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「デザイナーとして雇えない」と言われた日〜でも、それは終わりじゃなかった①

「デザイナーとして雇えない」

 港区の西麻布という一等地にある、通の間で知る人ぞ知る高級カフェでシングルオリジンコーヒーをひと口入れた瞬間、投げられたその言葉が一瞬にして空間を支配し、胸に突き刺さった。

 お店に流れていたBGM、周りの人々の会話、楽しみにしていたコーヒーの味、その言葉以降、すべての記憶が一瞬にして連れ去られてしまった...

 めまいにも似た感覚の中で、その言葉を発した相手の表情を見ると、顔には生気がないが目の奥には力が宿っているような、静かな怒りを込めたような表情だった。

 その後も続けて冷静に話し出した。
「デザイナーとしては雇えない。そして社員としても雇えない。アルバイトとしてお遣いや雑用業務なら雇うことしかできない。ただ、雑用を頑張ればそのうちデザインに戻せると思う。」

「どうする?」

 よくわからない。全く理解ができなかった。急にそんな話に答えを出せずにいた。
「今すぐには判断できないです」そう返すのが精一杯だった。

「周りから君と仕事をするのがイライラすると声が出てる」

 頭をフル回転しても全然追いつかない言葉の連続に、何かバツが与えられるような悪い行いをしたのかとスピリチュアルなことを考えるくらいしかできない。

 社長を含め5人しかいない小さなデザイン事務所。そんな中で仲良くやってきたつもりだったが、そこの思い込みも崩れ、もはや自分という存在が粉々になっていった。

 そこに至るまでの2年半。私は本当に何も見えていなかったのだろうか。

 社会人を経験したのち、意を決して美大受験、何とか夜間の私立美大に入学、卒業。30代でやっと掴んだデザイナーの道。この世界に入るからには、多くの経験ができると思って入った少数精鋭のデザイン事務所。この小さなデザイン事務所に入社した時は、希望に満ちていた。仕事が夜遅くなっても、翌朝会社に向かう時は最高の気分だった。

 デザインの仕事は、想像以上に精緻な作業の連続だった。入稿データの作成、色校正、文字の増減に合わせてのレイアウト調整、急に内容が変更になりそれに合わせての全てのデザイン変更もあった。すべては納期があり些細なミスが大きなトラブルを引き起こす。

 それでも必死に食らいついていった。ある時は深夜まで修正作業を重ね、遅くまで残って作業したこともあった。またある時には嫌味を言われたり馬鹿にされたりすることもあったが、それでも「頑張れ」と励ましの声をかけられることもあった。実際私自身も楽しかったし、乗り越えられると思った。

 でも、周りから発せられたその言葉には、違う意味が込められていたのかもしれない...

 私のミスは減らなかった。細かい作業の一つ一つに、常に不安がつきまとう。デザインするのが怖くなっていく。デザインを考えるより不安が押し寄せてくる。

 それでも、私は諦めなかった。早めにデザインやレイアウトを作成し、その後のチェック時間を設けた。ダブルチェックだけでなく、トリプルチェックまでこなし、必死に完璧を追求した。

 しかし、ミスは容赦なく存在し続けた。不安は私の創造性を侵食していく。かつて情熱を持っていたデザインが、今や恐怖の源と化していた。

 そして、避けられないその日がついに訪れた。

 私はまだ、この言葉の本当の意味を理解していなかった。

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