ブックレビュー「自由と成長の経済学 「人新世」と「脱成長コミュニズム」の罠」
本書は2月5日にブックレビュー「人新世の「資本論」」をUpした「人新世の「資本論」」への反論本である。
こちらは従来の資本主義を徹底的に擁護する立場にあるだけに至って論旨はシンプルだ。
著者の基本的な主張は、コミュニズム、社会主義はすべて全体主義に陥ったことは歴史の事実であり、資本主義との優劣ははっきりしている、したがって「「人新世」の資本論」が主張する脱成長コミュニズムは民主主義と相いれるはずが無い、ということにある。
資本主義のおかげで平均寿命は70歳を超え、途上国は豊かになり、世界はより快適になっている、貧困率は2017年には9.3%にまで低下し、飢饉の頻度や死者は減少、栄養失調人口の割合も8.9%にまで低下している、とする。
こういったマクロ指標は事実な訳だが、ただ本書に決定的に欠けているのは、平均的に上がってもその奥にあるミクロな問題点への視点だ。例えばトマピケティが指摘した先進国の多くで見られる「いちばん恵まれている人への富の集中度」のような問題への対処法だ。
著者はこれについても昔ながらのジニ係数で見た世界全体の不平等度は明確に低下している、高所得国は世界の一人当たり平均実質GDPの2倍以上ある国だ、として富の集中度について相手にしない。また脱成長コミュニズムが人類の脅威という温暖化問題などの外部不経済は、活動をする当事者にその費用を負担させるべきだという。
そして脱成長コミュニズムを主張する人々が脱成長に伴う大幅な生活水準の低下や自由の喪失を受け入れる用意があるようには到底思えない、と指摘している。
しかし、ここでのもう一つの疑問は脱成長コミュニズムは本当に昔の社会や失敗したコミュニズムに戻ろうという考え方(「いつか来た道」)なのだろうか、という点だ。
むしろ過去にこだわらず新しいポスト資本主義を模索する動きだとすれば、過去のコミュニズムの失敗を数多く指摘したところで有効な反論とはならない。
世界全体のジニ係数では現れない先進国での貧富差の拡大、エッセンシャルワーカーの低賃金問題、多様性への配慮や寛容に欠けた社会、費用負担で補えきれない外部不経済など、資本主義で累積する社会的課題を解決するためには、二元論的な資本主義vs社会主義議論に陥るのでは無く、これまでの資本主義を改めて考え直し修正していく努力は必要ではないのだろうか。
資本主義を謳歌する先進国での広がる貧富差が政治でのポピュリズムを生み、社会分断をもたらしている。そういう意味ではこのままの資本主義が幸せだ、というのもあまりにも楽観的だろう。人の嫉妬や不満を侮ってはいけないのだ。