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あとで読み返して当時はバカだったなと振り返るための記事 この頃の日本の衰退

日本が衰退しちまったのって突き詰めると、「誰かがやってくれてることに無頓着すぎる。」ってことだよなと思う。

 

人手不足で衰退

 若手の優秀なバスの運転手がカスハラにあって辞めちゃったんだよ。ちょっと到着時間が遅れただけでだいぶ怒鳴られて嫌んなっちゃったんだって。ツイ主はその人の先輩だったんだけど、だいぶ嘆いてたよ。
 バスって、当たり前だけど、誰かが運転してくれなきゃ乗れないんだよ。そのことに自覚的であれば、数分程度遅れたぐらいでキレるなんてありえなくないか。1分1秒を争うなら、バス待ちの間にタクシーでも捕まえればいい。そもそもスケジュールに余裕を持たせておけばいい。それらが不可能だったとしても、遅れた責任をバスの運転手にのみぶつけるのは、自分の事だけを棚に上げすぎている。
 そんなクソみたいなヤツをこれから何十年も相手にするのかって考えたら、やりたくないわな。よっぽど高給で、職場からのケアもしっかりしてないとやってられんわな。でもバスの運転手って、多分どっちもそれほどでもない。自動運転が発達したら消える可能性のある仕事だしな。未来があるかないかといえば、無い側の仕事なんちゃうか。そら辞めたいわな。

ホワイトカラーばっかり志望してる

 これからの日本は、よっぽど何かテコ入れしない限り、人口が減っていくのがわかっている。それに伴って、いろんな仕事が人手不足になっていくんだが、特に運送業とか建設業の、ブルーカラーと呼ばれる肉体労働をしてくれる人たちがマジで居なくなっていくんだよね。なんなら今もガチでいない。この人たち居なかったら、割と俺らの生活って簡単に詰むんですよね。インフラとか連鎖的に一瞬で消えていきますがな。
 なんで人がいないったら、まあ、キツくて辛い仕事だからっていうイメージが広まり切ってる(実際そう)からなんだよね。ぶっちゃけそういう仕事って、勉強のできないヤンキーとか不良とかが行くのがメジャーなんだけど、こいつ等も寄り付いていないんだよな。じゃあどこに行ってるんだろうな?知らん。
 んで、そういう肉体労働を敬遠する風潮が広まり切った結果、若い日本人は大体ぼんやりと「ホワイトカラー」の仕事をしたがるわけだね。涼しいオフィスの中でパソコン相手に頭脳労働(という筆者の乏しいイメージング)したいわけだよ。額に汗水垂らして、頭の悪い連中と辛い仕事をしたくないわけだよ。気持ちはすごいわかる。わかるし、そうすればいいんだけど、でもそういう人たちって、誰が道路を作ってくれてるのか意識してんのかな?誰がその建物を作ってくれて、メンテしてくれてるのかわかってんのかな?と言うと、多分わかってないと思う。わかってないから、ブルーカラーを敬遠してんだよね。奴らナチュラルにブルーカラーを見下して、「ああはなりたくない」と思うし、相対したときは態度がデカいんだよね。もちろん腰の低いヤツもいるだろうけど、メジャーなのはどっちかって話だ。
 ちゃんとさ、ブルーカラーの人が居ないって事について、国全体としてガチで考えていかなきゃいけないフェーズなんだけど、どうだろう。実際、他の誰かが解決してくれるって思ってるだろ。俺もそうだったよ。意識してないっていう点ではおんなじだった。俺がひとりそう考えているだけなら別に何の問題もないけど、この国の人の大多数が無関心なのが問題なのよね。多分ケツに火がついても、「なんとかしろ!」って叫んでそのまま火達磨になって終わると思うんだよな。

子育ても、「誰かがやってくれる」

 弱者男性・弱者女性って言葉、割と最近よく見るんだけど、アレはまずいね。意味合い的には、「大したスキルも収入も人脈も魅力もなく、恋人を作ることなく細々と生涯を終える男女」って感じかな?まあ筆者も割とその予備軍というか、むしろ一軍の自負はあるんだが…
 今、日本全体で頑張らなきゃいけない事の一つって、「子どもを産み育ててくれるようお願いをして支援をする」って事なんだよ。なりふり構わず、土下座でもなんでもして、カネでもモノでも差し出して、どうにかこうにか日本人を増やしていかんとあかんフェーズに来てるんだよ。
 って書くと、「は?」と思うかもしれん。それは当然の反応だと思う。なぜなら誰もそんなことしようとも考えてないやろうからな。その、「考えてない」ってのが、つまりは、「他の誰かがやってくれる」とか「自分はやってるから他もやってくれるだろう」とかって考えにつながると思わんだろうか。
 加えて、「誰が、誰にお願いをするの?」って疑問も出てくると思う。ハッキリ言って、これは、国民同士でやることや。俺は道行くカップルに、「頑張って子ども3人以上作って下さい!」ってお願いせなあかん立場だし、逆に道行くカップルも、俺に「恋人作って子ども3人以上作って下さい!」ってお願いせなあかん立場なんよ。そこには、弱者だろうが強者だろうが関係ないねん。誰もが誰に対してもそうお願いせなあかんねん。
 
 …って書くと、文面だけ見て真意を読み取らないバカが勘違いしそうだな。実際はそんなことしないよ。頭おかしいヤツじゃん。だから現実的には、「国」が主導して、「国民」にお願いせなあかんのや。日本は国民主権だから、「国」がそういうお願いをすることは、「国民」が「国民」にそういうお願いをするってことになるやろ?ヤツらはただの代表や。個人がやるのは難しいから、代わりにやってもらうってだけや。

 まあでも、個人単位で出来ることもたくさんあるで。身近なものでいえば、「スーパーで妊婦さんや子連れに優しくする」やな。まあそういう存在を憎む層も一定数いるし、子どもはうるさくて嫌いっていう感情もわからんでもない。けど、そんなもんは相手にぶつける必要はないやろ。自分一人で自分にぶつければええねん。表向きは、演技でもいいから、優しくするんや。子どもがどっか走り去ろうとしてたら、親御さんの代わりにキャッチしてやったらええ。重そうなモノ持ってたら、近くの駅やバス停ぐらいまで持っていってやったらええ。家が近くて仲良しだっていうなら、家事を手伝ったり飯を食いに行ったりしたらええ。あとその他もろもろ、困ってそうだったら、ちょっとでもいいから助けてやるとええ。どうや?ちょっと踏み出すだけでできそうやろ?きっとそうやって行動をしていくと、見ている周りのヤツの中に感化されてくるヤツも出てくると思う。そういうヤツがまたやって、輪が広がっていくとは思わんか。行動ってな、思考や感性を変える力があるから、最初はイヤイヤでもそのうち慣れて、やってやろうという気持ちになるもんや。まずはこの雰囲気というか、風潮を作らな。今の日本にはこれが圧倒的にないように思えるで。

 あともういっこは、ちゃんと政治に参加するってことやな。選挙に行くのは当たり前や。だが、それだけじゃぶっちゃけ足りないフェーズに来ている。ちゃんと自分の意思をガッツリ政治にたたきつけなあかん。何も駅前でメガホンもって演説しろ言うとるわけじゃないで。たとえば、ふるさと納税の使い道を子育て支援のみに絞るとか、市役所なりに行って市民の声的な手紙をガッツリ書いたりな、首相官邸にもご意見表明できるフォームあるし、市町村議会の中にはたまに市民の声を挙げることのできる場があるって聞いたことあるで。これらの行動を、国民の1/10でもいい、それぐらいの人数がガッとやったら、変わらざるを得ないと思うんだけど、残念ながらだーれもやってないんだなこれが。だって他人事だから。


ここまで書いたけど

 結局、日本の人ってケツに火がつかないとなんもできんのだよね。
危険遊具も、組体操も、死人がでてやっとなんとかしようとする。死人が出なければなんでもええねん。でもなこれからの日本、人口減少による弊害は、決して少なくない数の人死にを出すと思うねんな。市街地だろうが山野だろうが、安全な場所は整備不良で減っていくし、医療だって人が居ないからもたもたしてる間にどんどん死んでくで。そうなった時に、どうしようどうしようと騒いでも、もうどうにもならんのよ。人は簡単に増えないから。 
 俺もきっと年齢的に、そういう動乱の中で死んでいきそうな気がするとは思っているので、常日ごろ覚悟だけはしていきたいし、もしいい死に方が出来るチャンスがあれば、それに飛び込んで死んだって良いと思うぐらいに、将来に対して期待はしてないんだ。

 人が人を揶揄しまくって、人が人を分断して、人と人との繋がりがバンバン消えてって各個死んでいくのが、これからのこの国なんだなとは思う。


 







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