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ブックレビュー「諦念後~男の老後の大問題」

2022年6月24日に65歳で亡くなったコラムニスト小田嶋隆氏の「青春と読書」での連載をまとめたのが本書。

小田嶋氏のブックレビューは、「東京四次元紀行」「もっと地雷を踏む勇気」、森本あんりとの共著「超・反知性主義入門」、岡康道との共著「いつだって僕たちは途上にいる」「人生二割がちょうどいい」、に続いて六作目になる。

これまでパクリを避けるため小田嶋氏がモットーとしてきた「ノー取材、ゼロ文献」を捨て、「老年」関連のネタが熟成していないため「体当たり取材」をしたものだ。

従って過去の著作と比べると未熟成のネタが多い。その最大の理由は「老年を迎えたわれわれは、自分の老化を表面上は認めていながらも、自身の実像としては決して直面しない」、「自身の老化に直面しようとしないことこそ、最も深刻な老化であるという一種屈折した経過を経ながら、われわれは困ったジジイに変貌していく」からだ、とする。「老化」を直視するのはそれほど楽しくないものだ。

が、それでも体当たりした各経験の選択とそれぞれの振り返りは小田嶋氏らしさが垣間見える。

「そば打ち」、「ギター」、「スポーツジム」、「断捨離」、「終活」、「同窓会」、「麻雀」、「鎌倉彫」、「盆栽」、「大学講師」、「SNS」、「財産分与」、「自分史」、「墓」…

どれも還暦を過ぎて時間に余裕が出た男なら考えそうなアイテムばかりだ。かくいう私も「盆栽」を「援農」に代えると、相当な打率を記録しそうだ。

今まで全く思いつかなかったのは「選挙」。しかも「選挙」は逆転のカタルシスのためのパックマンだ、というのはまさに小田嶋節だ。

そして「定年後いつまで働けばいいか」での論考は、熟成している。

「自己表現」や「自己実現」は、本来職業とは無関係で、理由は、職業を通じて「自己表現」を果たしている人はレアケースであるからだ、という。

そのレアケースの代表者が「13歳のハローワーク」著者の村上龍氏だ、というのは以前も他の著作で見たことがある。今回少し違うのは若年層では無く、高齢者に「自己実現は職業とは無関係」を当てはめた点だ。

「働き方改革」は、諦念者について「高齢者雇用の充実」の標的にしており、表向きには「働いていない人間には価値がない」というドグマ、すなわち「いくら定年世代だからといって、「無職」の人間に生き甲斐なんてあるはずがないだろ?仕事をして「夢」を持って「自己実現」したいだろ?」を前面に出した。

しかしその裏では「崩壊寸前の年金の負担を減らし」、「医療費の拡大傾向にも歯止めをかけたい」ことから「高齢者の労働力を安く買い叩く狙いもある」。

このため、「定年後の生きがい」みたいな常套句を口にする老人を、「生きがい搾取」や「働きがい搾取」にはめ込み、あらゆる企業や時にはお国が高齢者の労働力を買い叩くための手練手管を洗練し始めていることを注意すべきだ、という。

著者自身が後悔する母校での客員教授職就任や東京オリンピックのボランティアがそれにあたる。要は、見栄を張って、「自己表現」や「自己実現」、「生きがい」や「働きがい」に目がくらむと、安価な労働力として利用されるぞ、という警告だ。

これぞ小田嶋節。


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