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スローだが確実な一歩を

 先週末は実家で家族の再会。涙こそ無かったものの、まずはこの長い疫病祭りにひと段落を打たせてもらった。姉は一度妖精さんになったもののワクチンのお陰で微熱止まり、父母も罹らずに無事。あっぱれだ。しかし二年半のネガティブなブランクは時間軸にタロウ・ウラシマ現象をもたらした。物忘れが多くなって時々フリーズする父、元気だが以前より更に小さくなってどんぐり改め竹原芳子みたいになった母。次はいつ会えるかも分からない、と急に遺産や保険の話をされたりもした。

 久々の実家から戻り、何だか疲れちゃってぐうたらしていたら、バンド仲間に呼ばれて久し振りにオンライン練習。実は今年はライブに出ようと思っている。オリジナルではないが、バンド用に譜面もいくつか書いた。オンラインで音を出しながら、ああやっと次の予定が立ってきたな、と感じた。風邪をひいて学校を休んで、明日からまた登校だ、っていう気分に似ている。自分のせいじゃ無いのに休んでしまった罪悪感とやるせなさ。鈍った体力。振り出しに戻ってしまったが、これから少しずつ進んで行かないと。そして、例えまたビッグウェーブが来たとして、そしたらまた休憩すればいい。おれ達は経験した。どうしようも無い事があるって事も、我慢しなくてはならない事も。大きな犠牲も払った。先のことは分からないけど、出来る事は出来るうちにやりたいという気持ちが強くなった。今年の夏ライブは出来るかな?出来たらいいな。

 話を戻すと、父母とはいずれ実家の墓参りに行こうと思っている。墓は北海道にあるのだが、現在埼玉に住んでいる父母はいずれ、その墓に入る事になる。さすがに海の向こうなので、おれもこの疫病キャンペーンの遥か前、10数年前から御先祖とは御無沙汰である。いずれ権利を引き継ぐことになるおれは、父母が元気なうちに一緒に行っておきたいと思っている。御先祖へのご挨拶も兼ねて。こういう話もブランクが有ったからこそ、考える時間が有ったからこそ思いついたのかもしれない。

 同時に今年は色んな人の話を聞く事に注力したいと思っている。これまでの人生は他人の話を聞いていなかったのか?と問われたらハイ、と答えるしかない。常に自分ありきだった。でも自分一人が出来ることはとても限られている。だから他人の知恵を借りる術を学びたい。それが勉強なのかも知れない。本を読み、英語を学び、人の話に耳を傾けるのが楽しい。みんなの考えている事が知りたい。以前より他人に興味が出てきたのかも。大学にでも入り直したい気分だ。おれもこのブランク玉手箱で歳を取ったのかも知れない。

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