やさしさの話

 人から「優しい」と言われることが多い。自慢とかではなくマジで多い。小学校の担任の先生、習い事の先輩、友人、色んな人から言われる度にその都度「ほんまか〜??」と思っていた。私って他所から見ると優しい人に見えるんだろうか。大した人類愛も無ければ嫌いな相手も星の数ほどいるし、常日頃から嫌悪だの憎悪だのよろしくない感情てんこ盛りなんだが……??

 多分、優しいというよりは鈍感すぎるんだろうなと思う。痛みに鈍すぎる子供が平気な顔で注射を終えて「我慢できて偉いね〜!」「つよい子だね〜!」って褒められるみたいに、他人の悪意や負の側面に対して反応が薄かったり態度に出なかったりするのが結果的に寛容で心の広い人に見えて「優しい」って評価に繋がるんだろうなと……すみませんそれ優しいんじゃなくて単に気付いてないだけなんです……本人は自分が針刺されてたことを分かってないんです……

 基本的に楽観的なお人好しでもあるので、それゆえに物事に対する許容範囲がガバガバに広いのもあるだろうなと思う。嫌な役回りを押し付けられても「いいよ〜!!」って言っちゃうし実際別にそれでいいと思ってることが大半なので、ほいほい引き受けて後からめちゃくちゃに苦しむ。アホ。でも押し付けた相手じゃなくて引き受けた自分に嫌悪感が向くからそこも優しいって言われる理由なのかもしれない。いやまあ明らかに相手に非があればそりゃ恨んだり憎んだりはするけど、苦しむ原因って大抵相手じゃなくて己なんですよね。最悪の地産地消。

 あと性善説派でもあるけど、これに関してはある程度恵まれた環境で育って、その上で意図的に情報の取捨選択をしてきた結果なのであんまり良くないんだろうなと思っている。暗い話題全般が好きじゃなくて、人間の綺麗な部分ばっかり見て喜んでるタイプ。世界の負の側面について知ろうとする意思も興味も無いし、自分自身や身近な人の不幸については色々思い悩むけど他人の不幸は結構無視して素通りしたりもする。今でもそれなりに人間のことを好きでいられてるのは嫌な部分から目を背け続けて生きてきた結果だと思ってるので、ここに関しては誉められたものでは無い。でも嫌な部分に目を向け続けるより圧倒的に生きやすいとは思うし、自分の見る世界を狭めたからこそ身近な他人のことを考える余裕が出来てるのかなとも思う。良くはないけど。

 結局、私は優しい人に見えるだけで別に優しくはないですねというのが個人的な結論だった。自分から「私って優しくて……」とか言い出す人間もそれはそれで怖いのでまあいいかとも思うし、本人の考えがどうあれ周囲の人が私のことを「優しい」と感じてくれるならそれは喜ばしいことではあるなとも思う。ただ、私は単なる鈍感で無責任な楽観主義者で、なるべく期待は裏切りたくないけど常に優しくあろうと思いながら生きてるほど善人でもないので、何かのタイミングで失望させたらすみません。今後もなるべく優しい人っぽく生きてゆきたいですね〜!!!

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