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生きている理由を考える

最近はよくこんな口癖がある。
なんで生きているのか。
哲学という学問ではよくでてくる類だろう。
考えてもすぐには答えが出てこない。
すぐに出てきた答えがあるならすぐにまた新しい答えが見つかる人だろう。
良くも悪くもだ。
お金が欲しいとか彼女欲しいとか言うけど、
実際、そのあとどうしたいのって自分に問いかける。
お金持ちになったあと、彼女ができたあと。
確かに何がしたいのだろう。
これらに答えられないということは自分がやりたいこと、使命感のようなものが見つかっていないということだろう。
お金持ちは手段だ。彼女を作るも手段だ。
目的は一体何か。
究極を言えばあなたの人生の目的は何かを問う必要がある。
これまた壮大だ。なぜ生きるのかという問いに逆戻りだ。
僕はなぜ生きるのかを考えている時こう思う。
自分はこの世界にどう役立てるのか。
きれいごとに聞こえるだろう。僕もこの分だけ見れば間違いなくそう思う。
偽善者の類だと。だが大切なのはありきたりかもしれないがwin-winであることだ。
例えば作家として、多くの人に物語で人生の教訓を伝えたいという目的があるとする。それは自分が作家として有名になり、印税で収益を得る。そしてそれは多くの読者に感動や気づきや思考の変化を与える。大げさに言えば読者の人生に貢献していると言える。つまりこれはwin-winと言えるのではないだろうか。作家も読者もはたまた出版社も政府からしても税収が入る。
近衛商人の三方よしと言える。自分よし、相手よし、社会よしだ。
この状態を目指すべきだろう。言わずもだが。
つまり利己的であり、他者への思いやりにもなる行動を取る人生。
そうした人生を生きがいがあったと人々は言うのだろう。
話は少しそれたが、要は人生の目的においては、自分がやりたい事を見つければそれでいいのではないかということだ。
自分のやりたいことが分かれば、おそらくそれは人の役に立っている。
食べるのが好きならば、食べたお店や具材や所在地などをsnsなどで発信すれば人の役に立っているだろう。恋愛が好きならば、恋愛すれば恋人に何かプレゼントする、また楽しい時間を提供するといったことにつながる。それは恋人の人生を楽しく、幸せにすることに一躍買っている。
好きなことを追求していれば、自ずと誰かの役に立っていると自分は感じる。だから頑張らないでほしいです。好きなことを追求するが人生の目的。これくらいシンプルにいきましょう(笑)
ちなみに自分はこれを書いている時間が好きなことの追求です(笑)
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
By 二浪Fラン大学生

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