停滞期。自分のやり方に飽きてる
何でもできる時間はある意味何もできない時間と同じなのかもしれない。
勤め人だった頃、毎朝勤め先のトイレの掃除をしていた時に「自分の家のトイレも掃除していないのに…」と灰色の気持ちになった。かといって、毎日毎朝掃除できるようになったら…あ、なんだかんだ毎日どこかを掃除してる。
床はドライワイパーか掃除機は必ずかけるし、トイレも軽く掃除する。洗面所も2日に一度は掃除して、トイレの床拭きを決まった曜日に。月に一回ぐらいの割合で床の雑巾がけや扇風機の掃除。なるべく気になったとき、やろうと思い立ったらできる環境にある。
料理、掃除、洗濯の家事の合間に仕事のお勉強。いいじゃないか。
勤め人だった頃と比べてとても有意義じゃないか。
でも、それが当たり前になってきた近頃ではなんだかうまくかみ合っていない気がしている。
勤め人で時間を拘束されてへとへとに疲弊していた時と同じように心が疲れている時がある。何かに追われているような感覚。
私はいったい何に追われているの?
なんとなく私は勤め人だったころと同じものに追われているような気がする。ひとつは時間。もうひとつは今に満足していない自分。現状に不満がある自分。これだな。
「このままじゃだめだ。もっと何かをしなきゃ。変わらなきゃ。やばい!時間が足りない!」
確かにその通りなのでけれど、ちょっと落ち着いて、少し引いて考えると、焦って心も体も思考もカチカチに緊張して、決まりきったことをするだけで疲れ果てて何もできなくなってしまっているだけなのでは。
やだ、自分で自分を追い込んでいるじゃない。
できていることや積み上げていることは確かにあって、例えば夫にはバランスを考えたお弁当や食事を作っている。そのおかげもあって夫の身体は触れると温かく柔らかいし、血の巡りが良い感じがする。筋肉もしなやかで昔よりも疲れにくくなっている感じがしていて体力もついてきている。
わたしが務め人で満足に食事のフォローができなかったころと比べると良い感じの身体を作れてる。
それは私自身もそうだ。一時期食べられなかった卵や小麦も楽しめるようになったし、アレルギーやアトピーもほとんどない。
やりたかったこと叶ってるやん!
この8年間でだいぶ良くなってる。ヘルシーになってる。
何事も結果が出るまでは時間がかかる。
途中でくじけそうになったり、偏ったり、試行錯誤しながらその時々の状況や環境でバランスを取り、こっちだという方向の目星をつけて進んでいく。その中で何か間違ったり、停滞するときもあるけれど、その都度見直したり、インプットしたりして違う風を吹かせながら進んでいく。
停滞しつつも足元をちゃんと確認しながら進んでいく。
食事で8年かあ。
色々あったけどよく頑張ったよ。
もちろん、その間に環境も変わったし、世界も変わった。
その都度、それなりに対応できていると思う。
慌てて結果を求めず、今できることをやるのみだと頭ではわかっている。
でも、何かうまくいかないことがあると、できていない自分の方に引っ張られて、他のできていることがあったとしてももう自分のスタイルができてそれが当たり前になって歯車がかみ合っているから、改めて見ようとしない。
勝ち負けじゃないし、人がやってることを参考にして取り入れられることは自分なりにアレンジして取り入れて。スパイス、彩り、工夫が気分を変えてくれることもある。
足りないもの、多すぎるものを見極めて削いだり足したり。
頑張ることを忘れて、こうしたほうがラクだし快適!という風になったときに自分のスタイルができる。飽きたら、インプットしたり、何か新しいものを取り入れればいい。
今はがむしゃらに頑張った1年を経て、疲れが見え隠れしだした停滞期にで自分自身に飽きてきている。
休んで、リフレッシュしつつ、もう一度アプローチを考えよう。
向き合う時間も作ろう。
このことを胸に今日も一日できることをこつこつと。
動き出そう。