て替えるためついに賄えなくなり、人生で初めて借金をした。
ADより上、ディレクターより下くらいの立場のAP―アシスタントプロデューサーから、原因も分からないいじめを受けた。今思えば、単なるストレス発散だったんだろうなと思う。

ざっくりとこんなところだ。

仕事内容はいわゆる雑用なのでわざわざ列記するのはやめておくが、皆様のご想像の30倍くらいしんどかったというのが体感だ。

とはいえ、そんな中でも2つくらいは良かったことがある。

先輩ADが深夜にこっそり高級すき焼きをご馳走してくれたことと、大御所声優の生声で「すみません、もう1回」を聞けたことだ。

「は?なんだそれ?」と思っただろうか。
そのリアクションが正しいと思う。
でもADってこのくらいの恩恵しか受けられないのが現実だ。それ以上はない。

テレビ番組制作の世界に入ったきっかけは『水曜どうでしょう』に憧れたからだった。
ああいう番組に携わってみたかった。ディレクターとかプロデューサーになりたいという野望みたいなものはなくて、ただ番組を作りたいとだけ思っていた。
もしかしたら、それが良くなかったのかもしれない。野望のない願望はいつまでも姿勢を正していられなかった。だからたった半年で体も心も折れてしまったのかな、と今になって思う。

ADを経験してから、結局、その『水曜どうでしょう』ですら見なくなってしまった。

でも、アニメとYouTubeは見ることが出来ている。しんどくないのだ。

おそらく、アニメは制作方法がテレビ番組と異なるうえに、制作現場を知らないからエンタメとして楽しめているのだと思う。

ではYouTubeは?
昨今はテレビ番組が構成の参考にするほどクオリティの高い動画が多い。にもかかわらず、なぜそれらは見られるのだろう。

それは、演者であるYouTuber自身が企画、撮影、編集というすべての作業をしており、いわゆる“大人”によって作られた感がないからではないだろうか。

プロモーション動画はともかくとして、やりたいことを映像にしている彼らには“忖度”や“思惑”というものが見えづらいように感じる。
YouTubeの規約やコンプラが厳しくなった今では、出来ることの幅が狭くなったり、些細なことで炎上したりしているが、それでもテレビ番組よりは遥かに自由度も高いと思う。

例えば、つい先日、東海オンエアが出るからと久しぶりに『ダウンタウンDX2』を見てみた。
率直な感想は、話題のYouTuberを起用したかっただけなんだろうなと思った。
そうすれば、テレビ離れが深刻な若者の視聴率が取れるだろうという安易な思惑が、トークがほぼカットされたメンバーの様子から歴然だった。こんなの「いつかトークの順番が回ってくる。まだか、まだか」で視聴率を引き延ばす常套手段そのものだ。
結局、東海オンエアがピックアップされたのは番組も終盤の終盤だった。

そして、もう1つ頭をかすめたのは、叶姉妹の代わりなのではないかということだ。
東海オンエアはYouTuberの中でも金遣いが荒い方だから、私服紹介のコーナーでやはり目立つ。1位、2位は1,000万円超えのてつやととしみつで独占だった。
しかもてつやはスタジオで1,200万円の腕時計を壊していた。人の不幸は蜜の味という見どころである。
叶姉妹の代わりはさすがに誇張表現だったかもしれないが、それでも年始の特番放送にはそこそこの金額を持って来たいのが制作側の考えなはず。しかも、その金持ちっぷりを厭らしく編集しても差し支えないのは大御所芸能人よりYouTuberになるのは妥当だろう。

と、ここまで書いてきたわけだが、これが本心なのは事実だ。
こういう理由があってテレビが苦手、というかむしろ嫌いになった。

でも、少し引いて考えてみて思う。

これは言い訳であって強がりなのだ。

自分が出来なかった番組制作をやってのけている製作スタッフに嫉妬してしんどいのだ。

私が挫折した世界で必死に生きている人たちに劣等感を感じる。

YouTubeが見られる理由も結局はアニメと同じ。
動画制作に携わったことがなくて作り方を知らないから楽しめるのだ。

作り方を知らなければ挫折することも知らない。

この本音に気付いたのはつい最近だけれど、おそらくこの本音を抱き始めてからもう5年近くなる。

果たして、いつになったら克服できるだろうか。
この本音に気付けたから克服も近いのだろうか。

『水曜どうでしょう』の新作を純粋な気持ちで見られる日はまだなのかな。

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