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【LOT・開幕編】第一章 開幕

 この物語は、ある独りの少年が引き起こした哀れな『舞台』のお話。

「待て!!!」

 午前二時。闇に支配されたこの時間に、閑静な街に響き渡る男の叫び声。
背後から聞こえるそんな男たちの声から逃げるように、青年は裸足のまま無我夢中で走っていた。
冷たいアスファルトは青年の足から熱を奪い、落ちていたガラス片は傷をつけた。
それすら気にしない……いや、気にならない様子で青年は走り続ける。
捕まりたくない。もうあんな所居たくない。嫌だ!なんで俺がこんな目に……!

 悲しみや怒りを堪えるように唇を噛み締めて近くの路地裏へと逃げ込んだ。乱れる呼吸を素早く整え息を殺す。
やがて男たちはその路地裏を気にすることなく走り去った。
 そして気配が無くなるのを確認してから青年はその路地裏から出て、また走る。逃げる。あんな場所から、自身の運命から。



ぴちゃ。ぴちゃ。
赤い雫を滴らせ、少年は赤い水溜まりの上を歩いていく。辺りには元々人間だった肉片が落ちていた。
それを避けることもせず、踏みつけ歩き続ける少年。
身につけていた服は争った際に首元が伸びてしまい、肩からずれ落ちてしまっていた。
肌には無数の傷。彼自身からも赤い雫は落ちているが、少年はそれらを一切気にせずただ進む。
その先には、一筋の光。

ああ、やっと。

 少年の目から暖かい雫が落ちていく。
そして重い扉を押すように開けると、目の前には青い空が広がった。
やっと。やっと。

「……待ってて」

きっと、行くから。



「​───!」
「​──や……」
「​─────竜也!!」

 はっと我に返ると同時に後ろから腕を引かれ、目の前を車が通り過ぎる。
目の前は赤信号と、激しく行き交う車。
真夏だと言うのに、冷や汗が首筋を流れていった。
危なかった。また……。
 腕を引いた黒い髪の青年、佑馬(ゆうま)はそんな様子を心配するように声をかける。

「大丈夫か、竜也(りゅうや)。お前また……」

 それに黙って頷くと、今度は赤い髪の青年、ヒロが心配そうに顔を覗き込んできた。
その表情は、俺なんかより怖がっていた。

「竜也……何も無くてよかった」

 まだ心臓がうるさい。
落ち着けと言い聞かせて、二人の方へ向き直った。

「……ごめん、本当に」
「大丈夫だっつの。お前のせいじゃないんだし」
「でも心配だよ……やっぱり病院に……」
「……いや、それは……」

 言葉を濁す竜也。病院には行きたくなかった。行けなかった。
そんな彼を察してか、二人は困ったように顔を見合せた後、小さく頷く。
それなら仕方ない、と二人は優しく微笑みかけてきた。
……本当に俺はこの二人に救われていると、何度もそう思ってきた。
二人の存在が俺を支え、また引っ張っていってくれているのだ。
彼らが居なかったら俺は……。それ程までに大切だ。
何よりも。二人のためなら、なんだって出来る。
改めてそう思って、先を歩く二人に追いつこうと走った。

「おいおい、またかよ伊藤」

 先を歩いていた別の男子生徒が笑いながらそう声をかけてくる。

「やっぱりそれ……生徒会の呪いじゃねえ?」

 噂好きの彼らしい一言だった。それは毎度のように言われとっくに聞き飽きていたのだが。

「まぁたそんなこと言ってよー」
「お、面白がってたら怒られるよ……」

 佑馬は呆れたようにため息を吐き、それに頷きながらヒロが怯えたように零した。
生徒会……それは俺らが通っている学校、「繚乱学院(りょうらんがくいん)高等部」に在籍している生徒会のことだ。
彼らにはいくつか噂があった。
 呪いの子だとか、教師を脅して二年もの間生徒会を続けているとか、人を食うとか。
まあそんなふざけたものばかりだが。
どうしてこうも人間は噂が好きなのか。……いや、やはり一部の人間だけか。

「今まで小中、しかも今現在も人を不幸にしているとか!」
「おい、いい加減に……」
「面白い噂してるのね」

 佑馬が思わずその男子の肩を掴んだ時。その二人の目の前に女子が現れた。
赤茶の綺麗な髪を腰まで伸ばし、目を閉じたままの女生徒。彼女こそ、まさしく。

「せ、生徒会だ!」

 先程まで噂ではしゃいでいたその男子は怯えた様子で後ずさる。
女生徒は両手を腰の後ろへと回して無邪気に笑っている。
彼女の名前は山口 愛やまぐち あい。生徒会副会長だ。
 スタイルがよく女性らしいフォルムをしている彼女は、いつも穏やかな様子で微笑んでいていつも男子の目を引いている。
生徒会ですらなかったら、きっとそれはそれはモテていたことだろう。彼女は興味も無さそうだが。
ちなみに目を閉じているのは目が見えないから、らしい。
それにしてはよく動き今でさえ綺麗に二人の前に現れたのだが。
 愛はまた穏やかに微笑むと、噂をしていた男子に顔を向けた。

「私達と同じね」
「はっ?何の話……」
「貴方だって、そうして私達を不幸にしているじゃない」

 ふふ、と穏やかな声とは裏腹に、グサリと突き刺さるような言葉を吐き出した愛。
それを真正面から受けてしまった男子は最早何も言えない。腰から崩れ落ち、ただ彼女に怯えていた。

「山口」
「……あら、有加崎(ありかざき)君」

 歩いてきたのは、同じく生徒会副会長の有加崎 順(ありかざき じゅん)。
奇抜なオレンジの髪に、目つきの悪いその目を隠すように眼鏡を掛けた姿のクールそうな男子生徒だ。
彼は生徒会の中でも怖がられている。その見た目に加え、怪力でドアすら吹っ飛ばしたという噂もあるからだ。……真相は不明だが、事実壊れたドアは倉庫に存在する。
 見られるだけで圧がある。冷静な竜也ですら背中に汗が流れるのを感じた。
順はちらりと竜也を見たあと、愛に歩み寄りその手をするりと握る。

「待ってろと言っただろう。勝手にどこかへ行くな」

 どこか不安そうに吐かれたその言葉に、愛は少し黙ったあと。
「ごめんなさい」と優しく微笑んで、その手を握り返した。

「じゃ、私達はこれで」

 そう言って二人は歩いていく。
二人が立ち去った途端、周囲で見ていた生徒たちから安堵のため息が聞こえた。
それ程までに、生徒たちは生徒会という存在に怯えていた。
それをよそに佑馬は、へー、とその二人の背を見つめる。

「めっずらしい……時間通りじゃん」
「ま、何人がそうかは分からないけどね」

佑馬は竜也の言葉に笑う。
生徒会は遅刻魔だから、この時間に登校するのは珍しい。……いや、それが普通のはずなのだが。せめてしっかりしてくれ、生徒会。

呪いの子。
 それはこの日本中で噂されている、人を不幸にする人間のことだ。
関わると不幸にされるだとかなんとか。
単なる噂だが、噂にしては広まりすぎているとこれまた話題なのだ。
 そしてここ繚乱学院では、生徒会全員がそうではないかと噂が絶えない。
ある時生徒会が居るクラスの生徒が事故に遭いやすくなったり、教師までもが怪我をしやすくなっただとか。
 だがそれは単に不幸なだけだろう。
ただでさえいつ何が起きてもおかしくは無いのに、後付けで噂のせいにしているのだ。
それでも確かに、小学校、中学校の頃にもそんな噂はあったらしい。
 やめて欲しいな全く。嫌なことを思い出す。
かくいう俺は、そんな「呪いの子」なのだから。


 真っ白で綺麗な校舎。それらは真ん中の噴水を囲うかのように三つ建っていた。
その噴水の奥、校門から見て真正面にあるその校舎に、生徒会室はあった。
一番上の、一番奥。人を避けるようなそんな場所にある生徒会室に、夏にしては爽やかな風が入った。
 背中までの綺麗な金髪が、その風に靡く。
なにかに気づいたようにその女生徒は窓を振り返ると、そのまま黙り込んだ。
しかし彼女自身それが何かは分からないらしく、やがて首を傾げてしまった。

「会長?」

 順の声に生徒会長、清川シエ(きよかわ)は振り返ると、いえ、と小さく首を横に振る。
愛はその様子を少し気にしながらも、さてと微笑んだ。

「今日はどうしましょうか」

 愛のその言葉に薄い金髪、檸檬色のような髪をした男子生徒、朋以 香偲(ともい かざい)は携帯を取りだした。
いつも通り狐のような目をして、にまりと口角を吊り上げる。

「んじゃ、いつも通りグループに送るぜ」

 そしてその場にいる五人の携帯がメッセージを知らせるように音が鳴った。
そのメッセージを開くと同時に、香偲は言葉を続ける。

「オレが調べた通りなら、今日はこの辺だろうな」

 画面を見ながら香偲がそう言うとシエも小さく唸りながら、可能性は高いですね、と頷いた。

「最近、なぜかこの辺りに集中しているようですし」
「なら配置はいつも通りでいいですね」

 順はメガネを人差し指で上げながら辺りの人物を見ていく。

「山口は俺と、朋以は静川と、ここに居ませんが川田と林はいつもの場所で待機するよう言っておきます」

それと、と順が話を続ける。

「会長はここをお願いします」
「……分かりました」

 そうは言うが、シエは目を伏せて何かを思い悩むように小さく眉をひそめた。
それに気付かず四人は動き始める。
 静川、と呼ばれた男子生徒は静川 珠喇(しずかわ じゅら)。黒髪で、耳元の毛束がぴょこんと跳ねている。それと、目がぱっちりとしている事もあり、見た目は可愛らしいものだ。
持っていたゲーム機からゲームオーバーを知らせる音が鳴り、珠喇はその見た目に似合わず不機嫌そうに舌打ちを零す。そしてそのゲーム機をソファへと投げ捨てると、扉に向かって歩いていく。

「めんどくさいなー。せっかくいい所だったのに」
「まーまー。落ち着けよ珠喇」

 香偲は親しげにその肩に手を回すと、にやりと怪しく笑った。

「さっさと殺っちまえば終いだ」
「早急に片付けて戻るぞ。会長を長い間一人にはできない」
「ああ、もう少し人数がいればシエを守る役が作れるのに……」

 順と愛の言葉にシエはいえいえ、と首を横に振って、気にしないでください、と苦笑いを浮かべる。
そして真剣な表情をしてその四人を見つめた。

「くれぐれも、見られないように」

 そんな言葉にすら珠喇は、はいはい、と見もせずに軽く手を振ると、そのまま四人は生徒会室を後にした。
 一人になったシエはゆっくりと窓に歩み寄ると、そこから校内を見下ろす。さっきの気配、あれは……。

「呪いの子が……居る……」

ならば、やることは一つ。
一刻も早く見つけなければ。


 暑い日差し。今日は少しマシだ。それに加えて爽やかな風が吹いていて、夏にしては涼しい。
それを屋上で感じながら、あむ、と竜也はおにぎりにかぶりつく。そしてもぐもぐと味わうようによく噛みながら、やっぱツナマヨ最高、ともごもごと呟いた。
その様子にヒロが見守るように微笑む。

「ほんと好きだね、ツナマヨ。いつも食べてる」
「ずっと食べてられるよ」
「事実食べてるもんね」

 あはは、と若干苦笑いでそう言うと、自身もサンドイッチを頬張る。
ちなみに具はカツだ。最近ヒロの中で密かにブームだった。
 お待たせ、と佑馬が歩いてくる。だがその足取りはどこか重く、表情も暗いように感じた。

「なんの電話?ていうかどうしたの?」
「実は……さ」

ヒロの言葉に佑馬が俯く。
 竜也は目を見張りその体を強ばらせる。まさか、まさかとうとう不幸にしてしまったのか?
佑馬には三人の兄妹が居た。三人ともまだ幼く、母親の代わりに佑馬が大切に育ててきたのだ。……まさか。そんな。
バクバクと心臓がうるさかった。
 佑馬は意を決したように拳を握りしめ、そして。
その二つの拳を天高く掲げた。

「オーディション、受かりましたああーーっ!!」

 声高らかに発表された、思わぬ言葉。竜也とヒロは呆気に取られたようにぽかんと口を開けたままその佑馬を見上げていた。
だがすぐに、二人の表情は一気にぱっと明るくなった。

「ぇぇえええ!?」

 そして誰からともなく三人で抱き合う。
言うまでもなく、ツナマヨとカツサンドは残念そうに地面に転がっていた。

「おめでとう!おめでとう佑馬!」
「ひとまず進んだね!しかもあの有名なオーディションで受かるなんて……!」

 やっと、やっとだね、とヒロは若干涙目で佑馬を祝福する。
佑馬はそれにつられてひっそりと目に涙を溜めて、大きくため息を吐いた。

「お前らのおかげだ、ほんとに……カラオケ連れて行ってくれた上に練習に何度も付き合ってくれるし、代わりにチビたちの面倒も何度も見てくれたし……」
「そんなの俺らは全然」
「そうだよ佑馬」

 竜也とヒロは首を横に振る。そしてヒロは目を細めて佑馬を改めて見つめた。

「やっと、歌手への道を進めたね」
「ああ」

 佑馬はこくりと強く頷く。そして一気に嬉しさが溢れたように再び二人を強く抱き締めた。

「結構大きな一歩だよな!これ!?」
「あはは、そうだね」

 竜也がつられたように笑みを零しながら、そんな佑馬の頭を撫でる。

「いいこと続きじゃん!俺もオーディション受かるし、ヒロはこの前大会の代表に選抜されたし!」
「たしかにそうかも」
「えへへ、改めて言われるとなんだか恥ずかしいね」
「これは竜也にもいい事が起きるな!」
「えぇぇ……でも俺目指してるものもないし……」

うーん、と悩む竜也に佑馬は、欲無さすぎ!と苦笑いを零した。

「出会って二年だけど、ほんと夢とか目標とか無いのなー。なんだか心配になっちゃうぜ」
「欲が無いだけだよ」
「でもきっと、竜也の願いも叶うよ。竜也は何を願う?」

ヒロの言葉に、竜也は改めて考えてみることにした。
しかし、なりたいものも何も無い……。あ、強いて言えば。

「平凡な毎日を送る……」
「他は?それはまあわかるけど、なんか違う」

首を横に振る佑馬に困ったように眉を下げて、竜也はまた考えてみた。
今で十分楽しい。幸せだ。それはこの二人のおかげ。そうなると……。

「俺は二人が居たら、それで……」

そこまで言ってはっと、声に出してしまっていた事に気が付いた。
しかし時すでに遅く、佑馬とヒロは嬉しそうににまにま、と笑っている。
その二人を見て竜也は一気に恥ずかしくなり、ぼっと顔を赤らめた。

「やっぱなんでもない!」
「そーか、そーかぁ」
「俺らもだよ、竜也」

 嬉しそうな二人と違い、竜也は一瞬で暑くなった体を冷ますように服をパタパタと動かしていた。

「あーーっ、恥っず」

​────幸せそうだね。
 竜也は目を見張って、意識が水に沈んでいくのを感じた。


 ゆっくりと沈んでいく体は自由が効かず、竜也はただ身を任せて深く深く沈んでいく。
ここは冷たい。暗い。寂しい場所だ。上を見上げても暗闇しかない。息はできるが息苦しい。……苦しい。

「分かってるよ」

 竜也がそう呟くと、下にいる影が竜也をふわりと抱きとめ、そっと下に降ろした。相変わらず変な場所だ。
 辺にあるのはハリボテの劇の小物たち。茂みや、木、ここには似合わない森の背景すらある。……相変わらず、空っぽだ。

​────分かってない。あの二人を不幸にしてしまうんだよ。それでもいいの?

 影は責めることなく、優しくそう語り掛ける。
竜也はその言葉を否定するように急いで顔を向けて、違う!と声を上げた。

「良くない、そんなわけない!でも……!」

​────あなたが我慢すればいいだけじゃない。

 どこからか女性の声が聞こえると、足元から無数の手が這い上がってきた。それらは先程の影と違い、責めるように竜也を追い詰めていく。
やがて、様々な声が聞こえてきた。

​────別にあの二人はお前が居なくなっても何も思わないですよ。むしろ、幸せになるんですし。
​────諦めた方がいいぜ。殺したくないんならな。
​────言ったじゃん!あんたはそーゆーもんなの!そーゆー宿命なのよ!

ああもう、うるさい。

「うるさい!!!」

 竜也が声を荒らげそう叫ぶとその無数の手にヒビが入り水に溶けていった。
しん、と辺りは耳が痛いほどの静寂に包まれる。
黙って見ていた影は、ようやく言葉を発した。

​────竜也。辛いのはわかるよ。でもね

「わかってるんだって。やらなきゃいけないことはするよ。だから、あと少し……せめて、夏休みまでは……」

​────ダメだよ。運命は待ってくれない。

 影の声が一際低くなる。竜也から離れると、上を見上げた。そしていつの間にかスポットライトに照らされる形で椅子がひとつ、ぽつりとそこにあった。

​────どうしてもわがままを言うのなら、……俺が、借りる。

その言葉に竜也は目を見開く。そして椅子へと向かう影を追いかけた。

「待って!お願い!」
​────いい?

影は振り返ると、恐らく竜也を見つめる。

​────俺らは竜也のために言ってるんだからね。



「​──竜也!!」

 体を揺さぶられ、竜也は、はっと意識が戻る。
とはいえずっと目は開けていたらしい。目の前には心配そうに顔を覗き込む二人の顔。
気づけば小さく、息が乱れていた。

「大丈夫?いつもより酷そうだったよ」
「最近増えてるな。なあ、やっぱり病院行こうぜ。心配だ」
「……うん……」

それでどうにかなるなら、どれだけ……。
竜也は強く目を瞑って、何度も首を横に振る。そんな竜也を佑馬は心配そうに見つめていた。

 俺ら呪いの子は、ある力を貰った代償にその呪いを受けたと言う。だがまだ不幸にさせたことは無い。小中とアザがある右目のせいで不気味だと言われ虐められたが特に誰も不幸にはなっていない。だからそう言われてるだけで、実際は何もないのだと……信じたい。
 だって折角二人と出会えた。あの日海に入る俺を、救い上げてくれた。
やっと出逢えた大切な存在。そんな二人から離れたくない。でも、不幸にもしたくない。俺のワガママだ、それでも……どうすれば……。

「あれ?あそこに居るのって……」

 下を見下ろしていた佑馬の声に気づき、そちらに顔を向ける。ヒロもつられたように覗き込む。すると怯えた様子で、生徒会長……と言葉を漏らしていた。

「ほんとヒロは怖がりな。なんもして来ねぇよ」
「いや、単純に無表情なのにキツいあの目が怖くて……」
「あー、そりゃどうしようもないな」

竜也もそこへ歩み寄ると、下を見下ろした。
 生徒会長一人か。キョロキョロと辺りを気にしながら少し走るように動いている。……ん?なにか……。

「会長……何かから逃げてない?」
「え?」
「……さき帰ってて!」
「えっ竜也は?」
「ちょっと見てくる!」

 そう言うと竜也は階段を駆け下りた。一瞬見えた。女生徒に追いかけられていたのだ。しかしあれは、ただの生徒じゃない。恐らく、人間ですらない。

「巻き込まれてる……!」

 生徒会は俺とは違うと思う。呪いの子同士はなにか勘づくらしく、仲間同士わかるようになっているのだ。それなのにわからないって言うのは、あのグループがただの一般人であることを示してる!
 確認するように窓から覗き込むと、壁に追い詰められていた。くそ。間に合わない……!
辺りを見渡して誰も居ないことを確かめると、ゆっくり呼吸を整えた。そして​──飛び降りた。
 そのまま着地と同時に女生徒を踏みつける。シエは驚いたように口を開けて竜也を見ていた。
竜也は女生徒の頭を地面に押し付けながら、叫んだ。

「​──逃げて!!」

 それに圧倒されたようにシエは後退り、走り去った。これでいい。これで……。

「見られたら、まずいでしょ……」

そして女生徒から距離を取るように離れながら、空間が裂けていく中から大鎌をずるりと取り出した。

「こんなの、さ」

やっぱり、そうだ。これは。
 立ち上がり顔を上げた女生徒の目は真っ黒だった。
ヒヒヒ、と不気味に笑って自身の頭から流れてきた血を舐めとる。

「あらァ?気付かれちゃってたの。つまんないわねェ?ていうか、女同士の話に首突っ込んじゃダメよォ坊や」

 そう言う女の首が気味悪く伸びていく。ろくろ首……妖怪か。
でもなんだ、妖怪なんているのか?これは幻覚……そういう力? だめだ、ヒントが無いせいで何も分からない。

「……でも、分からなくても困らないな」
「ンン?なんのお話?割って入ったかと思いきや今度は置いていくの?ほんと、女の扱いが分からないのねェ」
「おばさんはちょっと、分からないかな」

 その言葉に女はぎり、と奥歯を噛み締める。そして鋭く睨んできた。ゆらりとら女が纏う空気が変わった。

「いいわ、この首で絞め殺してあげる!!」

 先程とは違い素早く伸びてくる首を避けながら、竜也は距離を取る。

「長いと、切りやすそうでいいね……!」

でも、待て。これって人なのか? 人殺しになるのか? 別に殺したいわけじゃ……でも、躊躇したらやられる。
 その隙に鎌を持っていたその手ごと、体を締め上げられた。しまった……!

「あらァ?さっきまでの威勢はどうしたのかしらァ?」
「くっ、早……!」
「そりゃあ、戦うために訓練されたもの」
「訓練、か……」

竜也は鎌を握る手に力を込める。

「嫌な言葉、だな!」

そして鎌を小さくするとその首を切りつけた。
女は叫びながらよろめく形で竜也から離れる。そして悔しそうに竜也を睨んだ。

「この……!」
「首でしか攻撃できないのか?そりゃ大変だね。首なんて大事な血管いっぱいなのに」

鎌を元のサイズに戻して、構え直す。慣れた重さだ。すっかり信頼している。

「殺されなくなかったら」

 すると、目の前の女の首がずれて、下にゴトリと落ちた。なんだ?なにもしてないのに勝手に……?

「無事?」

 駆け寄ってきたのは生徒会会計、珠喇だ。しかし竜也が持つ大鎌を見て動揺したように声を漏らす。

「え?なに……なんでそんな武器……」

 竜也の目が見開かれていく。
──気付かれるな。バレたらその場で。
その言葉がぐるりと頭の中で広がった。
 そして大鎌をくるりと持ち替えるとそのまま珠喇のもとへと走り、首を落とそうと大鎌を振った。
珠喇は咄嗟に後ろへと下がる。が、気付けば首から血が吹き出していた。
そのままどさり、と地面に倒れ込む。首からはずっと血が溢れていた。

「……あ、ああ……」

大鎌を落とし、竜也は頭を抱える。
やった。やっちゃった。殺した?殺した。死んでる。これは血が止まらない。俺が、​───殺った。
叫ぼうと開けた口を、後ろから生徒会書記、香偲によって押さえられる。

「おい騒ぐなよ!テメェも呪いの子か!?そうだよな、じゃなきゃそんなもん持ってねぇよな!?」

──勘づかれるな。
そして爪でその香偲の首を切り裂く。
香偲は吹き出る血を押さえて後ろへと下がった。
爪だからまだ浅いが、それでも十分な攻撃だ。血が、止まらない。これはまずい。ごふ、と血を吐きながら声を絞り出した。

「落ち着、け……」

そんな香偲を気にすることなく竜也は大鎌を振り上げる。

「​──殺さなきゃ」

 その竜也の前に順が飛び降りた。そしてその勢いのまま、竜也の鳩尾を思い切り殴る。
ぐはっ、と竜也は息を吐き出して、倒れ込んだ。

「……ま、た……みられ……やらな、きゃ、……」

そして竜也は目を閉じた。
順は息を切らして、その竜也を見下ろす。

「……なんなんだ、コイツは……」


 重い瞼を上げる。見えたのは自分の足元。椅子に、座っているのか。う、なぜかお腹が痛い……。思い切り殴られたようだ。
同じように重い頭を持ち上げて、目の前の順に気付いた。

「起きたか」
「……生徒会、の……」

 立ち上がろうとするが、体が動かない。まるでなにかに押さえつけられている様な…。
そこで、自分が縛られていることに気が付く。な、なんで!?

「悪く思うな。お前は危険すぎる。お前は二人もやっただろ」

思い出した。……俺は、なんてことを……。
動揺する竜也を落ち着けるように、愛が話しかける。

「落ち着いて。二人は無事よ」
「嘘だ!あんな傷で……!」
「治るっつーの」

 香偲はソファに座りながら、そう言った。
体に着いた血を拭きながら竜也に顔を向ける。

「テメェも呪いの子なら分かるだろ」
「……も?」
「俺らもそうだよ。呪いの子。能力持ち。分かる?ていうかなんてことしてくれたんだよ、服汚れたし……」
「血って落ちにくいのよね……」

珠喇は不機嫌そうに体をゴシゴシと拭いていた。
順が振り返りながら腕を組む。

「今洗ってるだろ。文句言うな。そのせいで会長も避難しなければならなくなった」
「!あ、会長無事なの!?」

 慌てて声を上げると、愛は、まずはそうね、と竜也に歩み寄った。そして手探りで竜也の頬に触れる。

「シエを助けてくれてありがとう。私たちが出てる間に襲われたみたいね。連絡もできなかったけど、貴方が逃がしてくれたから助けを呼べたのよ。本当に助かったわ。シエは治らないから、危ないのよ」
「学校も安全じゃなくなってきたな……とうとうンなとこまで……」

 香偲が悔しそうに眉を顰める。だが珠喇は竜也を呆れるようにジトリと見ていた。

「俺ら殺したのに会長の心配って……」
「!ご、ごめん……」

そして、はっと顔を上げる。

「……って、生徒会が呪いの子!?いやそんな気配一切……!」
「呪いの子同士はなにか感じると言いますが、そういう人もいるというだけです。事実、生徒会でも少し感じることが出来るのは私と理央さん、香偲さんだけですし。まあ体質のようなものですね」

 シエは軽く目元を押さえながら生徒会室に入ってきた。順が、無理はせずに……と気を遣いながら歩み寄る。

「やっぱり、どこか怪我して……」
「あっいえ!そういう訳では……!」
「シエは男の子の裸が苦手なの。今ふたりとも服洗ってるところでしょう?だから避難してたのよ」

 え、あ、そういう? ホッとすると肩の力が抜けた。なんだそれ。びっくりするじゃないか。

「先程はありがとうございました。私は未だ力が分からなくて、使えないんです……」
「いや、それは別に……ていうか、呪いの子って本当?」
「はい」

 そう言うとシエは押さえていた手をそっと下ろした。
珠喇が、ちょっとシャワー浴びてくる、と言うと順は追っ払うようにしっしっと手を動かしていた。

「私はまだどんな力か把握出来てませんが……順さんは腕力がアップする様で、愛さんは手を握って想像することにより色んなことが出来ます。珠喇さんは鋭い刃を出して操り、香偲さんは防御、そしてここにはいませんが理央さんは空を飛べて、アヤカさんは物に触れることで情報を読みます」

す、すごい。しかも全員なのか。
 呆気にとられていると、シエが、伊藤さんは?と首を傾げる。
竜也は思わず目を伏せた。

「えと、俺は……大鎌、出したり……」
「戦闘慣れはしてそうだったな。オレらより力も上手く操ってた気がする」

香偲がそう言うと順は黙って頷く。

「……や、ちょっと……自分で特訓してて」
「すごい!尊敬します!」

 シエが目を輝かせて顔を覗き込んできた。き、きらきらしとる……。
というか、会長……性格違いすぎない?もっとクールじゃなかったか?
 するとそれを察したように香偲がにまりと微笑みながら教えてくれた。

「会長はそんなもんだぜ。全員の前では緊張してあんな感じだけどよ」
「は、恥ずかしいのでやめてください、強ばってるだけです!」

そうなんだ。てかめっちゃ仲良いんだな、生徒会って……。
そんな事を思いながら、竜也は、早く解放してくれないかな、なんて考えていた。

「と、とりあえず」

シエが改まるように、こほん、と咳をこぼした。

「提案があるんです」
「提案?」
「……生徒会に、入りませんか?」
「え。……え?」

 ぽかん、とそのシエを見上げる。そしてそのまま、ゆっくりと目を逸らした。

「えと……あー……考えときマス……」


「いやいやいや……あんな目立つ集団に入ったらほんとに俺の高校生活終わる……俺はとにかく穏やかに過ごしたいのに……」
「まーたブツブツ言ってら」

 教室の隅。佑馬の呆れた言葉に、今度は意識あるよ、なんて竜也がきりりとわざとらしく真剣な顔をして佑馬を見る。

「この会話、よく考えなくてもおかしいんだろうな……」

ヒロは天井を見上げて、うーん、と苦笑いを浮かべた。
 でも得も、ある。
竜也はふむ、と顔を伏せて考える。そして生徒会とのやり取りを思い出していた。


​「​────それはそうと、呪いの子っていうけど実際には不幸にしなくない?俺生きてる中でそんな経験無かったんだけど」
「そう、なんですか?」

 はて、とシエは不思議そうに首を傾げた。だが順がお菓子を片付けながら、言葉を発す。

「それはたまたま、運が良かっただけだ。……呪いの子は、たしかに周りを不幸にする」
「そんなはっきり言わなくても……」

愛が眉を下げた。だが、と順は振り返って竜也を見た。

「会長にはそれを緩める力がある。事実、俺らも生徒会に入って共にいるようになってから格段に減った。だから会長はお前を誘ってるんだ。お前が、今を失わなくて済むように​────」

「今を失わないように、か」
「藤沢ー監督呼んでるー」

 教室に入ってきた生徒はヒロにそう言うと、ヒロは、はーい!、と返事をする。

「ちょっと行ってくるね」

そう言って走っていった。
佑馬は、はー、と関心したように声を漏らす。

「休み時間にまで大変だな」
「ねー。……そういえば佑馬……お母さん、どう?」

 佑馬に向き直ると、竜也は口を開いた。
普段は明るく、どちらかというとおふざけキャラな佑馬だが家ではお兄ちゃん、そして同級生に対しても面倒見が良く人気者だ。そんな彼の家庭は少し複雑で、母親は不器用な人で育児が出来なかった。毎晩のようにどこかへと出かけ、佑馬に任せきりだ。そんな状況を佑馬はどうにかしたいと色々一人で考えているのだ。なにか、力になれたならいいんだけれど。
 佑馬は、あー、と声を漏らしながら少し目を逸らした。

「家に帰ってくるのは増えたんだけど……やっぱまだかな。扱い方わかんなさすぎてめちゃくちゃ距離あるし、チビたちがそれにビビってる。努力は見えんだけどな」
「そっか……」
「ま、地道にでも進んでくれてっからいいけどなー」

 佑馬はそう言って伸びをすると、その両手を下ろして今度は竜也に顔を向ける。お前はどうなんだよ、と真っ直ぐ見つめて。

「なんか悩み、あんだろ?見てりゃわかるよ」
「……いつか、話せたらなとは思ってる。けど…」
「今ではない、かー」
「……うん、ごめんね」
「んーや?ゆっくりな」

竜也は目を伏せる。
不幸に……か。今まで無かったとしても、これからも無いとは限らない。そりゃそうだ。油断していた。
これは、目立つけど生徒会に入った方がいいのかな?

​────アイツらとは関わらないで!

どこからか聞こえた声に、竜也が振り返る。

「……辰也(たつや)?」
「え?」

 佑馬が不思議そうに首を傾げた時。男子生徒が教室に入ってきた。そして緊迫した様子で、おい!と声を上げる。

「藤沢が!!」

 その言葉に、竜也はゆっくりと目を見開いた。
──幸せが、崩れる音がする。
考えるより先に体が動き、いつの間にか走っていた。
竜也!!と後ろから佑馬の声が聞こえる。

バラバラ。バラバラ。バラバラ。バラバラ。

 人をかき分けて、階段を駆け下りる。そして人混みを見つけるとそこまで走った。

「ヒロ……ヒロは……!」
「!伊藤、藤沢が!」

 下から呼びかけられて、階段の下に目をやる。
思わず息を飲んだ。倒れている木材の下。そこに、ヒロは居た。

「​──ヒロ!!」

 駆け下り、そのヒロのそばにしゃがみこむ。返事がない。動かない。どうやら意識はないようだ。
息は?息はしてるの?

「ヒロ!しっかりして、ヒロ!」
「木材持ってたんだ……そこを、だっ誰かに押されて……!じゃあ藤沢に当たって、それで……!あああ…おれのせいだ……!」

 近くにいた男子生徒が動揺していたが、今そちらに意識は向けられない。とにかく焦る気持ちを抑えられずにひたすらに呼びかけた。

「ヒロ!」

そして揺さぶろうと手を伸ばした時。

「動かさないで!!」

 声が聞こえて思わず手が止まった。そこに駆け寄ってきたのは、シエだった。
冷静な表情でヒロに目を向ける。

「頭を打ってると思います。ほら、頭の下に血が。油断出来ないとはいえ息もまだしっかりとあるようです。救急車も先程呼んだので、もうすぐ来るでしょう」

その言葉に竜也はほっと胸をなでおろした。が。

「足……足は……」

顔を足元に向けた時。心臓を掴まれた気がした。
 木材それぞれが重いのに数が多いせいだろう。そんな木材に押される形で挫いた足は……木材の下で、ぐちゃりと曲がってしまっていた。
​──足が。

「竜也!ヒロ!」

駆けつけた佑馬の声に、竜也はゆっくりと振り返った。

「佑馬……ヒロが、ヒロの足が……」

涙を浮かべながら弱々しく零す竜也を見て、佑馬は一瞬眉を下げる。が、すぐに表情を切り替えて竜也に歩みよった。

「大丈夫、きっと大丈夫だ……」

竜也の頭を片手で抱き寄せ、頭を撫でる。そして、くそ、と悔しそうに顔を歪めた。
竜也は佑馬の肩に顔を埋めたまま、小さく零す。

「おれ、の……」
「それは違います。きっと、事故ですよ」

シエは竜也の肩に触れて、真剣な顔でじっと見つめた。今まで見てきたどんな表情とも違い、こんな状況にも関わらず冷静なものだった。
だが竜也は拳を強く握りしめる。

「そんな証拠、どこにも……そんな根拠、なんにもない」

そう聞いたシエは複雑そうに、悔しそうに唇を噛み締める。
バラバラ。バラバラ。バラバラ。バラバラ。
竜也の頭でしつこく響くその音はまるで、警告音だ。逃げられるはずないのだと、そんな甘くないのだと、俺を追い詰める。
 これは、逃げた俺への罰なのか。
ごめん、とヒロの足に触れる。震えた手で、祈るように。

「……どうか、無事でありますように……」


「さて、と!」

 少女は、ビルの屋上から街を見下ろしていた。そして伸びをしてそう言うと、改めて街を見る。

「鬼ごっこ?上等じゃん」

そしてにやりと怪しく口角を吊り上げた。

「すぐに捕まえてあげるからね」

逃げられないよ、分かってるでしょ。
そう言った時には、その少女は居なかった。


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