記憶の話
バチくそ重いタイトルですが、内容としては「大した出来事じゃなかったのに何故か忘れられないことってあるよね〜」です。これを一言にまとめる力がなかった。私はこういう何気ないのにずっと忘れられない記憶って誰にでもあると思ってるんですが、今回はその話。内容マジで脈絡ないです。
ひとつめは小2の秋の出来事。当時私は父の仕事の都合で1年半だけ地元を離れて関東に住んでいて、その時住んでいたアパートの近くに小さいお寺があった。お寺の入口の横には秋桜が生えていて、秋になるとかなりのボリューム感で一斉に咲く。私は学校の帰りにそれを見るのが好きで、その日も満開の秋桜の前でうろちょろしていた。人差し指と中指で茎を挟んで、掌の上に乗せるようなかたちで花を眺めていたら、いきなり通りすがりの年上の小学生に「花とっちゃダメなんだよ」と声を掛けられた。
多分、私が秋桜の花をむしり取って手に乗せてるように見えたんだろうなと思う。無言でぱっ、と指を開いたら秋桜は勿論そのまま茎にくっついて揺れていて、声を掛けた相手はびっくりしたような顔でそのまま去っていった。
なんの思い出なのか、と聞かれるとなんの思い出でもなさすぎて困るのがこの記憶。「間違いを正そうとして声を掛けたら逆に注意されたり自分の勘違いだったりして気まずくなることってあるよね〜」という共感を得られるエピソードと言えばまあそうだが、個人的には全然そこまでの意味もない。でもなぜか忘れられない。不思議だ……
ふたつめは中1の春の出来事。私の中学校は5月に体育祭があり、全学年共通の種目として大縄跳びがあった。クラス毎に朝練の時間が割り振られて練習が出来るのだが、なぜかうちのクラスはその練習の件で大モメした。
発端になったのは、Cちゃんという子が7時半の練習開始に対して早すぎる、と反対したこと。理由はもう忘れたけどとにかくCちゃんがわりと頑固で、クラス内が7時半派と7時40分派で割れてなかなかホームルームが終わらなかった。私はその時頭の中にえじゃあこれでよくね?と思っている案があったので、大モメのクラスでこそっと挙手して「練習開始を7時半、全員参加を7時40分にすればよいのでは」といった旨の提案をした。
で、これを聞いたクラスメイトの反応がマジでめちゃくちゃ良かった。おお〜!!?と感嘆の声が上がり、自然と拍手が起き、頑なに譲らなかったCちゃんもこの妥協案に満足してくれたようでそのままさくっとホームルームが終わった。私はまさかここまで盛大に褒められるとは思わず、黒板の前で困っていた学級委員(めちゃくちゃ頭が良い)や既にクラスの中心的存在だった子(めちゃくちゃ頭が良い)、果ては担任の先生(ゴツイ音楽教師)まで拍手をしてくれているのが嬉しいやら恥ずかしいやらで真っ赤になってカチコチに固まっていた。
この記憶に関しては、私の人生で一番の成功体験と言っても過言では無いと未だに思っている。団体のうちの1人として表彰されたり、大勢の前で賞状を貰ったりする機会はこれまでにも何度かあったけれど、私一人に対して大勢の他人から拍手をもらったのはあれが最初で最後だった。中1だからこその純粋かつ盛大な反応だったとも思うし、提案の内容自体はめちゃくちゃ単純でショボかったけど、それでもあの時あの場で手を挙げておいて良かったな……と思っている。ちなみにこの話にはCちゃんも結局7時半に来ていたというオチがあります。じゃあなんであんなに反対したんだよ。
あと、これに似た経験としては、高2の時のお楽しみ会で個人最高得点を叩き出して景品をもらったエピソードがある。班対抗の「カタカナを使わずに班のメンバーにお題を伝える」という至極シンプルなミニゲームで、「コスモス」のお題に対して「秋の桜!秋の桜!!」と言いまくったら班の子が「コスモス?」って答えてくれた瞬間が一番気持ちよかった。チョロい脳みそすぎる。
元々個人賞は用意されていなかったが、欠席者がいたかなんかで総合優勝の班に用意されていたお菓子が一人分余り、じゃんけんする?!じゃんけんしようぜ!!と男子たちが騒いでいたところにHくんという男の子が「菊智さんでいいんじゃね、個人優勝的な感じで」とさらっと提案してくれた。そこで一切反対せずに「たしかに〜!!」「すごかったもんな〜!!」で譲ってくれた男子たち、今思うといい奴すぎるだろお前ら。Hくんもありがとう……修学旅行と部活動を除くとこれが高校で一番嬉しかった思い出です……(嘘だろ)
忘れられない記憶たちは他にも結構ある。幸楽苑のガチャガチャで手に入れた指輪を学校に持って行って失くしたこと、小学校の校庭で拾ったちっちゃい紫水晶のこと、半分寝ながら聞いていた塾の映像授業の先生の例えがやけに詩的で素敵だったこと、アルトパートを褒めてくれた教育実習の先生のこと、等々。
忘れてしまったことも多い中で、なんでずっと覚えてるのか分からないぐらい些細なこういう記憶がやけに愛おしく思えるのはちょっと嬉しい。特別じゃないのに特別な忘れられない記憶たちが、これからも少しづつ増えていったらいいなと思います。