「普通」であること

普通でいられない自分

普通とは一体何だろうか。

人それぞれ、そう言ってしまえばそれまでだが、自分はよく親に

「さっさと結婚しろ」
「孫の顔を見せろ」
「恋人はいないのか」
「オシャレをしろ」

など言われる。
何を言いたいのか、何を考えているのか。
親の立場を経験したことがなくたって、分かる。
自分の子供がいつまでも1人でいる。周囲に愛し支えてくれる存在、そして支えていく存在もいないときたら、同年代の知り合いと比較して心配になるだろうなということも、分かる。想像にすぎないが。
自分に子供がいることを想像しても、そんな考えに至るかもしれない、と思う。
大多数に埋もれる。みんながやることを同じようにやって、目立たず生きる。それこそが誰に何も言われず、一人前に幸せに生きる方法だとも思う。

うまく言葉にできないが…分かるからこそ、つらいのだ。
自分だって分かってる。おかしい人間だと思ってる。
いや、別に自分がおかしいと思いながら生きているわけではない。これが自分なのだから。
ただ、一般的に見ておかしいのは自分の方だということ。
(あまり詳しく書かないが、自分は「アロマンティック・アセクシュアル」だと感じ、考えている)

恋愛?結婚?孫の顔?オシャレ?
意味は分かるが、分からないフリをしたい。
したいと思わないから。欲していないから。
そんな中で、行動できると思うか。
それは誰のための行動なのか。
オシャレだって、自分が気に入った好きな物を買って身に付けて、満足しているのに。

異性ウケが悪いとか、わざわざ教えていただける。
分かる。周囲に馴染んでいない状態では悪い意味で目立ってしまうし、場合によっては損をするかもしれない。自分にとって損なのかは分からないが、自分の周囲の人間からしたら損なのだろう。
そんなものを狙って自分のあり方を定めているわけではないし、むしろ避けているくらいである。

自分のために生きている。
自分にとって、この世界は自分以外異性のようなもの。

無駄に嫌われたりしない程度を維持する。
それ以上のことを、自分以外のためにはしない。
何か恋愛的なことを求められても、応えたくないし応えられないからだ。
それが自分のためにも、相手のためにもなると信じている。
皆が皆、異性ウケを狙っていると思うのはおかしい。既に体の性別が違うという点だけで目立っているのに、それ以上飾り立ててどうするというのだ。

理解できない感情

好きという気持ちが分からない。

こんなことを言ったらどう思われるか、すぐに想像がつく。
でも、恋愛を扱った作品には好きなものもある。第三者の視点で楽しむ分には最高だと思う。本当に楽しい。
作品は楽しめるのに、どうして「好き」が分からないのか。

作品で例えると、自分が登場する場面を想像することができない。気持ちが悪くなる。
自分が恋愛に参加することなど、自分の中ではありえないことなのだ。想像しようとも思わない。
自分はその世界の人ではないという感覚。
恋愛への欲望も期待も憧れもない。
告白に対しても、一方的に抱いた感情をぶつけるなんて自分勝手だと思ってしまう。

人が怖い

恋愛感情が理解できない以上、そうした感情での人と人との繋がりも理解することができない。
恋愛感情でなくても、「好き」な気持ちはある。
しかし、それは移ろいゆくものだと思う。
そして、気持ちが強くなりすぎて依存してしまうこともあると思う。特に自分はこの傾向が強いと感じる。また、飽きるのも早い。

自分は物事に対する「好き」な気持ちについて考えたが、この気持ちの対象が人間になったらどうなるか。想像しただけで怖くなる。色々なものが自分にのしかかってくることになるだろう。
人の思いや考えの全てを理解したり、想像したりすることはできない。
そんなことは当たり前だ。だからこそ自分は怖い。
いつどのように自分が相手を傷付けてしまうか、変えてしまうか、分からない。
いつどのように相手に自分が傷付けられるか、変えられるか、分からない。
前向きに捉えられず、想像すらもできないことを実際にできるわけがない。

深く人と関わった経験があまりにも少なすぎるため、考えすぎかもしれないが、何かの間違いで自分が殺されるかもしれないという所まで想像している。つまり、殺意を抱かれるほどに相手を怒らせる、傷付ける可能性もあるということだ。
そんな危険までしっかり考える必要があるのが人間関係だと思っている。命を失う覚悟くらいなければ、自分以外の人のために生きるなんてことはできないのではないだろうか。
そしてそんな覚悟が全くない自分は、相変わらず人が怖いままだし、自分のために生きることで精一杯だ。試しにやってみるかという軽い気持ちで行動できない性格なのである。

必要かどうか

やりたくないことやできないことを、やったりできるようになったりする必要はあるのだろうか。

一度くらいは経験をした方がいいのかもしれない。
1人きりで死ぬことになったら寂しいのかもしれない。
周囲からうるさく言われるうちが幸せだと、後から思う日が来るかもしれない。
やらなかったこと、できなかったことを激しく後悔する日が来るかもしれない。
できないことをできると思っているのかもしれない。やってみようとしたら、できないことはやっぱりできないと改めて思い知らされるかもしれない。

周囲がうるさいからと強制的に、無理をして、できないことをやってしまった、できてしまった場合、それは一体誰の、誰のための人生なのだろうか。
必要かどうか、やるかやらないか、できるかできないか、それは自分の責任で決めたい。

自分の自由

「普通」がどうしても息苦しい。

それでも自分を守るために「普通」を求め、自分を隠しながら生きている。
それでも「普通」を求められて、もうこれ以上は無理だという所まできている。

どうしたって自分は変えようがないし

隠せば隠すほどつらくなるけど隠すしかないし

周囲はうるさいけど応えたくないし応えられないし

みんなはしっかり充実していて幸せそうだし

生きていくことが難しい。

周囲が、望んでいるものや手に入れているもの。
そして身近な人に対し、望んでいるものや手に入れてほしいもの。

自分が望んでいるものや手に入れているもの。

全く違う。本当にこれが困る。
周囲も自分も間違っていないと思う。
正解なんてない。
自分の自由なんて本当にあるのだろうか。
何かを失ってでも、いつか自由になりたい。

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