ブックレビュー「誰も農業を知らない ~プロ農家だからわかる日本農業の未来」
10年ほど前に、当時長男が通っていた特別支援学校の父親が集う会で、自分たちの子どもが将来働き手として農業に関わる選択肢が話題になったことがあり、知り合いの農地を見に行き、農作業を日中活動に取り入れている作業所を見学に行った。
ASDの人達は決まった作業に集中力を持って取り組めるという特性があり、一方農家は労働者・後継者不足に悩んでいるところも多い。両者にとってWin-Winの関係にあるかもしれないな、と思い、その頃からずっと農福連携の可能性について興味を持ち続けている。
その後4年前に独立開業して、勤め人時代と比べると自分の時間がフレキシブルにコントロールできるようになった。
ちょうどその頃読んだ養老孟司氏と山極寿一氏の対談本「虫とゴリラ」に、「最近の子どもは自然と関わらなくなったため、つき合い方がわからない、つまり自分でコントロールできるものばかりとつきあうため、「共鳴」が生まれない」、「自然との関わりは、予想できない動き方をするものに対して、呼応できる身体をつくる重要なトレーニング」になるとあった。
同書の自分なりの解釈として、理屈では無くとにかく「土と戯れる」をモットーにしようと思い、JAセレサモス川崎が開いた講座に1年間通った後、近所の露地栽培農家への援農ボランティアを4年、また川崎市農業技術センターが主催する2年間の研修を経て、多摩川梨の農園のサポートに2年関わっている。副次的な期待として、農福連携の可能性模索になるのではないか、とも考えていた。
ところが実際に農家や農園での作業を体験してみると、「土と戯れる」ことで予想できない動き方をするものに対して呼応できる身体づくりができているかというと、その実感は無い。むしろ股関節の柔軟性の無さなど肉体的な衰えを実感している。
さらに農福連携の可能性模索という点でいうと、農家の作業は想像していた以上に重労働だし、多摩川梨のサポート作業は整枝剪定など大変テクニカルで、健常者であっても短期間で習得できるような技術レベルのものではないことがわかった。
冒頭から少し話が外れてしまったが、上記のような農業体験があったことから、今回本書を手に取ることになった。はっきり覚えていないが、既に本書の第二弾が出ているのを新聞の書評欄か広告記事で見つけて、まずは第一弾を読んでみようと思ったのだろう。
本書は元船井総合研究所コンサルタントで、同社退職後専業農家に転じた著者が、マスコミ、学者、政治家、ビジネスマンが語る日本の農業に関する意見について、農家の立場で反論し、日本の農業の将来を語ったものである。
著者は、有機農業や無農薬栽培の難しさ、農業を実際に携わっていない外野による農業改革論が無力であること、理不尽な農業敵視の構造、ハイテク農業の失敗とイノベーションの可能性、を主張する。
一方、農業従事者の激減と高齢化から、日本の農業の未来のためには間違い無く新しい血が必要だが、新規就農者は適性のある人(=農薬を否定しない人)でないとうまくいかないし、企業が農業参入するのであれば10年ぐらい赤字を出しても事業を継続する執念は必要だ、農業での労働力不足解消のための移民は他国の失敗を見る限りお薦めしない、という。
そして、最終章の「二十一世紀の農業プラン」では、著者が農家として日頃考えるアイディアを遺伝子組み換え作物から中央官庁、農協、食育など広範な分野で新しい指摘を行なっている。
どんな分野でも異業種からの参入者は、多くの場合失敗する。日本の農業は、海外の大規模農業との比較で非効率とされ、またマーケッティングをはじめとする経営ノウハウの無さを指摘され、既得権益を得ながら不当な税金の垂れ流しである、などのレッテルが貼られ、そういう思い込みから参入してくる個人や企業がたくさんいる。
著者は、新規参入者の失敗を見ながらも、後継者不足の農家が多い現実を考えると、必ず新しい血は必要だし、農家が減少する中、イノベーションによる効率化のチャンスはある。同時に農業敵視の歴史を払拭するためにも、農業以外の従事者の中から農業を理解する人達をもっと作っていく必要がある。
大雑把ではあるが、著者の伝えたかったのは以上のようなことだと思う。
冒頭の特別支援学校の父親の会での議論の中で、「農業は意外と簡単だ」というような意見が出たことがあって、相当違和感があった。そもそも簡単なのだったらどうしてこれだけ農業を廃業する人がいるのだろうか。そして、この4年間の就農経験でやはり農業の難しさを知ることになった。
農福連携をサステナブルに続けるつもりなら、もちろん新規参入者としての新しい血の良さも一部では発揮できるかもしれないが、まずは地に足をつけて慣行栽培を学ぶ必要があるはずだ。
本当に農福連携を目指すのであれば、今のような「土と戯れる」を卒業して、農福連携を実践している事業体に修行に行くのが早道だろう。次のステップに進む時が来たということだ。