幸福感ってなんぞや?
いつも自分が幸せになることを選択し、幸せに繋がる行動をしようということを考えています。もちろん、自分の周りの人、自分と関わりの一切ない人にも幸せな気持ちでいてもらいたい。だけど、幸せって難しいですよね。
人に命令されたり、自分がしたくないことをさせられることに異常な嫌悪感を感じる性格もあり、今の経営者という僕の立場は、自分の性格からしても最も合っている職業(立場)だと思っています。
確かに会社を経営することは、大変でもあるのですが、それ以上にやりがいも感動もあって、間違いなく「幸せである状態」ではあると思います。
だけれど、「幸せである状態」だけでは、幸せな気持ちにはなれないんですよね。ここが難しいところで。
じゃあ、何が必要なのか?そう。感動なんだろうなーと思っていました。でもね、ちょっと違うんですよね。もちろん感動は幸せを感じるには大切な要素であることは否定しないのですが。
つい最近こんなことがありました。
神戸に出張した時、神戸には3回ほど行ったことがあったのですが、3泊もしたのは初めてで、その時に泊まったホテルが最高で、街中にあるのに露天風呂から星が見え、お湯も最高で、初日の体験でとても幸せな気分に浸りました。
朝食もとても美味しくて、いつも食べないデザートなんかも食べちゃったりして満足度が120%の非常に気持ちのいい、幸福感に溢れた気分で過ごすことができました。
しかし、2日目の温泉は、昨日と全く同じなのに、昨日ほどの感動は得られない。窓から見える六甲山や神戸の街並みも昨日ほど感動しない。3日目になるとなんか飽きてきちゃって、家に早く帰りたいとも思うようになり、我ながらほんとにしょうがないなと思ったりしたのです。
人間ってどんなに感動したことでも2、3日ですぐに飽きてしまう。昨日と変わらず幸福には変わらないのに、大して満足していない、幸福感を感じていない。
「幸せである状態」でもあり「感動」もあるはずなのに、幸せだなと認識できないのは、人間にとっていいところでもあり、悪いところでもあるのだと思います。
同じ経験では満足し続けることができないから、人間はこれまでも成長しているし、これからもさらに成長していけるのだと思います。でも、more$more教(もっと!もっと!)でもあると思うのです。
満足できず、どんどんもっともっとと欲しくなる。新たな感動(刺激)がないと満足できない、幸福感が得られない、そんな生き物が人間なのでしょう。
では、どうやったら幸福感を持ち続けられるのか、ずっと新たな刺激を求めながら生きていかないとダメなのか?もちろんそういう生き方もあると思うし、そういう生き方も全く否定しないです。でも、この生き方は、人間として傲慢になりやしないかと思っています。
新しいブランド物を買う、もっと高いブランド物を買う、高級車を買う、次はもっと高い高級車を買う、高級コンドミニアムを買う、人がほとんど行ったことのない宇宙旅行に行く、何かそういう方向に進みやすい幸福の求め方だと思うのです。
傲慢な人が増えたら周りは生きづらいし、地球規模で考えてもサステナブルでない。ではそうするのか?
この幸福感の根源は、自分だけの幸福感を追求すること。宇宙旅行、高級車、高級コンドを買うことは、全て自分だけの幸福の得る方法。つまり、他人のためにしてあげることで幸福感を得るようにするとmore$more教に陥らないで済むのではないかなと思うのです。
よく言われる言葉で言うなら、「giveする!」って言葉になりますが、誰かにやってもらって、作ってもらって満足する生き方だけでなく、自分主体でやる、例えば、なんかこのいつも掃除されていて気持ちがいい神社だから寄付をする、一緒に掃除する仲間になる、海のゴミを拾う、なんでもいいから、自分にではなく、他人や地球(自然)にgiveをする、そうすると幸福感で結構得られると思うんです。
これなら、お金がなくても幸福感を得られるし、いつでも得られる。
そして、これも大事だと思うことなのですが、感謝を口にする!と言うこと、感謝って自分に感謝すると言うより他人に感謝することが多いですよね!これも、わざと口に出して言うんです。
さっきの神戸の温泉だとすると、3日目のちょっと飽きた感覚の時でも、気持ちいい温泉に「ありがとう、めちゃくちゃ気持ちいいよ、綺麗に維持してくれる方もありがとう!」ってわざと小さな声で自分に囁くんです。
これだけでも、自分にこの状況ってとても気持ちいいんだ!って思い込ませる。そういう癖をつけておくと、色々なときに感謝できるから、幸せをいつでも感じて、幸福感を維持できると思うんですよね。
次回は、もう少し幸福感についてまとめてみたいと思います。