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【LOT・修羅組編】第三章 香偲

「話……?」

 青年を見ても、やはりなにも感じ取れない。何を考えているのか、どんな感情なのか。何も分からない。
ひとつ分かるのは殺意はないということ。
それが幸いだが、殺す気はなくとも傷付ける気があれば話は別だ。

 それに、ここはどこだ。いつの間に俺たちはこんな所に居た?
考えられるのは、結界のようなものを作れるか、テレポートすることが出来る、幻覚を使える、時を止める、あたりだろうか?
それらの答えがたどり着くのは、少なくとも青年は一般人では無いということ。
つまり。

「……呪いの子、だよね?」
「あぁ。そうだ」
「話すのが目的なの?」

青年は頷く。そしてゆっくりと二人へと足を進める。
思わず竜也が青年の前に立ち、身構えた。

「話すだけならそのままでもいいよね?」
「……まあ」
「じゃあ、そのままで。まだ信用出来ないからね」

青年はじっと見つめた後、分かった、と小さく呟く。
 「まずは自己紹介か」と青年が冷静な声で話を切り出した。

「俺は残福麻普(ざんさぎまひろ)。修羅組だ」

 修羅組。そのこと自体は別にいい。好戦的なグループではないようだから。
だが、その中で彼は「どっち」だ?異変が起きているのか、起きていないのか。
どちらか分からない今はまだ警戒を解くわけにはいかない。どんな能力かも分かっていないのだから。
一見するとまだ落ち着いてはいるようだが。

「気になるだろうから先に言っておくけど、俺はまだ大丈夫な方だよ。今のところ何も変化はない」
「……一応信用しておく。確かに大丈夫そうだし」
「助かる」

青年、もとい麻普は相変わらず落ち着いていて、ニコリともせずクールだが威圧的なものは一切感じない。
ただ静かに二人を見つめていた。

「で、話だけど」

うん、と珠喇が小さく頷く。
なんだろう、なにか聞いてはいけない気がする……となぜか頭をよぎる。
頭の中で警鐘が鳴り響いているようだった。

「朋以香偲……あいつは偽物だよ」
「……え?」
「あいつは、朋以香偲じゃない」

目が自然と見開かれていく。
その言葉がぐるぐると何度も何度も頭の中を駆け巡っていた。
ニセモノ?香偲は……香偲じゃない?
 ちょっと待て、と思わず竜也が口を挟む。

「どういう事?香偲が偽物って……」
「言ったままだよ。あいつは朋以香偲じゃない」
「うそ、だろ。だいたい、何を根拠に……」
「朋以香偲は俺の本名だから」

突きつけられた生徒手帳で、信じたくないことがどんどんと現実味を帯びていった。
目の前に居る人間が朋以香偲。偽装の手帳かもしれないのに、不思議と信じることが出来た。
残福麻普じゃなくて、朋以香偲。
じゃあ、「香偲」は?

「香偲は……アイツは、誰なの?」

珠喇が震える声で尋ねる。
頭の中の彼が、少しずつ薄れていく気がした。

「……本名だと不便だから、偽名を名乗ってるんだ」

 二人を置いて麻普は話を続ける。
「修羅組はフルネーム名乗ってる人も少ないしね」と、さらに冷静に付け加えた。
だがもちろん二人はそれをすんなりと聞くことは出来なかった。今まで信じていた、いや当然だと思っていたことが嘘かもしれないのだ。
信じたくない。だが、彼が嘘を吐いているとも思えない。生徒手帳だってある。
 不思議と、素直に「香偲」への疑問が深まっていく。
彼に謎が多いのは、何かを隠しているからでは無いのか。

 しかし、いくら考えたところで事実は見えてこない。
麻普の言っていることは嘘かもしれない、手帳だって偽装かもしれない、とただ信じるしかない。
親友として、一緒に過ごした香偲を信じたい。珠喇はやはりそう思う。
 麻普はその思考を読んだかのように、静かに口を開いた。

「本人に聞いてみるといい。俺の言葉より信じられるだろ」

嘘は言ってないけど。と麻普はただ真っ直ぐに目を向けてきた。
 正直……怖い。聞くのが、怖い。
だが彼の口から聞きたい。何が本当で、何が嘘なのか。
麻普が間違っている、嘘を言っているのだと。そう言って欲しい。

 気付けば麻普は居なくなっていた。辺りも、いつもの道に戻っている。
結局分からないことだらけで、珠喇は頭が痛くなるのを感じた。

「とりあえず、明日聞いてみようよ」

そう言ったのは竜也だった。
そう、だね。
珠喇は曖昧な言葉しか返せなかった。


 気持ちのいいはずの朝。しかし珠喇の心を表すかのように、空は今にも雨が降りそうなほど黒い雲が空を覆っていた。

 黙って、家を出てしまった。同じ家だからいつもは一緒に出るけど……どうしても顔を合わせられなくて。ご飯も食べずに、出て来てしまったのだ。
 母さんはさぞ心配だろう。いままで仲の良かった二人が口を聞かないのだから。いや、どちらかというと俺が何も応えなかったのだが。
 思えば昨日もロクに口を聞かなかった気がする。帰って食事も取らずに先に寝て。
我ながら、どれほど恐れているのか。笑えてくる。

 どんな香偲でも俺は良いと思っていた。幼なじみで親友。代わりなんてきかない、とても大切な存在。
 でも。……でも。「香偲」じゃなければどうすればいい?何のために、俺に嘘をついたの?何のために、偽名で俺のもとへ来たの?
さっさと聞いてしまえばいいのに、聞く勇気が出ない。
……怖い。

「珠喇」

 後ろから聞こえたのは、大好きなはずの香偲の声。しかし今は。
振り返らずに、「なに」とだけ応える。

「昨日からどうしたんだよ。叔母さん、心配してんぞ」

やっぱりそうだよね。ごめん母さん。……でも。

「……てか」

後ろから聞こえる香偲の声が曇る。
 ふとぽつりと雫が頬にあたった。……雨が、降ってきたのか。こんな気持ちなのに、更に雨なんて……今はいつもより鬱陶しく感じた。

「オレ……何かした?」

 どこか寂しそうな香偲の声。珠喇は少し目を見開いた後、迷ってる自分を抑えるようにぐっと唇を噛み締めた。
何故か息が乱れて、その勢いのまま叫ぶように声を上げる。

「お前は!……お前は、誰なんだよ……」

後ろから声が聞こえなくなった。
……お願いだから、どうか。

「お前は……香偲、だよね……?」

 恐る恐る振り返った先に見たのは、無表情で黙る香偲。
ほら、言って。何言ってんだって。怒ってくれていい。だから、どうか。

「……香偲が、来たんだな」

 嗚呼。……嗚呼。
雨が、強くアスファルトを打ち付けてやがて二人の服を濡らしていく。
香偲が、何かを嘲笑うように顔を歪ませた。

「そうだよ。オレは朋以香偲じゃねェ」

珠喇の瞳から溢れる涙を見て、香偲は釣られたように眉を下げる。

「……ごめんな」

雨が二人の体を冷やしていった。


 生徒会室に、びしょ濡れの香偲と珠喇が入ってきた。
突然の事だ。黙り込む珠喇の横で香偲は何があったかも話さず、ただ一言こう言った。

「話がある」

その真剣さに生徒会室が静まり返った。

 それが、ついさっきまでの出来事だ。
今は香偲と珠喇がそれぞれ頭を拭いている。
いつもは仲のいい二人の間に、どこか壁を感じてその場にいる全員が声をかけることが出来なかった。
 一体何があったんだろうと疑問が渦巻く中、竜也はその二人をただ静かに見つめる。
ああ、やっぱりそうだったんだ。と、その二人を見て感じ取ってしまう。
まだ短い付き合いの自分が動揺しているのだから、長い付き合いの珠喇は相当なものだろう。
彼の胸中を思うだけで、胸が痛い。

「……で、どういう事だ?」

 沈黙を破ったのは、順だった。
香偲はその順を真っ直ぐ見つめると、そうだなと口を開く。
そろそろ何の話かぐらい言わねェとな。香偲は改めて生徒会に向き合う。

「オレは、「朋以香偲」じゃねェ」

生徒会室がどよめく。
とはいえ、と香偲は続けた。

「名前が違ェだけで、お前らと過ごしたのはオレだ」
「ややこしいな」

理央が顔を顰める。
過ごしたのは彼であったとしても、各々気持ちは複雑だろう。
しかし全員が気にしたのは、やはり珠喇だ。
その珠喇はずっと黙って、自身の足元を眺めていた。
 続けるように香偲が再び口を開く。

「朋以香偲は修羅組に居る奴の名前だ。ちっと知り合いでな。まさか修羅組に居るとは思わなかったが」

ま、そんな事よりか。と香偲は全員の思いを感じてそう言うと、少し気まずそうに指先で頬をかいた。

「んー……どう説明すっか……。どの道お前らが納得いく答えなんて無ェのは分かってるんだが……そう、だな」

香偲は笑顔を向ける。

「オレの本当の名前は紺沢 海豚(こんざわ いるか)……家は、少し離れたところにある。家出の理由は本当だ、そこは嘘は吐いてねェ。んで名前偽ったのは家族に居場所とかバレたくねェからだ。でもたまに遊びに行ってっからそこは安心してくれ」
「そこの心配なんてしてない」

順が眉を寄せながらそんな香偲……海豚を見つめた。
彼自身思うことがあるのだろう。
ふと拳を強く握り締めると、思い切り海豚の頬を殴った。
能力こそ使っていないが怒りの乗った拳は重かったようで、海豚はそのまますぐ後ろの壁にぶつかってしまう。
その重い空気に耐えられず、シエが声をかける。

「ちょっと落ち着いてください。話を」
「こいつの話なんて信用出来ません。名前だけが嘘だなんて、証明出来るのか」

順はただ海豚を睨み付けている。
今まで過ごした時間、それだけの時間を騙されていたなんて。そんな奴を信じて、暮らしていたなんて。
海豚はその問いかけに応えず、ただ赤くなった頬に触れた。

「はは、テメェやっぱ力強……」
「こたえろ、紺沢」

紺沢、という言葉に海豚が少し俯く。それは今まで過ごした「朋以香偲」に向けた言葉ではなく、「紺沢海豚」に向けられた敵意。
 海豚は生徒会を見渡し、困ったように笑ってみせた。

「それが、困んだよな。テメェらに、どう証明すればいいのか……分かんねェんだよ」

ぴたり、と静まり返った生徒会室。それぞれ思うことはあるが、誰も口に出すことが出来ない。

 信じたい。今までの彼を。過ごした時間を。
しかしこれからは、この先は。一体何を信じればいい?

 はい!とこの場に似つかわしくない明るい声が生徒会室に響く。
手を上げていたのは、アヤカだった。

「香偲っちは……香偲っちじゃなかった、けど。海豚っちは、悪い人じゃない。なにもしないよ」
「どうしてそう言える」

順がそう問いかけると、アヤカは優しく微笑む。

「大丈夫、私の能力が証明してるよ」

海豚の指が、小さく震えた。
 彼女の、アヤカの能力は「アクセス」。触れたものの情報を読み取ること。
そんな彼女とずっと一緒に過ごしていたのだから、出し抜けるはずが無い。
それがなによりの、証拠となる。

「……成程」

順も静かにそう零すと海豚に向き直った。そして、小さく頭を下げる。

「疑って、すまなかった」

海豚はそれを見つめ、首を横に振って笑う。

「いやいや……悪ィのオレなんだから、謝んなよ。テメェは全員のこと大事だからこそ怒ったんだからさ」

それからアヤカへと顔を向けると、側まで歩み寄った。
突然想い人が目の前に来たアヤカは目をパッチリとさせて不自然に辺りを見渡すなど、見るからに動揺している。海豚はそんなアヤカの手をそっと握ると、ぽつり、と小さく声を零した。

「ありがとな、アヤカ」

そう言われたアヤカは、ぼっと火がついたように赤くなってしまった。手から伝わる温もりが何処か恥ずかしくて目が合わせられない。
しかし、しっかりと海豚の目を見つめてからにこりと嬉しそうに微笑む。

「どういたしまして!」

海豚は微笑み返した後、気持ちを切り替えるようにそっと振り返った。
その視線の先には、珠喇。

「珠喇」

そう声を掛けるが、珠喇は俯いたままだ。
 身勝手な理由で傷付けてしまったその罪は重いだろう。それも、長い間。
許されるとは思っていない。……許されたいとは、思ってしまうが。
 珠喇は唇をキュッと結んだ後、大きいため息を吐き出した。そして力が抜けたようにその場にしゃがみこんだ。

「もーーなんだよ……そんな理由かよ……」

くしゃりと髪を握って、海豚を見上げる。その目には怒りよりも呆れが見えた。

「そんな事で高校にも偽名で……てかどうやったのさ」
「そこはまあ、組織が手ェ貸してくれてさ」
「組織……そういうところに手貸すのは早いんだね」

可笑しくなってきたのか、珠喇は笑う。安心したように、嬉しそうに。
そして海豚を見上げると、小さく問いかける。

「もう、嘘ついてないんでしょ?」
「……ああ、ついてねェよ」
「じゃあ、もういいよ」

海豚の唇が、少しだけ震えた気がした。

「許してあげる」

俯く海豚は拳を強く握り締めて頷く。
それを見て珠喇はまた、嬉しそうに笑った。



 その日の夜。雲一つない、綺麗な星空が見えた。
そんな夜空を海豚はしゃがんで路地裏から見上げている。少ししか見えない、そんな場所で。

「はは、あいつらどんだけお人好しなんだろうな。オレみたいな奴許すなんてさ」

視線を落として見つめた手は、小さく震えていた。
小さく噎せ込み、口を抑えていた自分の手を見つめる。そこには、赤いもの。
その手を強く握り締めると、俯いて膝に顔を埋めた。

「あーもう……」

ぎり、と歯を食いしばり夜空を見上げた。
相変わらず綺麗なその夜空と違い、海豚の心には黒い雲が覆っている。
自らを嘲笑うかのように笑みを零すと、はあ、と小さく息を吐き出した。

「あとどんくらい……アイツらと居られっかなあ」

それを遠くから見つめていたのは、体にハート模様がある白い猫。
黙って見つめた後、にゃあ、と小さく鳴いた。

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