
伴走支援ってなんやねん。主体を委ねながら刀を抜く瞬間を見極める。
行政案件でよくある伴走支援。めっちゃふわっとした表現で、何をするのかやってみないとよく分からない。実際に今年はそんな案件が多かったので、感じた事を色々書いていこうかなと。
少し輪郭をたどると、特定の地域で何か事業の実施が決まった時(補助金がとれた時)に、地域の人たちだけでは推進力がないので伴走支援を依頼されるパターンが多いです。役割としては、事務局機能であったり、専門職の経験者があればその領域に対する戦略策定なんかと支援します。
正直、地域の人だけで出来るはずもない事業がなぜか通ってしまったり、過去の決定によって始まってしまった案件の伴走支援に入ることもよくあり、やってみて「なんでこんなやり方がまかり通ってるねん!」と感じることが多々あります。
会議ひとつとっても、目的の設定が曖昧であったり、議事録がちゃんと残されていないので議論が振り出しに戻っていたり、そもそも事業のロードマップがなく、誰かが作った補助金申請の計画に何となく則って走るので目指す目標もぼんやりとしたまま、ただただ時間が過ぎていく。。なんやこれ、会社でこんな進め方したら先輩から絞られるぞ。
そんな場に対してズケズケと入っていって、目標設定をしたり、会議のファシリテーションをして、場を整えていくことも、もちろん可能。ですが、これって伴走支援業務としては真っ当なのでしょうか?
例えば1年間の伴走支援業務だとして、事業の方針に応じた会議やワークショップの設計、イベント企画なんかをして現場にもガンガン出ていったとしましょう。それなりの成果物も出来上がり、報告書には色んなことが書け、年度末には一定のやりきった感をもって伴走支援業務を終えます。
「この1年いろいろ頑張ったし、来年は地域のみなさんが更に頑張ってくれるでしょう~」で、翌年から地域の方たちだけで更なる推進ができるのだろうか?たぶん無理。
結局、伴走支援は伴走支援でしかなくて、主体は地域側にないと何の意味もない。誰が当事者意識を持って動いているのか、誰が熱量もって地域を巻き込んでいくのか、それは僕ら外部の人間じゃなくて中の人から湧き出てこないと持続しない。
そう簡単には上手くいかないまちづくり、地元の人同士で難しい議論をしなきゃいけないし、時には辛い決断をしたり、今までの関係性を崩すような動きも必要になってくる。そんな交渉事を外部の人間が簡単にできるもんじゃないし、仮にやったとしても話が進まずらちが明かなくなって投げ出すのが目に見えます。
だから、主体は地域に委ねる。覚悟を決めて主体となって動いてる人は誰なのか。そうなりうる人をどう温めていくのか。めっちゃ悶々としながら進んでいくしかないけど、伴走支援って今はそんな業務だと感じている、なんか子育てみたいだけど。笑
時間はかかるし、思うように進まないことだらけ。ある程度の割り切りもないとメンタル的にしんどくなる。ホント、口を開けば「もうダメだ」「どうしたらいいんだ」「若い人がいてくれれば」みたいな苦言しか出てこない場に1時間も2時間も居たら病みます。「なんやねんこの時間、家族との時間返せよ」と思いながら帰路につくともよくある。
だから、ここぞという瞬間を見極めて自分たちの価値を出すタイミングは作らないといけない。主体を委ねつつ、伴走していきながら軌道修正したり、自分たちの得意領域の方向に持っていったりしながら、刀を抜く瞬間をつくる。
だいたい、伴走支援業務を受けるか判断する段階で、この辺りの算段はつけてるもんだと思います。じゃないと、主体を委ね続けてただ耐えるだけの仕事なんておもんないですから。お金目的だけのハイエナコンサルは除く。
蓋を開けたらどうしようもない状態でも、時間をかけながら主体を探り、委ね、自分たちが力を発揮できる領域にもっていく。今のところ、伴走支援業務ってそんなもんだと思いながらやってます。