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【小説】エクセス コンプライアンス リザルト(全編)

1.起章
 嫌な予感はしていた。だがどうしようも無かった。世知辛い世間体の物語にはよくある話だ。
 うさんくさいモニターの募集があった。昨今の不況のあおりを受け、私は危険招致で金のためにその集いを承諾したわけである。
 どうせ独り身の自分にとっては客観的に見てさほどハードルは高くない、生活保護申請も却下されたこの身では、そもそも他にやりようが無いのだ・・・そんな負の感情を思いめぐらせながら、名状しがたい背徳感を感じつつ目的の場所に向かった。
 そのモニターについては、正直募集内容がほとんど理解できなった。
「将来発生する事象を今の時間軸から適格なファクタを導出する方法において、複事象から選択する研究および検証についての体験者を募集しますーーー。」
意味がわからなかった。要は予言出来るようになる研究なのか?あまりにも奇天烈な募集要項である。

 例の現場にたどり着いた。5階建くらいだろうか、なるほど中々大きいビルを構えているようで、案外それなりに企業をやってる所かもしれないと安堵した。

「不破 様ですね。302室にお願いいたします。」
「――っ!」

 ロビーに入るなり、挨拶も問い合わせも無しに急に名前を言われ、正直かなり動揺した。と同時に、ビル構えでかき消した不安がぶり返し、少し強張った表情になったであろう自分は足を奮い立たせ、言われるがままに3階のエレベーターへ向かった。ロビーに入ってすぐ見えたのだ。まるで罠に自ら入っていくような感覚だった。

 エレベーターから3階のドアが開く。まるで別世界だった。左手には図書館顔負けの本の数々、右手には恐らくサーバーという奴だろう、PCに使うような精密機械がコンテナのようにギッシリ積まれ、せわしなく薄緑色のランプを点滅させている。

「――ああ、不破さんですか?いらっしゃい。」
突然、左手の本の山から声がした。よくよくみると還暦を迎えようかというくらいの老人がこちらをみている。
「…あ、はい。ええと、募集要項の件で…」
「ええ、お伺いしております。どうぞこちらへ…」

 物言いは柔らかい印象だが、姿を見て少し驚いた。白衣は着ているものの、両腕には数珠、ミサンガ、スマートウォッチのような物、金色のブレスレット…これでもかという程装飾品を身に着けている。白髪かと思ったその頭も、薄い金髪だ。長めの髪をヘアバンドでどけている。
 
 その場の変わった雰囲気と、このじいさんの雰囲気も合いまり、私は圧倒されていた。えらい所へ来てしまったと、少し後悔していた。

 302号室内は10畳くらいだろうか。少しこじんまりとした殺風景なところにソファーが4つ向かい合わせに置いてあり、よくある普通の背が低い正方形の机が真ん中にある。そこにお互い対面で座り、ゆっくりと老人が口を開いた。

「まずは遠いところお越しいただいてありがとうございます。ここは普通の会社とは…何と言ったらいいかちょっとテイストが違うんでね。ちょっと戸惑らせてしまったかもしれないですね。まあ、決して怪しいというか反社のような組織ではないので、そこはご安心をーー。」

 実に流暢にしゃべる爺さんである。まるで噺家のようだ。とりあえず、自分の頭を整理するように先ず質問をしてみた。

「この会社・・・組織?って具体的に何をしている場所なんですか?」
「ん~…『具体的』というのには答えられそうにないですが、要は人間心理 学の研究、と言ってしまえば早いですかね。主たる業務は・・・システムエンジニアみたいなもんですよ。」
「SE…?コンピュータ関連ですか?」
「『対人間用』のSE、ですな。業種としてファイナンシャルプランナーとか、カウンセラーとかが近いと言えるでしょうね」
「…人生設計みたいなもの?」

私は訝しげに聞いてみた。

「設計までは出来ないですなあ。どちらかというとアドバイザーです。」

いよいよ怪しくなってきた。業務内容の説明でここまで抽象的な印象を受けたのは生まれて初めてだった。が、この時点で正直私は吹っ切れていて、いちいち不安を感じる事は無くなっていた。俎板の鯉と言えばいいのか、もう何でも受け止めてやると、少し自棄になっていた。

「どういう仕組みで稼業してるんです?」
「あっはっは、稼ぎが気になりますかな?うちらは非営利団体ですよ。ですんで行政からの支援でほとんど成り立っとるんです。」

驚いた。という事は、国に認められている状況下にある仕事って事になる。私は不安になったり安堵したりの繰り返しで、もう既に精神的な疲弊を感じていた。

「・・・多分、いろいろ質問しても、御社の事を理解するのは難しそうですね。」

私は少し笑いながら応えた。

「んで、さっそく本題について、ですかな。」

しまった、皮肉にとられてしまっただろうか、老人は少しだけ表情が真剣になった。

いや、本題に入るからかもしれないが・・・わたしは黙って次の老人が開口するまで待った。

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2.議題「過去を視る」

「・・・まず、募集要項はみられたと思いますが・・・」
「はい。」
「あの内容、ざっくりで構わんので、どういう仕事をするのか
 イメージは着きましたかな?」

とりあえず、私は正直に回答した。ここでお世辞を言っても意味がないだろうと考えた。

「・・・私が請け負う仕事内容については、正直なにもわからなかったです。ただ、ある研究をしていて、その手伝いをするのかな、と・・・」
「その『研究』については、何かイメージがつきましたかな?」
「うーん・・・多分私は大袈裟なイメージを持ってると思います。簡潔に言えば、予言が出来るようにする為の研究・・・?そう感じました。」「・・・・」

老人、暫しの沈黙。10秒位経ったろうか、次にこう進めた。

「やはり、簡潔に説明は難しいもんですなあ。が、予言ですか…。ん~、まあ…半分正解ですかなあ」

半分正解しているだけで驚愕だった。本当にそんな事を研究しているのか、このじいさんは…私は呆気にとられた。

「ん~~…例えば、ですが、貴方は今まで生きていて後悔したことってありますかな?」
「そりゃあ、無数に。」

無職独り身でこんなところに来る人間が後悔してないわけ無いだろう、
と首のすぐ上まで出かけた言葉を呑んで応えた。

「その後悔、というのは今も『あの時ああすれば良かった』とか、『こうしていたらどうだったんだろう』とか、思いますかな?」
「・・・実際に『やらかして』、暫くはそう思うんじゃないですかね、一般的に。私もそうでしたが、時間が経つともうわざわざ考える事も無くなりますけどね。」
「それは、同じ『過ぎた後』でも、直近とその先の未来では後悔に対する考え方が違うという事ですかな?」
「…?」

このじいさん、いったい何が言いたいんだろう、というか何を言わせたいんだろう?私は口が重くなってしまって沈黙した。

「ああ、いや、誘導尋問ではないのですよ。申し訳ない申し訳ない…どうも研究職というのは言い方が辛辣になってしまってかなわんですなあ…」

「・・・」

「ちょっと質問を変えましょうか。『何故、後悔という感情が発生してしまうのか』、です。 あ、いや貴方の行い方について咎めているわけでは決してなく、理屈で考えて何故その現象が起こることになるのか、ですな」

「…ん~、簡単な話で、その後悔する前に戻れないから、ですよね。」
「その通り、では、何故戻れないのか?…あっはっは、わかりきってる話ですが、要は哲学っぽい考え方ですよ。」
「まあ…時間を巻き戻せないから、ですよね」
「そう。『時間は1つしか存在しない』というのが、この議題の見解ですな。
「えっと・・・『1つ』、というのは?」
「後悔したときに『あの時ああすれば良かった』というのが本当に実現した場合を仮定すると、時間は複数あることになるんですなあ。要は、後悔した自分と後悔を払拭した自分が2人居ないと、『あの時ああする事で良くなった』という回答が出せなくなる、つまり時間が2つあるっちゅう事になる訳です」
「…ええと?」
「ああ、ゆっくりと進めましょう。沈黙は虞ないで結構ですよ」

かみ砕くなるまで随分間が空いた気がするが、成程じいさんの言ってることは合理的だ。

『後悔を帳消しにする』、という行為は後悔した先と後悔しなかった先の両方を体験していないと成立しない、要はそういう話だ。これまで後悔しなかった、考えもしなかった事柄も、実はちょっとした変化で後悔に変わっていたかもしれない…私はその少しの説明で色んな事を考えた。

「…整理できましたかな。もしや不破さんも理系ですかな?」
「ええ。…え?んー、まあどちらかと言えば数字の方が文章よりも好きですかね。」
「あっはっは、だと思いましたよ。この説明をして真剣に考えて下さる方は、理屈に対しておよそ真摯に受け止めてくれる方です。理系は感情を優先したがらないですから。」

どうもこのじいさん、系統にコンプレックスを抱えているようだ。突っかかってもしょうがないので、私は愛想笑いで済ませ、質問した。

「時間は絶対に1つしかない、という事になるんでしょうか?」
「ん~、少しずつ本題にせまってきましたな。いい質問です。」

本題には近づいていたようだ。正直まったくそんな気はしてなかったのだが。

「この研究では、時間は1つしかない、という『仮定』から先ず入ります。…募集要項にもありましたな、『将来発生する事象を~』という件です。今居るこの先については、まだ誰も体験していない事象となります。未来について後悔する人間なんてのは無論おりません。時間が1つしかなく、まだ経過しとらんわけですしな。」
「そりゃあ、そうですよね。」
「今までの話は過去の話でしたが、次からは将来、それも数年位先の直近の未来についてちょっと噺をしましょうか。」

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3.議題「未来を計る」

 少し休憩を入れた後、老人はまたゆっくりと語り始めた。いつの間にやらカウセリングのようになっている。そういえばそれに近い業種だと言っていたが、これも職業柄なのかもしれない。

「さて…と。じゃあ、今度は未来について話しましょうか。」
「ちょっといいですか?」

私は口をはさんだ。

「この話の目的って、いったい何なんです?これからやる仕事に関係あることですか?」

少し失礼なのかもしれないが、自身の動き方を定める為にも至極全うな質問だと思う。

「勿論、ですな。さっきの過去の話は前提条件を固めて貰うための…まあ、講義とでも思ってくれれば。次に話すのは、貴方がこれからモニターする上での考え方になります。」
「考え方…ですか。」
「やり方…まあ、方法論ですな。時間軸が1つしかない状況下であるならば、未来についても推し量る事ができるはずーー要約するとそういう研究ですな。」
「やはり、予言?」
「んん、先ほど『半分正解』と言いましたな。何故半分だと思われますかな?」
「・・・?」
「あっはっは。一応私も一応考えて『半分正解』と言ったのですよ。この場合、何故半分『不正解』から言った方が早いですかな。」
「逆に半分不正解から論ずる、ですか。」
「まあ、そんな難しい話でないです。要は『未来は決まっていないから』ですな。言い方を変えれば『まだ時間軸に乗った事象ではないので1つに絞れない、という言い方になりますな。さきほどの過去の噺から言えば。」
「でも、半分正解なんですよね?」
「その通り、その決まっていない未来を『仮定』で推し計る、という事です。」
「・・・んん~、と。『予想』ってことですか?」
「『予想』というのは『予め想像する』事を言います。この研究は予め仮定する事――まあ、そのまま愚直に逆説すれば『予定』になってしまいますが、そうですね…『予仮(よか)』とでも言っておきましょう。」

なにやら当たり前の噺をしてるような、そうでないような不思議な感覚である。噺としては結構面白がってる自分もそこに居た。

「『予定』、とは違うんですか?」
「『予定』っちゅうのはほぼほぼ実行できる、あるいは実行しないといけない事象の事です。『予仮』は、1つの未来に決まり事を作らずに、今現在の状態にある決まり事から幾つか合理的な仮定条件を作って、あくまでも受動的に未来がどうなるかを視るもんです。」

すこしずつ噺が難しくなってきたようだ。私は暫し頭の中を整理した。沈黙を懼れずに。

(要するに、だ。『予仮』というのは未来に対して考察したり決定事項を作るのではなく、今現在から得られるデータから未来を計算する、という事になるか・・・?だが、それを世間一般的に『予想』というのでは無いのか?どうやら、かなり微妙なニュアンスで違うことを言いたいのだろう)

「・・・頭ではなんとなく理解できましたが・・・どうも、まだ腑に落ちてない部分もあります。」
「結構、結構。いきなり全部理解できる方がおかしいと思いますがな、あっはっは・・・」
「・・・」
「ん~、では…例題を挙げてみましょうかな。昨今、ウイルス感染が問題になってますな。」
「ええ、結局何が正しい対策なのか皆疑心暗鬼になってますね。」
「困ったものです。いまこうして距離をとってマスクをしてれば感染しない保証があるのか、それとも感染する確率を下げているだけなのか、そもそも確率を下げるのであればどのくらい下がるのか?溢れるほど検証事案が出てきます。」

「このウイルスに対して、これからどういうトレンドになるか、という・・・ええと予仮をするってことですか?」
「いんや、その前に考えるべき事があります。『仮に』です。仮に今回のパンデミックが拡大前に『予定』出来ていたならば、今頃どうなってたでしょうかな?」
「・・・ん?ええっと・・・」

矛盾だ。結局過去の話に戻ってしまっている事、過去なのに『予定』を立てている事――ー。

いや、待てよ。『予定』と言ったか?

「予想ではなく、『予定』ですか?決まり切ってないのに?」
「決まり切っていなかった話でしょうかな?未知のウイルスに対して、対応する手段は『予定」されていたのでは無いでしょうかな?』
「それは…確かに未知のウイルスが出てきた時点で、相応の予定は立てるでしょう。でも結果がどうなるかなんて・・・・」
「その『複起点』ですよ。それがウチの研究内容っちゅう事です。」
「・・・はあ。」

複起点?いったい何の事を言ってるんだろうか。それが核心に入る話なのは凡そ把握出来るが・・・

「こっから少し、抵抗のある話になるかもしれませんが・・・まあ、聞いてくだされ。まず、複起点とは?という噺ですな。」
「どういう風なイメージで捉えれば?」
「簡単な話です。先ほど話題に出た予定こそ、複起点の1つです。要は、その時その時点で仮定した内容と、それに伴って出来上がる先の予定を1セットで出来るのが起点というものです。横文字を使えば、『ターニングポイント』とか言う言い方になりますかの。ニュアンスがやや違いますが・・・」
「未来が変わるポイント、という解釈でもよろしいですか。」
「そうですな。それで正しいです。」
「それが複数、という事ですか?」
「その通りです。複数ある起点から足すなり引くなり、複起点からまた新たな複起点を作成したり、その起点を利用することでいくつか決まった『未来要素』を割り出す。そういう研究ですな。」

ようやく講義のゴールに辿り着いたようだ。老人は姿勢を正し、ふうと一息つく。軽く疲弊しているようだ、余り人と話すのは得意じゃないのだろうか?そうは見えなかったが・・・

「・・・大体ですが、研究内容を把握できました。・・・それはそうと、少しお疲れ気味に見えますが、大丈夫ですか?」
「ああ、いや、お気遣い戴いて恐縮です。問題ないですよ、歳を取るとロクなことがありませんなあ…うあっはっは。」

そう言っていたが、自分も一息付きたいので休憩したいとお願いし、15分間の余暇をもらった。別室を案内され、私は電子煙草をふかしていた。


 休憩時間中、私は今までの噺を整理していた。内容は、そこまで深く考えずとも問題ないような、当たり前と言えば当たり前の内容だった。過去は時間を遡れないと変える事が出来ず、仮に遡れたとて、当人は時間軸に沿った周知の事実を知ることになるので2つ以上の時間軸が無いと矛盾する。
逆に未来は時間軸に乗っていないため、1つの事実に絞り出すことは不可能・・・だからこそ予想や予定が生まれーーー

「失礼します」 

物思いにふけっていると、突然か細い声が聞こえてきた。少女?と言えるくらい幼い女性だ。

「お疲れではないでしょうか?博士はいつも噺が止まらなくなるから・・・」
「ああ、いえ、大丈夫ですよ。大丈夫っていうか非常に興味深い内容です。」
「不破さんも、こういう噺好きなんですね?」
「ん~・・・自覚した事はないですが、そうなのかもしれませんね。・・・ちなみに恐縮ですが、貴方は?」
「あ、申し遅れましたが、私も研究員の1人ですよ。初対面の人には博士の孫って勘違いされるけど、もう煙草も吸える年齢ですし。」

私の電子煙草を指さして、笑みを浮かべながら楽しそうに話している。無論、私は驚いた。

成人とはとても思えないくらい幼いのだ。

「・・・勘違いされてもしょうがないのかもしれませんね、その御容姿ですと。」
「んー・・あんまり嬉しくはないんですよね~。若く見られる分には良いですけど、想像される年齢が若すぎるというか。」
「羨ましいですよ、私はどちらかというと老けて言われるのでーーー」

――何でもない、楽しい雑談の時間だった。幾分気持ちもリフレッシュ出来たようだ。

「あ、そろそろ時間なので・・・」
「あ、そうですね。それではいってらっしゃい!もうすぐモニター実務だと思いますよ。」

そう言ってお互い部屋を後にした。…言われて思い出したが、そういえば『モニター』とは何の事なんだろうか。今までの講義は概ね理解できたとしても、モニターというワードがどうやってもリンクしなかった。

「戻りました。」
「リフレッシュ出来ましたかな。」
「ええ、別部屋で研究員の方とお話しておりました。」
「ほう、誰ですかな?」
「…そういえば名前を聞いてませんでした。少女みたいに幼い容姿の方でしたが。」
「少女…?ふーむ?」
「よく、貴方の孫と間違えられると言ってましたが・・・」
「・・・成程。 そうか…もうそこまで影響がでとるか・・・」
「・・・?」

老人がやたら真剣な顔つきで考え込んでいる。その少女風の研究員に身に覚えがないのか、そうでないのかすらもよくわからない反応だった。

「ん、ああ、いやどうもすみません。ええと、多分余り顔を合わせない同僚なのでしょう。記憶が曖昧で。」

私は、これはすぐにウソだと気づいた。先ず、この施設に顔を忘れてしまう程の研究員数は居ないハズ…居てもせいぜい30数人くらいだろう。5階建てのビルと言ってもそこまで大きくないビルだ。
もう1つは、あそこまで特徴がはっきりしている研究員の記憶が曖昧という点もおかしい。さらに言えば、その少女風研究員は『博士の孫と勘違いされる』と言っていたわけだから、今目の前にいる老人と知り合いのはずである。
・・・仕事以外でいろいろと事情があるかもしれない、わたしは適当な予想を立てておき、余計な詮索はしなかった。

「・・・そうですか。まあ、とりあえず、本題に戻りましょうか」

老人は私が論点を切り返した事を気取ると、非常に安堵した面持ちで ふうと溜息をついた。ますます怪しく感じるが・・・

「ええ、そうですな。では・・・未来要素については理解出来ましたかな?」
「…何となく。予定を立てる時に使う予測みたいなものでしょうか。」
「『予定を立てる時に使う』点はその通りですな。問題はその時に使う『もの』の事です。・・・例えば、貴方が映画を見る"予定"を立てたとしましょう。その映画を見るために必要なものは何でしょうか?」
「・・・まずは時間。」
「はい」
「・・・次に場所と、そこまで行く移動手段」
「ですな」
「あとはお金とか?」
「そうですな。そんな所でしょう。更に突き詰めてみましょうか。『映画を見るために時間を要する』となった場合、時間は自分の時間でどこに割り当てますかな?」
「暇なとき、もしくは見たい映画があるときはその時間に合わせて調整、でしょうか。」
「移動手段はどうしますかな?」
「・・・私は車が無いので、別な手段ですね。小さいですが、ちょうど家の近くに映画館がありますので、そこまで徒歩です。」
「なるほど、ではお金は大丈夫ですかな?」
「・・・余裕はないので、本来的には映画は行かないでしょう。元々そこまで興味のあるものでもないですし。でも、行く前提なら工面しますね。」
「ありがとうございます。今の会話は予仮に繋がる未来要素、それも大分複起点がたくさんある内容でしたな。」

「ええ・・・?」

今の会話内容が、まるでテープレコーダーの巻き戻しのように頭の中でキュルキュル音を立てるのが聞こえた。

「いやいや、そんなに真剣に思い返さなくても大丈夫ですよ。今の会話を断片化してみましょう。」
「断片化・・?」
「1つ1つに分解してくんですよ。では、いくつかの要因ごとに分けてみましょうか。」

そう言った老人は、テーブルの上に大きな画用紙を置き、細いマジックで次の内容を書き出した。

『時間の要素』
 A・自分の予定が空いている時、もしくは見たい映画に極力合わせる。
 B・映画館は家から近い

『本人の状態要素』
 C・お金に余裕はないが、行く前提なら用意できる
 D・映画はそんなに見ない
 E・車は持っていない

「ふむ・・・こんなところですかな」
「・・・なるほど。・・・それでこれを・・・?」

いまだ老人の意図が見えないので、こう聞くしかなかった。一体何が始まるのだろう?

「今ここにA~Eの要素がございます。まず、"広義"からいきましょうかの。」
「広義・・・ですか」
「ですな。至極単純な話。このA~Eの要素で"不破さん"だと証明できますかな?」

突然、なにを言い出すのかと思った。というか意味がわからなかった。

「・・・?」

「あっはっは。そんな難しい噺ではないです。要はこのA+B+C+D+E=不破さんだという方程式が成立するのか、という問いです」
「・・・・無理ですよね」
「その通り。では、なぜ無理なのでしょうかな?」
「・・・"私"を形成する情報が足りないから、ですね・・・」
「そうですな。人間こんな5要素だけでは決まらない、無数ともいえる因果要素があります。んでは、次の質問。」
「はい・・・」
「このCとDを"外した"時、どんな人物像ができますかな?・・・これは”不破さん”というフィルタを取り除いてお考え下さい」

AとBとEのみ。映画を見るなら暇なとき、もしくは時間帯を極力合わせて、映画館は家から近い。車は持ってない・・・・出てくる答えは

「・・・それなりに映画が好きな人?」
「んん、そうですな。私もそんな人物を想像しました。でも、不破さんはそんなに映画には興味なかったようですな」
「・・・つまり?」
「ここで言いたかったのは、”情報の欠陥があると、その、要素で紡がれる人物、出来事、もの等、簡単に誤差、しかも的外れな答えがはじき出されるっちゅうことです。逆に、とある対象を熟知している状態で、その要素をすべて説明するのは難しい、そんな話ですな」

・・・確か"未来要素"の話だったか。今何の話をしているのかこんがらがってきた為、老人に確認を求めた。

「未来・・・の話でしたよね確か。これはどちらかというと、私の過去の推移を辿ったように思えます」
「あっはっは、確かにその観点では少し説明が悪かったですな。まあ、要は”要素”の部分ですな」
「これを・・・例えば未来の話とした場合、とか?」
「んん、合ってると思います。これを経過していない時間軸ーーつまり未来に置き換え、未来を予仮しようとした時に、何が大事になってくるか。今言ったのはそんな噺です」

要は”注意事項”ということなのだろうか・・・?これから何をするのか全く見当がつかなかったので、そういう解釈にしておいた。

「・・・なんとなくですけど、わかりました。未来を想定ーー予仮をする場合、少数の情報だけで判断すると曲解が生まれる・・・そんなところでしょうか」
「そうですな。未来はそれで合ってます。んでは、過去はどうですかな?」

 また混乱しかけた。今度は過去か。

「・・・・と、申しますと?」
「今まで自分が作り上げた”要素”を、不破さんご自身は全て網羅してらっしゃいますかな?」
「それは・・・無理だと思います。すべてを記憶しておける能力なんて人間にはありません」
「そうですな。・・・ここで先ほどのA~Eの抜き取りを思い出してみてくだされ・・・不破さんの今ある意識や人格は、どうでしょうな?」

だんだん不快感を覚えてきたが、言ってることは理解できるので反論はやめた。
こういうのはよく他人との認識違いや誤解で生じる話だ。ただ、今老人が言ってるのは自分自身が自身への要素認識が全てできてないなら、その意識や人格は何によって形成されるか? おおよそそんな事を聞いてるのだろう。

・・・無意識に私はだいぶ沈黙してしまったようだ。老人が閑古鳥が鳴きそうな部屋の中で切り出した。

「無論、この問いに反論できる人はおりません。人間は”忘れる”という技能を持っております。かつ”風化”という技術もある。自身がかみ砕きやすいように解釈し、それを一定期間保存しておくシステムですな。」
「・・・人間を機能的に見れば、そんな感じでしょうね」
「いやはやお疲れさまでした・・・これで講義は終了です」

 そういえば、私は稼業のためにここへ来たことをすっかり忘れていた。そしてようやく実務となりそうである。










「それで、”モニター”っていうモノをこれからやるんですかね?」
「・・・?・・・ふむ・・・やはり"誤差"が生じましたな」

目の前の老人がいきなり不穏なことを言い出した。
 
「・・・誤差?何の話です?」
「モニターなら、もう始まってますぞ」

・・・・・・・・・・え?


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4章 「ズレ」

・・・何秒くらい沈黙が続いたのだろうか、呆気にとられた私に対して老人が言い放った。

「モニター、始まってますぞ」
「・・・・は?・・・ちょっとまって下さい。どういう事ですか?」
「・・・そうですな。不破さん、ここに来るまでの詳細を教えて頂けますかな?」
「・・・私を疑ってますか?何を言ってるんです?」
「・・・・。そうですな、不破さん、一度一緒にこの社屋から外に出てみましょうか。」
「・・・???」

何を言い出してるんだ、この老人は。わざわざ時間も無い中このモニターに"友人の紹介"だけで来てやったのに、何たる侮辱的な言いようだ。

「別に良い。これで私は帰らせていただく。」
「・・・いや、多分”出来ない”と思いますぞ。まあ、一人でも良いので一旦外に出てみてくだされ。」

・・・???どういう事だ・・・
まあ、良い。私は一人で外に出る事にした。部屋やエレベーターの位置は覚えてる。
・・・と思ったが、早速違和感を覚えた。エレベーターの表記は「4F」とある。確かここは7階だったはずでは・・?
よくよく周囲を見渡すと、ここも可笑しい。こんなびっしりコンテナのように詰まった機械の部屋は無かったハズ・・・それに反対側は・・・書斎?
こんな目立つモノを私が見逃していた?そんなバカな・・・

・・・老人の言いたいことが全く理解出来なかったが、とりあえず戻る事にした・・・・・

・・・・ちょっと待てよ、「老人」?
私は老人と会話していたか?確かかなり若い女性だった記憶が朧気にある・・?

「大丈夫ですかな?」
ふと、元の部屋から出てきた老人が声をかけた。

「・・・すいません、貴方は誰でしたっけ?いや、変な質問なのは把握してます。どうも頭が混乱している」
「・・・その状態になる人は初めて見ましたが、原因はわかっとります。多分不破さんは"複起点に重いエラーを抱えた時間軸で生きていた"、という事になりますな・・・」

・・・老人?いや、私は若い女性の話を思い出してみた。
確か未来の分岐点、ターニングポイントのような事を”複起点”と言っていた。それに異常・・・なんで私はそれで一時的な記憶障害のようになるんだ・・?話が見えてこない・・・。

「私は・・・私は・・・?」
「・・・ちょっとマズいのかもしれませんな。少し休みましょう。"7階"に医務室があります。」

・・・7階?元々居た場所・・・?いやちょっとまて、確か此処にきてビルをながめた時は5階建ではなかったか・・?

形容し難いカオスに、冷や汗が止まらない。

焦燥する心境の中、どうせ自分では何も答えは出せないだろうと思い、
渋々ながら7階にあるという医務室へ行くことを承諾した。

ーー 7階へ向かうエレベーター ーー

私は冷静に、自分が見たであろう「7階」を思い出そうとしていた。
・・・何故か出てこない。異様な雰囲気を醸し出すの社屋だ。記憶に残らないハズがないのだが。

・・・何故異様と思ったのか?・・・そういえば、それすらも思い出せない。・・・私は、今になって酷く後悔していた。なにやらとんでもない組織に介入してしまったようだ。

到着ベルが鳴り響き、7階へのドアが開く。
老人の言及していた通り、向かいに医務室があった。
・・・そもそも、何故「7階」に医務室があるのだろう?患者を運ぶのに大変だから、普通は1階に保健所を構えるのが一般的だと聞くが。

・・・逃げられないようにいする為・・・?私は急に嫌な予感がよぎった。

「ここのベッドに横になって下され」

老人が案内した。とりあえず、私はそのベッドに腰かけた。

「・・・どうですかな、少しは楽になりましたかな」
「・・・混乱している。あなた方は私に何をしたんだ・・・?」

老人、沈黙。仕様が無いのでもう1つ質問を追加した。

「目的は ”未来予測” ・・・"予仮"だったか?それを構築するためだと言っていたが、あのカウンセリングだけで何故ここまで私は混乱している?・・・教えろよ!!」

・・・

「落ち着いて下され・・・まず、貴方の認識のズレが何故発生したのか、そこから説明します」
「・・・」

老人が首を指でなぞりながら、ぽつりぽつりと語りだした。
「・・・まず、今居る不破さんは、多分ここの世界線の人では無い・・・いや、正確にいうと「違う世界線で生きてきた設定」の不破さん。」

「・・・・は?」

「まず根っこから説明しましょう。"少し昔の話になりますが"、私が複起点要素となるA~Eについて話をした事は覚えてますかな?」
「・・・確か ”私は映画が好き" なのに、切り取りして解釈すると実は
 そんな事は無い、そんな話だった。」
「・・・映画は好きなんですな?」
「・・・そう言ったよな?」
「・・・分かりました。私の聞き間違いだったのでしょう。その時言った”広義”の意味は覚えていますかな?」
「・・・確か女性に言われた。A~Eだけで私を判別する事は不可能だ、と」「・・・女性、ですか?私ではなく?」
「・・・それが良く分からない。貴方に言われた気もするし、もっとこう・・・見た目は子供くらい、若い女性に言われた記憶もある・・・!」
「どうしました?何か思い出しましたかな?」
「貴方は確か、休憩中に談笑していた方では・・・?」
「・・・いいえ、私はタバコを吸いませんので、あの休憩室は使いませんよ」
「・・・・?私もタバコは吸わないが?」

また頭が混乱してきた。どうもさっきまでの経緯に食い違いが起きてる。

「・・・・不破さん、その胸ポケットに入っているモノは?」
「・・・!!」

電子タバコだ・・・使った事も無いハズなのに・・・

・・・・・・私は、誰なんだ・・・?


「大丈夫、落ち着いて下され・・・」

私は恐らく、とんでもない形相になっていただろう。察した老人が宥めてきた。

「これは・・・どういう事なんだ?そうだ、鏡、鏡はあるか?」

私は「私」なのかを確認したかったのだ。信じられない滑稽な理由だが、この状況である。焦燥にかられつつ、簡潔的に出た精一杯の質問だった。

「・・・あそこに」

老人が指さす方向に小さい鏡があった。・・・紛れもなくそこに居たのは私、「不破」だった。胸ポケットにある電子タバコ以外には、何ら違和感もない。

「・・・"入れ替わった"訳でもない・・・しかし、記憶と矛盾する・・・これは・・・」

「先ほど申し上げた通り、世界線が狂った状態に陥ったんですなあ。・・・何、違和感は時期にほつれるように無くなります。」

・・・つまり、”今の私”を受け入れるようになる、と・・・?じゃあ今までの”私”はどうなる・・・!?この老人、随分勝手な事を言う・・・

「それはどういう意味だ?私の記憶は否定される・・・そういう事を言いたいのか?」

「・・・ちょっと違いますな。複起点が整理された、という事であり、その記憶も”ケース”として”保存”されます。・・・”後悔について”の話は覚えてますかな?」

私は老人・・・いや、少女に言われた話を思い返してみた。

「後悔を帳消しにするためには、後悔した時と後悔していない時の2つを経験しないと成立しない・・・・私はそう解釈したが・・・」

「合っております。言葉の通りで、今の不破さんはその”2つ”を抱えた状態にある、という推察になりますな。」

間髪入れず、私は食い下がった。

「ちょっとまて、矛盾してないか?時間軸は1つしかない、と貴方は・・・  いや、少女は言っていた。・・・結局貴方とその少女の話が一致するのかも怪しいところなんだが・・」
「多分、その少女とやらと私の話は一致してるでしょう。ただ、先ほどのタバコや映画の話などで食い違いがおきておりますがな・・・」
「・・・時間軸の話は無視か?」
「いいえ。食い違いが起きても時間軸は1つしかあり得ません。それは
 言い切らないといけない。」

・・・” 言い切らないといけない? ”何か引っかかる言い回しだ。

「それが前提の研究ですからなぁ。そこが崩れてしまうと、今までの成果のほとんどが意味不明になってしまう・・・まあ、ほぼほぼ間違いはないと踏んでおりますがな」

前提?研究そのものを仮定で推し進めてるって事なのか・・・?

「・・・この先の説明は、もう一度3階へ戻って説明しましょう。見せたい書類もあるので。落ち着きましたかな?」
「・・・落ち着いてはいられないが、聞かないと尚の事混乱してくる。急いで聞きたい」

そう答えた時、違和感がよぎった。

「・・・ちょっとまて、貴方、今 ”3階”と行ったか?」
「ん?ええ・・・先ほど居た部屋ですよ」
「・・・表示は4階とあったが。」

老人、その言葉を聞くなりフリーズ。


・・・数秒経って顔色が真っ青になってきた。冷や汗のようなものも出ている。
・・・何か隠しているのか、それとも余程想定外の事が起きたと見える。
まさか、この老人も巻き込まれたのか?この怪異に・・・。

「・・・どうした?急に具合が悪そうだが・・」

老人の様子がいよいよ心配になった私はそう問うた。尋常じゃない汗が出てる。

「・・・・ーー」

なにか言っている。私は耳を澄ませた。

「ありえない。時間軸は1つ。症状が出るのは問診を受けた側のみのはずーーー。要素該当に私も含まれていた?・・・話が違う・・・」

前半の時間軸が1つ、というところは大よそ察せた。
要は、その仮定で進捗させた研究であり、この老人が巻き込まれるなら矛盾が生じる、とかそんなところだろう。

要素該当、というのは良く分からないが。

「・・・大丈夫か?」

そのワードが気になったのもあるが、その老人の様子が心配すぎてそっちが勝ってしまった。とにかく、今度は私ではなくこの老人を平静にさせるべきだろう。そして、この状況下なら、さらにこの研究の目的を聞き出せるかもしれないと考えた。我ながら、この状況下で冷静である。

「・・・ーーー」

老人、いまだ沈黙・・・と、思いきや、急に立ち上がりエレベーターに小走りで向かっていった。

「お、おい!」

すかさず私も後を追った。さっきまでは気が動転しそうだったので正直具合が悪い。
エレベーターは動いていたようで、老人はそこで待機していた。
ヘロヘロな状態だったが私は追い付き、老人の横に着いた。

「エレベーター・・・とにかく"3階"を確認せねば・・・」
「・・・4階じゃないかどうか確認するんだな?私も付き合う。」
「・・・」

あれだけ饒舌に話していた老人がここまで追い込まれている。かなりの異常事態なのだろう。・・・・老人?いや少女?まだモヤが晴れない。あの饒舌は少女だった・・・ハズ・・・。数分前の記憶なのに、こんな事があるのだろうか。・・・まあ、今はこの老人も同じ状態な訳であるが。

・・・ここが”7階"なのは間違いなさそうである。さっき出てきた医務室もある。・・・既に違和感がぬぐえないが、ここに来た時の事を思い出してきた。
さっきの意見と矛盾するが、確か7階もなかったハズなのだ。見上げたビルは5階建て。そう記憶してる。私はもう1度このビルを出て一度外観を確認してみたいものだが、それ以上に老人が倒れてしまわないかの方が気になる。自分よりも動揺している者を見ると、自身が動揺していたとしても割と落ち着いてしまうものだという話は本当みたいだ。

エレベーターが7階に着き、無言のまま二人は乗った。

「・・・」
「・・・大丈夫か?」
「・・・」

何も噺をしてくれそうにない。あの落語家のような口調はウソだったかのように。
・・・・
・・・・
・・・・
・・・・やはり、私はこの老人と話をしていたのだろうか?落語家、そう思うということはあの少女に対して言う比喩とも思えない。何となく、自分の中で整理がついてきている。後はタバコだけが腑に落ちないか・・・いや、それ以外にもありそうだ。

「・・・この施設は、複起点を捻じ曲げられた人への回復措置として用意された場所です。」

突然、老人が張り詰めた声で話しだした。今にも発狂しそうな危うい感じだ。私は黙って老人の挙動を伺っていた。

「・・・・・それが・・・・私にも影響するということは・・・」
「・・・研究、という訳では無く、何かのセラピーのようなモノだった?・・・そういう解釈で良いか?」
「・・・研究には違いありません。」

一言二言話し、4階に到着・・・書斎とサーバー。間違いなく、さっきいた場所だ。

老人は悟ったかのように無表情。

「・・・とりあえず、さっきいた部屋へ戻りましょう。事実をお伝えします・・・と言っても、今の不破さんにとっては意味のない事なのかもしれませんが」

よくわからないが、何も分からないまま帰るわけにもいかないだろう。
私だって未だ記憶が有耶無耶なのだから。

・・・・

・・・・

・・・・そういえば、知人の誘いを受けてここに来た、と思っていたが、その知人が誰なのかが思い出せない。ここには自分で来たのか?・・・それにしたって、何故だ?
そもそも私は、他に予定は無かったのだろうか?私の記憶・・・記憶?思ってるだけ?それにしたって、何故こんな思い違いが連続して起きる?

「・・・どうせ今のままでは、到底帰れそうにない。何でもいいから聞かせてくれ。」

私は投げやりに老人に答えた。

老人、リアクション無し。・・・まあ、しょうがない状態ではあるのだろう
が。


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5章 種明かし

部屋へ戻り、老人が音もなく向かい側の席に座る。
表情はさっきまでとは別人のようである。悟ったかのような表情、というか目の瞳孔が開ききっている感じだ。印象がまるで違う。

・・・ここは4階?で合ってたか、いよいよ私自身も何が現実なのか疑ってきている。

結局、私「不破」は何者なのか、昔を辿り、今まで形成された記憶は断片的ながら、確りと脳裏に浮かべる事が出来る。ただ、それが事実だったのか自信が無くなってきている。胸にある電子タバコがそれを増長させている。

ふと、私は思い、老人に尋ねた。

「ちと失礼、タバコを吸う訳では無いのだが、この胸ポケットにある電子タバコを手に取って確認してもいいか?」

「・・・ええ、構いませんよ。ただ、火災報知器があるので実際に吸う場合は”休憩室”でお願いします」

とりあえず、胸ポケットにある電子タバコを見てみた。
・・・まず円筒状の本体がある。端面に穴が開いており、ここに葉巻を入れる、という事だろう。
葉巻も同様にポケットにしまってあった。まだ残数は沢山ある。・・・19本。1本だけ吸われているようで、封は切られているがほぼ新品のようだ。

「・・・何か思い出しましたかな?」
「いや、何も。・・・19本入ってるから1本だけ吸われてるようだが。」「・・・・?」

老人、何か違和感を感じ取ったようだ。

「どうした?」
「・・・確か”今の不破さん”はタバコを吸われないんですよね?」

言い方が何とも奇妙だが、私は答えた。

「ああ、吸った事は無い。」

「・・・私はタバコを吸わないので良く分からないですが、満タン状態だと20本、という事なのですかな?」

・・・・・・

・・・・・・

・・・・・・あれ?

そういえば、何故私はそんな事を知っているのか?
もう1度葉巻を見てみる。・・・19本、ある。
・・・・何故タバコを知らない私が「1本だけ使用されてる」と言い切れたんだ・・?

「まあ・・・ゆっくりと考えて下され。なるべく焦らず、じっくりと・・・」
「・・・爺さんは、今の違和感って階層の件だけなのか?」

ちょっと意地悪をしてみた。こちらばかり違和感を感じさせられてマウントを取られているように感じたからだ。実際そんな事はないと思ってもいるのだが。

「今のところは、ですな・・・なに、そのうち湯水のごとく違和感は出てくるでしょう・・・」

老人、この現象がやはり何かを心得てるようだ。

「デジャヴ、という言葉は勿論ご存知ですな。」
「・・・前に同じような体験をしたかのような錯覚を覚える、あれか?」
「そうです。今不破さんと私が陥ってる状態は、そのデジャヴに通ずるものがある。・・・今のところ、記憶と複起点の食い違いでこのような事が発生すると結論がついております。

・・・何となくだが、言ってる事は把握できる。やってもいない事を前にやったような気になる、というのは今とは逆(やった事が前にやっていない状況になっている?)ではあるが、要は記憶と実績のズレの事を言いたいのだろうと思う。

「・・・あのカウンセリングだけでこんな状況に陥るものなのか?それがどうにも解せない」
「いえ、実際この事象を発生させるには、”不破さんもやられた通り”
 モニターが必要になります。”あの疑似体験”を以て、このような
 複起点異常が生まれます」

・・・・???
また、話が食い違ってきた。一度頭の中を整理する。

カウンセリングが終了したその直後に、モニターがようやく始まるのかと
言った後、少女・・・いや、老人は ”モニターは既に始まっている”
と言ったハズ。

「すまないが疑似体験とは何のことだ?カウンセリングが終わったと思ったら、既にモニターは始まっていると言い出したハズだが」

老人、それを聞いたのち茫然としている。
しばし沈黙した後に、こんな質問をしてきた。

「不破さん、今は何月何日かわかりますか?」
「確か・・・4月14・・・いや15日だったか?そう記憶している」
「・・・となると・・・・そういう事か」

何やら老人も頭の中を整理しているようだが、おもむろに携帯を取り出し、私に見せながらこう言った。

「今は、3月の28日です」

・・・・

・・・・

・・・・

・・・・え?


「・・・・3月?」
「ええ」
「・・・そんな・・・はずは・・・無いはずだ。」
「・・・・4月15日。私は覚えています。その日は”去年不破さんが初めてここにいらっしゃった時”ですな」
「・・・・は?」

ちょっと待て。”初めて”?今まで来ていたという事か?
それに、もうそこから1年が過ぎてると?そんなバカな・・・・

「・・・私は、ここに何度も訪れていた、と?」
「はい。もう数十回はここにいらしてますな。報酬も月ごとにお支払いもしています・・・」

・・・・・・信じられない。今までの違和感を大幅に超えた違和感だ。

「だからあの時、モニターはいつ始まるのか質問された、という事ですな」

・・・

「・・・・証拠はあるか?私が数十回訪れたかどうか、という証拠は」
「うーん・・・御来社の記録簿はありますが、捏造されていると思われればそれまでですな・・・・」

私は平静を戻しつつあったのに、また一杯一杯になってきた。顔面全体に強張りを感じる。

「・・・なんでもいい。この空白は約一年間もあるのだろう?なにか・・・証拠が・・・あるはずだ・・・」

目の前が暗転しそうになってる。意識が遠のいてきた。

「・・・大丈夫、とにかく落ち着いて下され。言った通り、記憶の相違は必ず消えます。そうですな・・・証拠・・・ああ。」

老人はおもむろに上を見上げたあと、遠くにある受話器でどこかに電話をし出した。内線のようである。やけに小声だ・・・何か注文をしてるようだ。「今用意出来るか?」と言った声はわずかに聞こえた。

「不破さん、そこに監視カメラがあるんですが、恐らくその空白部分の記録映像があるはず。これは流石に捏造は出来ないでしょう・・・加えて、モニターでやっていた事も記録されているハズです。ちょっと見てみましょう。」

老人が何かのリモコンを押す。ブラインドシャッターが閉まって暗くなり、壁に大きなプロジェクターが現れた。

「・・・記録映像・・・・監視カメラの・・・?」
「そうです。・・・別に悪意があった監視カメラではないですよ。一般的な防犯のモノです。見ての通り、大掛かりなサーバー、貴重書物がある書庫等がありますのでな・・・」

まあ、不思議ではない。それよりも、監視カメラが何を見ていたのか、それに全神経を集中してる自分が居た。

「まず、最初のカウンセリングはーー」
「ちょっとまってくれ。その最初のカウセリングの後、私はどうした?」
「・・・ああ、確かーーー」

映像があるようで、すぐにモニターに映し出された。
老人と私がこの部屋で話している。例のA~Eの例題も映っている。


ーーー話が終わったようだ。私が知りたいのはこの後である。

・・・老人は笑顔で私を送り出している・・・この記憶は・・・無い・・・・そして私はこの部屋から出ている・・・この記憶も・・・無い・・・・

「・・・無論、納得いかないのは分かります」
「・・・・納得、というよりも、怖い、かな・・・」
「大丈夫、大丈夫です・・・・もう1つ、見て欲しい映像があります。今の不破さんはモニターを認知していないので、そこも見て欲しいんですな。何をしていたか、です」

モニター。そうなのだ。それを”やったハズ”?なのに全く記憶にない。

「・・・記憶が、無い・・・」
「・・不破さんの今までの言及から察すると、そうなるでしょうな。映像を見てみましょう。何か思い出すかもしれない。」

映し出されたのは、3階・・・ではなかった4階にある、例のサーバーのような機材がおいてある部屋のようだ。監視カメラはその奥を映しており、なになら椅子が1つ置かれていて・・・そこに自分が座っている。

・・・何か目隠し?ゴーグル?のようなものを付けている。これは・・・・

「これは・・・VRのようなものか?」
「ええ、そうです。思い出しませんか?これで何を見ていたか、などは・・・」

・・・・そう老人に言われた直後、自分の経験したものとは思えない、関係ない映像の記憶が蘇ってきた。
勢いよく、自分の脳内に映像が流れだすーー
実体験?VRの中の話?・・・また気が遠くなってきた。

「気をしっかりお持ちなされ・・・・大丈夫。」
「・・・・」

喋る気力すら無くなってきた。意識が遠い・・・。

「そうですな・・・今の不破さんの状態という事は、このモニターの意図も伝わっていない事になりますかな・・・・そこを”もう1度”説明した方がよさそうですな・・・」

・・・そういえば、何故この実験?講義?が実施され、報酬まで貰えているのかまでは分からない。・・・というか”忘れてしまっている”ようだ。

「・・・一度私はそれを聞いてるのか?」
「ええ。ちと長い話ですが・・・もう1度言う必要があるでしょう」「・・・すまないが、もう1度教えてくれ」

老人は、ふぅと軽く息を吐くと、ゆっくりと話し始めた。

「まず、この機関・・・我々が行っている活動は、”行き過ぎたコンプライアンスによって出てきた複起点によって、悪い方向に影響してしまった方への救済” が目的となります。」
「・・・・」

複起点。講義に出てきた言葉だ。確か未来におけるターニングポイントに近いニュアンス・・・そんな話だったか。

「・・・私はその”悪い複起点”に迷い込んだから、このモニターを受ける事になった・・・という事か?」

「はい。と言っても、相当追い込まれた者でしか、あの募集要項に興味を持ちませんからな。要はあの募集は”選定”をした事になります。・・・募集内容は覚えていますかな?」
「俺にとっては”今日の話”だからな・・・覚えている。確かに、あれは人生の窮地に立たされたような状態でしか・・・んん?・・・」

早速違和感がまた出てきた。もう慣れたものである。
私は窮地に追い詰められるほどの状態だったのだろうか?今の”感覚”では全くそんな風には思わない・・・

「今の不破さんが窮地に追い込まれていない、と感じるなら、このモニターは成功と言えましょう。この約1年間で収入も安定してきた事ですしな。」
「・・・それはお金の問題だけでは無いのか?」
「いいえ、違います。人の心境っつーもんは脆いものでしてなあ・・・どれだけ莫大な資産を抱えてたとしても、その当人の心的状況次第で簡単に破産してしまうものなんですわ。これは私がこの研究を進めていく上で幾度も経験したことです。」

・・・なんとなく、この”機関”の全容が見えてきた。要は社会不適合者への更生を促しているって事なんだろう。最初は資金を寄付するだけだったが、それでは当人の為になっていない事が分かった、とか、そんなとこだろうと思う。

「なんとなくだが、自分の置かれている状況は理解した。・・・だが、その過剰なコンプライアンスとやらで人生が狂ってしまうメカニズムがよくわからないな。」
「その辺はまあ、まともに説明すると長くなるので・・・”前の不破さん”は理解してくれたような素振りでしたが微妙そうでした。・・・そうですな。ちょっと例え話からしてみましょうか。」
「・・・例え話か。何か前例でもあるのか?」
「まあ、前例と言えばそうなります・・・・不破さん、SNSはやられてますかな?」
「・・・いや?全くと言っていい程・・・では無いが、ほとんど触ってはいないな」
「私も同じようなものだったんですがな・・・まあ、中には中々とんでもない事を言う輩がいるもので、この研究とも沿いそうな人物が結構おったので、興味を持ちだしたんですわ。」
「・・・というと?」
「不破さんは陰謀論とかフリーメンソー・・?いや、フリーメイソンだったか。そういった類のモノは見た事がありますかな?」
「フリーメイソンな。・・・まあ、聞いたことは有るが、アレは言ってみれば学校の怪談のようなものだろう?フィクションの世界だ。」
「うあっはっは。不破さんは”正常”な人物ですな。・・・・要は、アレを本気で信じ込む人が結構な数でいるんですよ。」
「そんな、まさか・・・・演技じゃないのか?」
「”演技”ですか。良い表現かもしれませんな。まあ、色々と経緯はあると思いますが、言ってみれば”そう思い込みたい状況下にいる人物”が言霊のように毎度毎度陰謀論を呟いている・・・そんな人物を見かけましてな。確か北海道の方だったか。」
「まあ、陰謀論を信じ込みそうな連中は居るとしてだ・・・何故”そう思い込みたい状況下にいる”と分かったんだ?」
「その方のご親族も同様にSNSをやっておられ、そのリークから。他には”熱心なファン”とでも言いましょうかな。・・・ああ、まあアンチと言った方が良いかもしれません。そういう方がその人物のプライベート部分を垣間見せてくれるのですよ。」

なんとも恐ろしい話だ。・・・まあ、ヘイトを集めるような事をしでかしている自業自得ではあるのであろうが。

「まあ、その陰謀論というのは、言ってみれば私は ”社会不信、政治不信”から生まれるものだと思っております。簡単な話ですな。人生が上手く言ってるならわざわざ社会に不満や捏造した情報をくっつけて揶揄なんぞしない。逆に人生が上手くいかず、政府や社会に転嫁していけば・・・という話ですな。」
「・・・それは”更生される前の私”にも言える事か?」
「いいえ、言えません。もし陰謀論に陶酔してしまっていれば、あの募集要項やこの機関での行いは呑まないハズだからです。そういう"ふるい"の効果もあるんですよ、アレにはね。」
「・・・そうか?あの募集要項でも一部の陰謀論者は食いつきそうなもんだが」
「まあ、どういう解釈をするのかは難しい所ですなあ。一番は私たちが行政で成り立っている組織だという点ーーー。これは反社会思想の連中には絶対に受け入れられない条件のハズですわ。」
「・・・なるほど?」

納得しきれないが、まあ言いたいことは分かった。

「・・まとめると、社会的な規律、規範に反感を持つ・・・まではいかないが、その行き過ぎたコンプライアンスで人生が上手くいかなくなる人間が居るし、その末路が陰謀論者という話な訳だな」
「まあ、大体そんなとこです。いくら善人でも社会ルールを全部鵜呑み出来る人間って居ないものです。それに政治的な要素が絡むのであれば多数決の話ですからなあ。どの党が与党になれるか、なんてのも票で負けた人には必ず不満が入ってくる。その場合、自分の主観では受け入れられないような法律、ルールも出てくることでしょう、そういったメカニズムですな」

なるほど、大体理解した。

「・・・で、あのモニターはなんなんだ?」
「その話ですな。・・・不破さん、今は記憶は落ち着いてる状態ですかな?」
「まあ・・・落ち着いてはいないが、今の話を聞いて落ち着けるような状態じゃないのは把握した。」
「結構・・・それでは、そのVRの中身も説明していきましょうか」

いよいよ、核心に迫るようだ。




__________________________
6章 答え"併せ"

「まず結論から言いますが、ワシら研究員はVRの内容を知りません」
「・・・え?」

説明の初手で意外なこと言う爺さん。

「・・・その映像が別部署で作っているとか、そういう事になるのか?」
「いいえ。」
「・・・じゃあ、その内容は誰がどうやって・・・」

「不破さんご自身です。あのイメージ映像は本人の”過去”記憶を読み取り、複起点となるポイントを自動算出し、その部分の映像を出す仕組みとなっております」
「・・・映像の中身は私以外誰も知らない、と?」
「はい、そういう事になります」

いきなり不安になった。いっそ内容は把握して欲しかった。というのも、
今の自分はVRの内容がどこまで現実化されて、どこまでが空想の話なのか
曖昧になっているからだ・・・

・・・

・・・

・・・いや・・・

「・・・私が1年間の記憶が丸々消えたり、休憩室で会った少女と貴方の区別が曖昧になったり、この建物の階層が分からなくなったのは・・・」

「おおよそVRのせい・・・いや”効果”と言えましょう」

「・・・今私が抱える記憶のうち、現実と矛盾している事があると思うのだが・・・これは大丈夫なのか?」
「前にも話した通りですな。ゆくゆく擦り合わせされ、最終的には問題とは認識しなくなるでしょう」
「・・・結局、このVRの目的ってなんなんだ?」
「細かい点から話しますと・・・複起点を見つめ、”その時に何をどうすればよかったのか、あるいは他に選択肢があった場合、貴方は何をしていたのか”を潜在意識から揺り起こす事に目的があります」

爺さんはゆっくりと説明しだした。

「では何故そのような事をするのかというと・・・言ってみれば当人の”自信”を上げる為です」
「・・・何故それが自信に繋がるんだ?よくわからないが」
「簡単に言ってみれば・・ゲーム感覚で言うと”経験値”みたいなものですな。例えば、その複起点で自分が迷いに迷って選択したのが今だった場合、そして今うまくいっていない場合・・・必ずその局面で後悔という概念が生まれてきます」
「確か過去の講義でもやっていたな・・・」
「よく覚えて・・・いや、不破さんにとっては今日中の話でしたな。その通りです。説明した通り、”後悔を払拭する”という事柄は”後悔しなかった世界”と”後悔した世界”の2通り存在しないと成立しない事になる。・・・話をしました通り、この世界は時間軸が1つしかありません。」
「だからVRの世界で”後悔しなかった世界”を体験する・・・という事か?」
「現実と仮想空間で”2パターン”の世界線を体験していただく、という点は合っていますが、必ずしも現実側で後悔した世界線だとは限らないですな。というのも、その延長上でおきる事象次第ではゆくゆく後悔を感じる事にもなりますので・・・」

「・・・・」

「・・・不破さんは1年前、後悔したことはありますかという問いに”無数にある”と答えています。・・・不破さんの”今日言った内容”ですが、そこは認識は合っていますかな?」
「・・・言ったような記憶もある。・・・ああ、そうか」
「どうされましたかな?」

「その言及がVR内で言った事なのか、それとも現実世界で言った事なのかの区別がついていないようだ。だから認識のズレが起きている、という事なのかもしれない」

爺さんは顎に指をあて少々考え込んでいた。

「ふむ・・・・先に申し上げたとおり、VR映像は複起点を描写して当人への選択肢を揺り起こすもの。つまり・・・不破さんはこの1年間のどこかで、弊組織に来られた最初の日にも複起点があった、という事になりますかな。なるほどなるほど・・・・何となくですが、ワシ自身が感じる矛盾も読めてきましたかな」

爺さんはだんだんと落ち着いた表情になってきた。どうやら自身も感じていた違和感の正体を掴んだようだ。

「・・・爺さんの違和感がとれたのは喜ばしい事だが、こっちの身にもなって欲しい」

「ああ、いや申し訳ない。・・・これも不破さんの”治療”の一環でありますので・・・簡単に申し上げますと、VRで複起点を経験する際に、その局面にいる登場人物が実際とも関わると、その関わった人も影響を受けることがあるんですよ。ワシらは簡単に”干渉”と呼称しておりますが。」

「・・・私が見たVR内でも爺さんが出てきて、それが今現実の爺さんと話した事により、爺さんにも影響が出た。そういう意味で合ってるか?」

「はい、合っております。・・・・今、気になってるのは時折出てくるその”少女”という点・・・」

・・・VR内に居た人物、ということになるのだろうか。私の中では確かこの組織にいる、爺さんと同じ研究員だったはずだが・・・

「説明が難しいですが、ワシの今までの経験則から推測するに・・・」
「なんだ?」
「その少女は不破さんにとって一番重要な複起点の存在だった人であり、そして今現実世界には居ない方でしょう」

・・・

・・・

・・・

・・・・・爺さんの言葉を聞いてから、何故か非常に心がざわつく自分が居た。

「推測にすぎないハズだが・・・どうもその推測が気になる。記憶はないんだが、妙に心が落ち着かない・・・」
「承知しました。・・・・ここからは最後のカウセリング・・・いや”講義”となります」

・・・・

「まずは状況整理からいきましょう。」
「ああ・・・わかった。」

私自身も気になるところではある。結局彼女は何者だったのか。記憶の話だが、爺さんにすり替わってまで講義していた彼女は、私にとっては重要な人物であるとは思ってる。

「不破さんは、その少女について”今日”ここで会ったとき以外に記憶はありませんか?」
「・・・・恐らくでしかないが、無い」
「ふむ・・・・となると・・・」

暫し考える爺さん。大分時間をかけてるように思えた。私の心境が急いているだけかもしれないが。

「何か分かったか?」
「・・・休憩室で会った、講義にもしかしたらワシとすり替わって講義して いた記憶以外ない・・・というのを真と捉えるなら・・・若いという点も要素として・・・」

「・・・」
「その少女はどこかの複起点で生まれるハズだったが、現実世界では生まれ なかった。そう考えるのが妥当なところだと思われます。・・・不破さんは確か未婚でしたかな?」
「・・・今の自分の自覚に自信は無いが、そのハズだ。」
「私も確か途中あったモニターでお聞きしております。まだモニターによる影響が起きる前の言質なので間違いないかと。・・・・ただ、結婚前提でお付き合いしとった方は居た、そう言っておりました。」

・・・・

・・・今言った爺さんの話は、私の今の記憶とも合致している。あまり知られたくない話だが、確かにそういう女性は居た。

「その女性との話は難しいですかな?恐らく重要な複起点ではあると思います。」

「・・・話したくないが、話すしかないか。」
「ちなみにですが、私との会話は記録、録音はされていません。・・・まあ、先に説明した干渉等でこの流れを監視されているケースはありますが。」

不穏な事をいう爺さん。

・・・まあ、大体言ってる事は何となくわかる。時間軸が1つしかない世界で無理やり作った複起点のルートを人の脳内に映しこむ訳だから、その状態になった人間が完全な状況把握は出来ないだろう。事実、爺さん自身にも干渉の現象は起きてる訳で、その爺さんが場(環境)を完全に把握してる訳じゃないという事になる。

「まあ、いいさ。簡単に説明すると、当時、付き合っていたその女性は、自殺したのさ。10年以上前の話だが・・・」
「そうでしたか・・・・原因は何だったのでしょう?」
「漫然としたものだとは思う。爺さんが言った社会不満のようなものだとは当時感じてた。・・・彼女はご両親を亡くされてる。確か、誰かに恨みを買われて事実無根な噂をたてられ、それを鵜呑みした暴漢に刺された・・・そんな話をしていた。」
「なるほど・・・その犯人に対しては物凄い憎悪があったでしょうな」
「ああ、彼女は強烈に怒っていた。私も話を聞いてやるだけで精一杯だったが。」
「その犯人は、今は?」
「元々精神疾患だったらしく、実刑はさほど重いものではなかった。精神鑑定で責任を負う能力が無いと判断されたんだろうな・・・今は普通に牢屋の外で暮らしてると思うよ。」
「なんともやりきれない話ですな。人殺しをしたのに、それでは。」
「私は、確か裁判は傍聴していた・・・いや、確実に聞いてたはずだ。裁判長の説明によれば ”真の原因は事実無根な噂を流した その言質にあり、その言及者の特定が先決だと考える。この場に居る被告人は、それを鵜呑みした自身の負い目もあるが、精神的に未熟さがあり、本犯行の張本人ではない事は明白である” とか抜かしやがった」
「・・・そのデタラメを流した犯人は・・・今は・・・?」
「捕まったと言う話は聞いてないな。・・・・ああ、思い出してきたな。」

「・・・はい」
「付き合ってた女性は、それ以降でおかしくなったんだ。・・・いや、至って普通ではあったんだが、妙に感情が抜け落ちてしまったというか・・・それから暫くして、同棲していたマンションで亡くなっていた・・・」

「そうでしたか・・・・不破さん自身が第一発見者だったのですか?」
「そうだ。仕事の帰りに現場を目撃した。既に時遅し・・・だったな。」
「不破さんご自身も相当な心的負荷があったとお察しいたします。・・・不破さんは、その後は無事に生活されていましたか?」

「・・・それが・・・ほとんど記憶に無いんだ。その時の惨状が余りにも強烈で、他の情報がほとんど入らなくなってしまったような感覚だ。」

・・・・

・・・・

「ふむ・・・・・・・やはり対象一人だけの複起点描写だけではムリが生じる・・・このケースもか・・・」

なにやらブツブツ言いだした爺さん。この研究の事をいってるようだったが。

「そういえば、この研究・・・セラピー?は”治験”のような扱いになる、とかか?」
「ん、んーーー・・・・・あまりその言葉は好きでは無いですが、そう解釈されても相違ないと思います。」

「いや、別に爺さんやこの機関を咎めるつもりはない。事実私が立ち直れているわけだし、何が自分の人生をおかしくしたのか、大体整理がついてきてるのも事実だ。今の質問は興味本位だったと認識してくれ」
「そうおっしゃって頂けると有り難いです。無論、ワシらは単なる興味本位でこの研究をやっとるわけでなく、いかに人を良い方向に持っていけるかが本筋であってーーー」
「わかってる、大丈夫だ。・・・それで話は戻るが、その少女が何者なのかも私は予想がついた。多分爺さんも同じことを考えてると思う。」

「・・・はい。ワシもそうじゃないかと思っとります。そして、辛い過去であるにも関わらず仰ってくれてありがとうございました。また1つ、大事な結論が出せそうです」

「・・・恐らくその少女は・・・」

私と爺さんはほぼ同じタイミングで言い放った。
「生まれてくるはずだった、私の娘」
「生まれてくるはずだった、不破さんの娘さん」

・・・・・

・・・・・

・・・・・

「・・・・まあ、そういう事だろうな。VRの景色を思い出していた。複起点によって娘が生まれた時間軸だったが、結局彼女は自害していまっていた・・・そういう結末だった。」
「そうですか・・・・複起点にて彼女さん・・・いえ、奥様は延命出来たが、結局は・・・・と。」
「そのようだな。・・・多分”どの道止められなかった”という結論が私の中で無意識に出たんだろう。爺さんの言う”自信”とは少しニュアンスが違うようだが。」

「いやはや・・・ワシも配慮不足で大変無礼で不謹慎な言い方をしてしまった。大変申し訳ございません。」
「いや、いい。彼女の事は言ってなかった訳だしな。1年間でもその説明はなかったんだろ?」
「ええ・・・まあ・・・半年過ぎたあたりでしょうか。VRの内容について説明してくれなくなった時期が不破さんにありましたが、今意味が分かりました。」
「・・・他に、VRでみた景色を爺さんに教えていた、という意味にもなるが、私は何を言っていたんだ?」
「今仰ってくれた内容程重い話ではございません。どちらでも問題無いような些細な選択、進学の事、就職の事、趣味のキッカケ等ですな。」
「進学、就職はわかるが、趣味のキッカケなんかも複起点として存在してくるのか?」
「その後の人生を大いに変化させる、重要な要素ではありますぞ。その嗜好によって出会う人が変わってきますからな。不破さんはチェスがお強いようで。その話をお聞きしました。」

チェス、かーーー。今は朧気だが、確かにそういうボードゲームは好きだ。多分、その趣味を選択しなかった複起点のせいで、自分にその趣味があるのか無いのか曖昧なのだろう。

成程ーー・・・確かに記憶の摺合せが出来てきている。爺さんの言った事は根拠のない慰めって訳でもなさそうだ。後は現実世界に残った、私の残滓が私を整合させてくれるだろう。

「爺さんの言っていた摺合せの意味が今分かってきた。・・・多分私はもう大丈夫だろう。モニターはまだ続くのか?」
「モニターは当人から平静な状態で”もう大丈夫”という言葉を仰られた時点で終了となります。即ち・・・不破さんの治療はこれにて完了となります。長い間、お疲れさまでした。」

・・・肩の荷が下りたような、モヤモヤが残るような複雑な心境だ。私は尋ねてみた。

「爺さんは先ほど”対象一人だけの複起点描写だけではムリが生じる”とか言っていたように聞こえたが、アレはどういう意味なんだ?」
「この研究の次なる課題でもありますな。一人だけの複起点描写だけですと、その周りにいた人物の複起点が追えない。そして前にも話した通り、”行き過ぎたコンプライアンスによって出てきた複起点によって、悪い方向に影響してしまった方への救済”が目的ーーー」

・・・

「彼女の自殺の場合では、殺害した犯人への妙な擁護が原因になった。・・・あれも言ってみれば”行き過ぎたコンプライアンス”なのか?」「ワシの今の主観ではそう感じますな。ただし客観視すれば、その裁判長の言い分を不当とは感じません。まあ、結局根も葉もない言及をした犯人が捕まっているかいないか曖昧になってしまった点、本来はそれを片付けられる事が絶対条件で為される判決のハズです。つまりは、予定調和での判決になってしまっているように感じる。」

「・・・まあ、当時の私は怒り心頭だったが、今思えば確かに爺さんの言う通りだと思う。」

・・・・

「・・・爺さんは、もし今の登場人物をモニターできるとしたら、この場合誰にこのモニターをさせることが先決だと思う?」
「ん・・・実はですな・・・今ワシが考えてる構想は、人間の意識を”2軸”間で共有させる事・・・そこで自身の選択に”見切り”をつけた上で先に進んでいただく。それを理想と考えとります。なので”誰に”という問いなら”全員”ですな。」
「壮大な話だな・・・VRに映し出される世界を他の人間とリンクさせるって事か。」
「時間軸が1つしかなくとも、その時間内にもう1つの時間軸を作り出す事は可能とワシは思っとるんですな。まあ・・・今段階では夢のまた夢の話。部屋の外にある大きなサーバーは、そういった人間のイメージ間を蓄積し、AIで環境を判断させ、登場人物をリンクさせ・・・そういった処理を行っとるわけです。」
「他人のイメージに私が登場する可能性もあるという事か・・・面白いな」
「ええ、興味深い研究でしょう?ただし・・・私利私欲だけではいかんのです。不破さんがご経験されたセンシティブな内容も含まれる為、少し配慮が必要とも思えますが・・・それ自体がエクセス(過剰な)コンプライアンスになるやもしれない、裁判長のようにですな・・・」

「ああ・・・そうだな。ーーー今まで世話になった。少し、まだ記憶の整合がうまく行ってない箇所もある。その時は相談に来てもいいか?」

「勿論ですが、あまり的確なアドバイスは出来ぬかもしれませんな。」
「何故だ?」

「今の不破さんは、自信が備わっているから、ですな」
「・・・そうか。まあ・・・また来たくなったらここに来るよ」


こうして、私の感覚では奇妙な1日、現実世界では奇妙な1年間が終わった。

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「人間の正当性は、いかに脆いものなのか」を痛感させられてきた経験となった。
それが理不尽なものじゃないとしても、法令遵守・・・社会規範に反することなく,公正・公平に行われているように見える流れですら、それによって悪影響を受ける者もいる。
それを一概に「炙れ者」と表現してしまえばそれまでだが、それは私への自虐にもなり、何もせずとも強いられてそうなる場合もある・・・・

爺さんの言う「2軸目の時間」は・・・正直私は否定的に見てる。
複起点を織り交ぜ、他人との交流を試みた場合、現実との実績(過去)
との食い違いで大きく混乱するのは目に見える話だからだ。

私は、これから空白の1年間となった過去を確認しながら進めていくことになるだろう。


”今日”来た時よりも大分心は晴れている。


ーーー映画でも見て、帰ろう。

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