ブックレビュー「発達障害大全~「脳の個性」について知りたいことすべて」
「大全」というタイトルに相応しく、あとがき(「おわりに」)を含めて585ページの分厚い本である。さすがに外出時にカバンに忍ばせて持ち運ぶのには少々億劫だ。
基本的には著者のご子息が「学習障害」と診断されたことを端に発し、疑問に思っていた点について、日経ビジネス電子版の編集部から「もっと教えて!『発達障害のリアル』」の連載の依頼を受けたことから、「知らなければならないこと、調べなければならないこと、しなければならないこと」を約2年かけて専門家や発達障害当事者のインタビューをまとめたもので、力作である。
インタビューの中には普遍的な内容もあれば、専門家の意見が分かれるものもある。それらを当事者家族としてわかりやすくまとめていることで、特に自分たちの子どもが発達障害の診断を受けたところの人にとっては良い教材となるだろう。
それではわたしのように発達障害の当事者家族30年近くの人に参考にならないかと言うと、このような形で情報をまとめたことが無いため、30年前の常識との違いや関心のあるASD(Autism Syndrome Disorder、自閉スペクトラム症)以外のADHDや知的障害について最新の情報を入手するのに役立った。
ここでは私自身が認識を深めた点をいくつかご紹介したい。そして何よりも著者が望むように、社会における発達障害の理解が進み、発達障害が障害ではなくなる社会になることを共に望みたい。
1. 発達障害の増加は小さな自営のお店が減ったことが一因
小さな自営のお店で無い組織の代表が「会社」であり、そこでは「仕事の管理化」が進み、指示通りに仕事ができない人は、どうしても目立ってしまう。
昔ながらの街の電器店では無理なく働ける人も、大手家電チェーンでは働くことが難しい。細部までマニュアルに従ったり、上司に指示や判断を仰ぐことを求められるからだ。
養老孟司氏は「僕の知り合いは、学校になじめない子、例えばADHDの子を引き取って、農業をしているんです。「畑に連れていってしまえば、多動もくそもないよ」といっていました。(中略)「きちんとしなさい」と座らせようとするから気になる。それができないからって、別に異常なわけではないですよ。」という。
2. アスペルガー症候群という名称は、今ではあまり使われない
この名称を生んだハンス・アスペルガー医師がナチスの協力者だった可能性が指摘されたため、米国精神医学会の診断基準「DSM-5」からは、すでに削除されている。
大人の発達障害として主に扱うのはADHD(Attention-Deficit Hyperactivity Disorder、注意欠如多動症)とASDで、症例が圧倒的に多いのはADHD。ADHDは低く見積もっても大人の2-3%、多いと4-5%。ASDは1%未満。高機能と呼ばれるケースは0.1から0.7%。
3. 気づかれない境界知能と軽度知的障害問題
知的障害とはだいたい「IQ70未満」で、「IQ75未満」とするところも一部ある。このうち「IQ50-70」が軽度知的障害。
問題は「IQ70-85」の境界知能で、知的障害が約2%であるのに対して、境界知能は約14%いる。これはクラスに5人くらいいる計算になる。いわゆるグレーゾーンで、彼らは「発達障害」と認定されなければ療育手帳ももらえない。
医療少年院には、軽度知的障害や境界知能の子たちが多くいる。知能の問題がきっかけで非行に走り、犯罪の加害者になっている。彼らは学校でも気づいてもらえないことが多い。彼らにどう接していけばよいのか。
「ケーキの切れない非行少年たち」の著者、宮口幸治氏は「「頑張る人を応援します」というのは、企業の広告にも使われるくらい一般的なコンセプトだが、頑張りたくても頑張れないとか、頑張っていても頑張っているように見えない、という人たちを切り捨ててしまう」と指摘する。
彼らには「何もいわない」が一つの手だという。それは「大抵の場合、周りが余計なことをして、本人のやる気をそいでしまっているから」だという。「確かに周囲をもどかしくさせるようなことも時折あるわけです。そのときに余計なことを口にして相手のプライドを傷つけてしまうと悪循環になります」。
4. 「早期診断、早期心配」はマストか
私自身の経験でも長男は3歳で知的障害を伴うASDと診断された。それから私も配偶者も悩み、生活の中心がそれまでと大きく変わった。
「早期診断」について、新百合ヶ丘総合病院・発達神経学センター長である高橋孝雄氏は次のように語る。
たくさんの症例を見てきただろう医師の意見には説得力を感じる。自分を振り返っても、関連書籍を読んだり、療育指導に過度の期待を持っていたような気がする。米国で働きたい、と思った理由の一つも、米国ならもっと良い療育が行なわれている「はず」と思ったからだ。
東京大学先端科学技術研究センター・シニアリサーチフェローの中邑賢龍氏は、「早期発見」「早期治療」「早期療育」は「発達障害が悪い」、「治すべきもの」という前提に立っていると指摘する。
一方、信州大学医学部教授で精神科医の本田秀夫氏は「早期発見、早期ブレーキ」が大事だと異なる意見を持つ。発達障害を早期発見することで、親などが焦って「虐待的」になったり、過剰訓練になるのを抑えられるという指摘だ。
置かれている家庭環境で異なる診断がありえる、ということだろう。
5. 発達障害の私は人間の子どもに化けた「タヌキの子」
当事者インタビューでも衝撃的だったのが、漫画家の沖田X華氏の経験だ。小学4年生で最初の診断(LD、学習障害)を受けたものの、発達障害を自覚し、認めるまでに10年以上かかった。現在は学習障害、ADHD、そしてアスペルガー症候群という3つの発達障害の診断を受けている。
小学生時代からの忘れ物の多さ、「怒られている意味がわからない」、対人関係力を極度に求められる看護師としての辛い経験から夜のバイト、そして風俗業に転職し、結婚、漫画家デビュー、2度の自殺未遂と投薬。
冒頭の「タヌキの子」は横道誠氏の「みんな水の中」にある「ASDやADHDの実行機能障害は、まるで巨大な人造人間に乗り込んで、羊水のような液体で満たされた操縦室で、「動け」と操縦かんをガシャガシャ動かしているような感覚」を想い起した。彼は「エヴァンゲリオンの操縦」とも表現する。
沖田氏がご両親や家族にしてほしかったのは、「ダメ」では無く「うまくいかなかった」であり、たまに「できる日」があれば、それは「奇跡の日」なのだから誉めて欲しい、ということだ。それが無かったため、やる気がなくなったという。
6. 分離教育は自尊感情は高まるが、高等教育に開かれていない
2022年9月9日、「障害者を分離した特別支援教育」について、国連の障害者権利委員会が、日本政府に中止を要請した。
高等特別支援学校に進学した場合、少なくとも自尊感情は高まる。普通校では生徒会長や部長になれない子たちが、特別支援学校ではなれる、すなわち自分たちが主役になれるからだ。
一方高等特別支援学校を卒業した後の進路が、事務補助や軽作業に限られ、高等教育に開かれていないという問題がある。先の中邑氏は次のように指摘する。
7. 障害者雇用で週20時間未満はカウントされる?
以前は勤務時間が週20時間未満では障害者雇用にカウントされなかったが、今年の4月より、週所定労働時間が10時間以上20時間未満の精神障害者、重度身体障害者および重度知的障害者についても0.5人としてカウントするという改正が施行された。
施行前は、長時間働けないという理由で、障害者雇用から一般雇用に移る場合もあったらしい。
8. 発達障害の人は、自分に合わない仕事に飛び込んでしまいやすい傾向にある
発達障害の人に特化した就労支援事業を手掛けるKaien代表の鈴木慶太氏は、次のように説明する。
9. 発達障害と診断されて気づいた差別意識
最近無意識のバイアス・マイクロアグレッション、そしてインクルーシブなリーダーシップについてのトレーニングやワークショップを開催することがあるが、そこでは「バイアスの認識」を出発点として自らの行動・言動を正していき、最終的にはプリビレッジ(苦労無く得た特権)を持つものとしてマイナリティをサポートする、という枠組みがある。
先の横道氏との本書のインタビューで、自らが発達障害と診断された後に気がついた差別意識についてこう述べている。まさに「バイアスの認識」の良い事例だ。
10. 自分の長所を知り、夢に没頭できる子どもを育てる
最後のインタビューは、ニトリホールディング会長の似鳥昭雄氏。この方は何と70歳を過ぎて発達障害であることを知ったそうだ。
似鳥氏は、ニトリにも優秀な社員は大勢いるが、自分の長所がわからずにいる人が多い、という。同氏は、自分の長所を知り、夢に没頭できる子どもを育てるには、との問いに次のように答えている。