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ハイデガーの『存在と時間』

4月のNHK 100分 de 名著は、ハイデガーの『存在と時間』。

ハイデガーの主著『存在と時間』は、カントの『純粋理性批判』、ヘーゲルの『精神現象学』と共に、三大難解哲学書の一つに数えられている。

光文社古典新訳文庫の日本語訳(中山元訳) だと、文庫で全八巻に及ぶ大著。

さすがに光文社の古典新訳だけあって、この翻訳が一番わかりやすい。

中公クラシックスの全三巻版のように、原書に忠実な訳で読むと、わけがわからない。

ドイツ語の原書やドイツ語に近い英語訳の方がまだわかりやすいといわれる。

そんな難解な『存在と時間』の解説書は数あれど、今回の戸谷洋志さんの解説は、抜群にわかりやすいと言えるだろう。

『存在と時間』の解説の名著になりえる本だと思った。

以下概要をまとめる。

『存在と時間』は二千年を超える西洋の哲学史のなかでも抜きんでて重要な著作である。

なぜなら、プラトン、アリストテレス以来の命題である「存在とは何か」を改めて問い直したからである。

もう一つは、1927年という二つの世界大戦の間の不安の時代に一つの答えを示したことにある。

ハイデガーの哲学は、人間を日常的な世界のなかで捉えようとしている。

彼によれば、現存在は自分を「自分ではないもの」によって理解し、非本来的に生きている。

どこからか借りてきたものを、あたかも自分自身のあり方であるかのように思い込み、それによって自分を規定している。

一体何が、こうした「自分ではないもの」を私たちにもたらすのか?

ハイデガーはそれを「 世人(ひと、せじん)」と呼んでいる。

「 世人(ひと、せじん)」とは、わかりやすく言うと「世間」、あるいは、その場の「空気」のようなものに近い。

誰かにはっきりとそう言われたわけではないけれど、何となく「みんなもこうしている」「こうしたほうがいい」という規範をもたらすもの。

注意すべきなのは、世人に支配されるのは、臆病な人や意志の弱い人だけではなく、すべての現存在である、ということ。

自らを世人に引き渡してしまった現存在は、世人が考えるように考え、世人がするように行動する。

つまり、その場その場の空気を読み、「みんなもこうしている」という規範や社会通念に従って生きているということだ。

こうしたハイデガーの分析は、日本人の国民性によく当てはまる。

とはいえ彼は特定の社会や文化を前提にして世人論を構築したわけではない。

日本人やドイツ人だけではなく、アメリカ人でも中国人でもイギリス人でも韓国人でもフランス人でも同じように世人の影響を受けるのである。

世人の影響を受けない人は、山の中にいて、人と関わらない人だけだろう。

ではどうしたら、世人から自由になれるのか?

「みんな」に紛れて生き続けることを不可能にするものがある。

その一つが「死」に他ならない。

ハイデガーは次のように言う。
「誰も他人から、 その人が死ぬことを引き受けてやることはできない」

人間は誰でもいつか死ぬが、他者の代わりに死ぬことはできない。

死によって「各人に固有の現存在の存在が端的に問われる」とは、つまり私たち人間は、自分の死と向き合うことを通じて、初めて自分を「唯一無二の存在」として理解することになる。

もう一つが良心だ。

良心とは何か?

一般的に、この言葉は「良心の呵責」といった表現で使われる。

たとえば、目の前で道に迷っている人がいたけれど、急いでいたので、つい素通りしてしまった。

すると、後になって、「ああ、助けてあげればよかった」と、後悔する。

このようなとき、「私」を 咎めているように感じるものが、良心だ。

つまりそれは、世人に支配されている「私」に対して、「私には別の生き方もできたはずだ」「私は別の存在でもありえたはずだ」ということを、「私」に気づかせるのだ。

ハイデガーの晩年は孤独なものとなった。

ナチスに加担したことで、第二次世界大戦後は、学会を追われたからだ。

ナチスへの加担は、彼の哲学とかたく結びついている。

ハイデガーの弟子のハンナ・アーレントやハンス・ヨナスをはじめ多くの哲学者がハイデガーの失敗について考察している。

しかし、個人的には、その答えは、ハイデガーの『存在と時間』の中にすでに示されている。

「何人も世人から逃れることはできない」

「死と良心を常に忘れるなかれ」

ハイデガーの人生こそがその最大の証明とも言える。

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