見出し画像

人生における出会いとその影響 〜2度のブログ挑戦編①〜

2021年8月、人生2度目のブログを始めた。

一度目は2006年の春。

大学院試験に落ちて、地方の国立大大学院になんとか滑り込んだ24歳の春だった(1浪1留なので24歳)。

もともとは東京の西にある国立大学 工学部に通っていたため、旧友からは"都落ち"と揶揄されたものだった。

少し時間を戻そう。

院試に落ちて途方に暮れていた、2度目の大学四年の夏(2005年)、研究室のM先生が他大学の知り合いの先生を紹介してくれることになった。

その大学の、ある専攻はまだ募集をしていているので、受けてみないか?ということだった。

進学予定の学生が院試に落ちるということは、担当の研究をとめてしまうし、単純に人手も減るので、先生や研究室のメンバーに迷惑をかけてしまう。ただでさえ一人だけ院試に落ちて迷惑をかけていた私に、先生は手を差し伸べてくれたのだ。M先生には今でも感謝をしている。

もちろん全く就活をしていなかった私に選択肢はなかった。「ぜひお願いします」と返事をすると、M先生はすぐに先方のアポを取ってくれた。その上、片道3時間かけて挨拶まで付き添ってくれた。

そこで、大学院の2年間お世話になるN先生と出会うことになるのだが、ブログとはあまり関係ないので、また別の機会に書きたいと思う。

さて、それからようやく院試に受かり、ブログを始めることになる。

きっかけは多分、寂しかったからだったと思う。久しぶりに全然知らない土地に引っ越して友達も一人もいなかったので、寂しさを紛らわせるために「何か新しいことでもしようかな・・・」と考えていた。入学直後は忙しくなかったので、時間的余裕もあったかもしれない。

新天地の孤独は、そんな私にブログを始めさせるのに十分だった。

記憶が曖昧だが、学部時代の研究室のホームページはM先生が作っていたと思う。たしか、その研究室のサイトにメンバーの自己紹介ページがあって、そのページを各メンバーに作らせていた。

先生がホームページ・ビルダーを用意していくれていたこともあり、私でも1ページ作れたのではないかと思う。M先生は「チャンスがあれば、自分でドメインを取って、サーバーを借りたりすると面白いよ」と言っていたことが微かに記憶に残っている。

ちなみに、私は工学部とはいえ化学系だったのでIT関連にはめっきり疎かった(今でも疎いが)。一方、M先生は計算屋でプログラミングもする方だったので、私が所属していた学科では、ちょっと変わった存在だった。

今にして思うと、私がブログを始めた一番最初のきっかけは、このM先生との出会いだったのかもしれない。もしこの出会いがなければ、新天地で「じゃあブログでもやるかー」とはならなかったような気がしている。

私はこれまで、あまり他人から影響を受ける人間ではないと思っていた。でも、この記事を書きながら自分の人生を振り返ってみると、少なからず他者から影響を受けているんだなあと感じている。しかも10年、20年も先の人生で影響を受けているんだから、人生何があるかわからない。


最初のブログを始めたきっかけがもう一つ。

web やぎの目 だ。

久しぶりに見てみたが、今でも3記事に1つぐらい面白い。いや、4記事に1つぐらいかもしれない。

Topページにあるアーカイブは2015年6月が最後になっているが、私は大学生の頃によく読んでいた(2004~2006年ぐらいかな?)。作者の林雄司さんは「死ぬかと思った」をはじめ、いろんなシリーズがあるが、個人的には「やぎの目」の記事が大好きだった。

よく見ると、こっちにさらに古い投稿がアーカイブされている。そうそう、このデザイン。たぶんMovable Type で作っているんだよなあ。時代を感じる。Movable Type は今でいうWordPress 的な存在だったと思う(たぶん)。私の1度目のブログもMovable Type で作成していた。

「やぎの目」が好きだった私は、ブログを始める際、ただの日記ではなくて、漠然と「なにか面白いことを書きたい・・・」という思いを持っていた。

つづく…

-----

もし少しでも読んでくださる方がいらっしゃれば、続きを書こうと思います!


ちなみに、「カワエビのから揚げ」という個人ブログをやっているので、よろしければ、こちらもぜひご覧ください! 本記事と違ってガジェットや家電の紹介とか、固定削減についての記事を書いたりしています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?