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文献に基づいて語っているので、信憑性があるエッセイ

大変示唆に富む面白い歴史エッセイです。

歴史学者の磯田道史さんが、文献に基づいて語っているので、信憑性があるのもよいですね。

面白い話がたくさんありますが、「歴史には勘所というものがある」という話は、多くの人にとって大変参考になるはず。

歴史の肝とは何か

・例えば、近世以後の日本史を考える場合、信長・秀吉・家康の三人のパーソナリティを知る

・上杉鷹山の生い立ちを事例にして、江戸時代の「治者の道徳」を知る

・ごく普通の大名の生活も同時に知る

・幕末の歴史過程については、西郷隆盛や坂本龍馬、山岡鉄舟が、この国の歴史を左右するどような決定的な現場にいたかを知る

・歴史は英雄だけが作るものではない。普通人の分析も必要

・日本人にとっての家族問題を考えるには、結婚と離婚が、あるいは出生が、この国でこれまでどのように行われてきたのかを知る

・日本人の識字率や教育の問題を知る。教育は日本史をみるうえでの重要な勘所

・さらには、日本の医療と健康も重要

個別のエッセイは当たりはずれはあるが、かなり面白い。

最初のエッセイ「信長の好奇心」は、信長の奇怪な行動が活写されています。

信長は「怪物が出た」という奇怪な話を聞くと、近郷近在の百姓を駆り出して、あまが池の水を人海戦術でくみ上げさせ、大蛇をさがし、さらに自らも池に飛び込んで探したという。

信長は、一つのお触れを出した。信長と同年同月同日同時に生まれし者を尋ね出した。

なぜのこようなことをやったのか?

私は、天下統一のためだったと思う。

天下統一の過程または統一後には、怪獣や自分と同じようや人間と戦わなくってはならないから、当然興味津々だけではなく必死だったのだと思う。

次の「信長はなぜ殺されたのか」は、信長と親しかった細川幽斎が、信長が滅んだわけを語っています。

要するに、信長は人を信じないし、人に厳しかったので、無謀を起こす人が続発したというである。

秀吉をこれを反面教師として、人を信じ、人を許したという。

個人的には、秀吉は本当に人を信じ、許したわけではないだろうが、少なくてもその振りはしていたと思う。

3本目の「秀吉の艶書」も面白い。

個人的は、手紙やプレゼントなど血のにじむような努力で女心をつかむことに執心したさまは、単なるスケベオヤジにとどまらず、異常なものを感じる。

学のなかった秀吉は、要するに楽しみがあまりなかったのではないのかと思った。

「上杉鷹山の師」
 
細井平洲は上杉鷹山の教育係になった。

細井平洲は大変な見識の持ち主だったが、金もうけには興味がなく、その暮らしは貧を極めていた。
 
平洲は上杉鷹山に『春秋左氏伝』 哀公元年の条を講じた。ここには政治家にとって一番大切なことが書かれている。〈国の興るや、民を 視ること傷めるが如くす(中略)その 亡ぶるや、民を以て 土芥 となす〉。

訳は、「政治は国民へのまなざしが大切。政治家が傷をいたわるように国民を見る国。そんな国は必ず栄える。逆に、政治家が国民をごみのように無視する国。そんな国は必ず滅ぶ」

このような人格者から古典を徹底して学んだ上杉鷹山は、本人の資質もあるが、大成して偉大なお殿様になった。

個人的には、『春秋左氏伝』に興味を持つ。なぜなら、福沢諭吉が11回読み、森鴎外がもっとも影響を受けている古典だからだ。

「天才人相師・鶴屋南北」

江戸時代、水野南北(一七六〇~一八三四)という人相占いの天才がいた。南北の占いは百発百中。人の運命をピタリと言いあてたという。

若い頃は無頼の徒。酒吞む金欲しさに、盗みをはたらき、とうとう 牢屋 に入れられた。ところが、これがよかった。

南北は 牢獄 のなかで、たくさんの罪人の顔を見ているうちに、人相占師になることを思いつく。  

研究は徹底していた。いろんな人の顔をじっと見るため、まず三年間、床屋で髪結いの弟子をやった。そのうち顔だけではなく、人の体つきも見たくなり、今度は銭湯の三助になって、三年間、人の裸を観察した。さらに人の骨も見たくなって、火葬場に三年勤めた。

個人的には、ここまでやればさすがに誰でも成功できるのではないかと思う。

しかし、ここまで徹底してやる人は、ほとんどいない。

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