6浪して大学へ②
■方向転換すべきか?
本当に自分に必要なのは大学という場所なのだろうか。先生になるという道なのだろうか。こんな思いをしてまで挑戦する必要はあるのだろうか。
たしかに大学受験において浪人生の存在は珍しくない。しかしこんな貧乏生活をしながら、学費を自分で稼ぎ、大学を目指すとなるともはや絶滅危惧種である。
そもそも暮らしていくのでさえ、精一杯な状況なのにも関わらず、大学受験なんて贅沢すぎた。しかしここでやめたら今まで頑張ってきたことがゼロになる気がした。だから何があっても大学へは行くと心の奥深くでは念じていた。
家族関係もうまくいかなかった。毎日毎日ケンカし、めちゃくちゃだった。掃除機や包丁が飛び交うこともあった。貧乏は人の心も貧しくする。心の余裕がなくなる。自分のことしか考えられなくなる。
生活保護という選択肢もあった。実際何度も何度も役所に足を運んだ。相談に行くと役員がとても嫌な顔をして、密室へ連れて行かれる。そこはまるで警察署にある尋問を受ける場所を連想させる。そしてこのような質問をされ続ける。
「生活保護を受ける理由は?」
「親戚には連絡したの?」
「きみ若いでしょ。ご兄弟もいるみたいだし、もっと働いたら?」
「はっ?大学いくの?こんな状況なのに本気で言ってる?」
惨め以外のなんでもない。ありとあらゆる個人情報を書かされて終わった。たまたま私の住んでいた地域の対応が悪かったのかもしれないが、貧乏人には冷たい世の中であると感じた。世の中の全員が敵にみえた。
このような生活状況の下、幼いころから暮らしてきた。私だけでなく、母や妹も心身ともに相当なダメージだったはずだ。貧乏は恐ろしい。人間の頑張りたいという気持ちに歯止めをかけ、普通に生活をする権利さえ奪ってしまうのだから。
■地獄の浪人時代
3浪目(もはやフリーター)
3浪目ともなると二十歳を越える。大学に進学した同級生たちは、就職活動に励み、早くも次のステージを目指している。一方、私はずっと同じ場所をうろうろしている。性的にも満たされず、なんだかいつもイライラしていた。
自分は何をやってもだめなんじゃないか、ずっとお金のことで悩んでいくのではないか。自分の未来が真っ暗だった。勉強とアルバイトだけをしている日々は孤独と不安でいっぱいだった。周りの人にもいろいろなことを言われた。
「いつまでそんな生活しているの?」「もっとがんばったら?」「やる気あるの?」
私は心の中で思った。
「体験していないあなたに言われたくない」
一方で何も言い返せない自分がつらかった。とにかく耐えるしかなかった。どっかで絶対見返してやると誓った。こんなに苦しまなくとも、もっと適切な生き方があったのかもしれないが、精一杯やることで自分を励ましていた。
日本では20歳を過ぎたら「大人」とみなされる。私が幼いころイメージしていた大人というのは、バリバリ仕事をしたり、学業に励み、教養が高く、どっしり構えている存在だったはずだ。そのどれにも当てはまらない……。
受験勉強というものにも飽きた。もっと違った角度から学問をしてみようと読書に目覚めた。小説からビジネス書までかなり読み込んだ。アルバイト代もそれに費やした。貯金なんてもうない。生活費にも回さなければいけないし、このまま貯金を続けても先が見えなかった。
特に読んだ分野は、自己啓発だ。これを読めば心が軽くなるだの、読むサプリだの、人生に絶望している人へだの、そういった類の本に手を出した。参考になった部分もあればそうでない部分もあったが、いずれにせよ、最終的には自分次第だということにいきついた。自分がやりたいようにやることこそ大切なのだと改めて実感した。でもそれを環境やお金が邪魔をしてくる。
■地獄の浪人時代 4浪目
まさか4浪目に突入するなんて思ってもいなかった。もし大学に入学していたら、今頃は大学4年生。
「いったい自分は何をしてきたのだろう?」
高校生のころ抱いていた未来への希望はどこへ行ってしまったのか。あのころに戻りたい。とにかくがむしゃらにがんばっていれば道は開けると信じていたあのころに……。
完全に無気力だった。せっかく高校生のころに学問に感動し、恩師と呼べる担任の先生に出会い、受験勉強をし、アルバイトをし、ボランティア活動にも参加し、不安になりながらも有意義な高校生活を送ってきたはずだ。それが今、たった数十枚のお金という紙切れなんかに行く手を阻まれている。
「もういいや。大学受験やめちゃお」
もう限界だった。なんにもしたくなかった。アルバイトで忙しすぎる毎日に、不確かな未来。その一方で、大学へ行き、先生になりたいという気持ちが頭の中を飛び交う。もう何が何だかわからなくなった。このままいったら冗談抜きに死んでしまう。どうにかしてこの状況を打破しなければいけない。
そう思ったとき、一人暮らしをするという決意をした。家にいたってどうせろくに手伝いもせず、お金も入れず、文句ばかり言い、ケンカの毎日なら、いっそのこと別々で暮らしたほうが楽になれる気がした。家賃3万程度の古い木造住宅で決して便はよくないが、一人になれる環境を見つけた。
一人暮らしをすることで、いろいろなことが見えてきた。まずは家族のありがたみを知った。どんなに狭く苦しい住居環境でも、家事はすべて母親に頼っていた。母親が何気なくやっていた家事がこんなにも大変で重労働なことだと知らなかった。
一人暮らしを始めたころは炊飯器を使ってご飯を炊くこともできなかった。家賃、光熱費、食費、雑費などありとあらゆる生活費を全部人一人でやりくりするのも予想以上に大変なことだった。
人間一人が生活するのにこんなにもお金がかかるのかと驚いた。貧しいながらも何の手伝いもしなかった私を見捨てなかった母の偉大がいかに偉大であったかを感じた。
「なんだかんだ言って自分は親に甘えて生きてきた」
ということに気がついた。ずっと大学受験に目を向け、それ以外のことは一切考えてこなかった私が初めてこれまでの人生を反省した瞬間だった。一人暮らしという選択をしたことで、貯金などできず、これまで以上に必死にアルバイトをした。もちろんいままで以上に生活は苦しくなったが、だからこそ、家族という存在のありがたみを知ることができた。
続く