#1 かねぽん錬成術(ただの自己紹介記事)大学~就職編
おはこんにちこんばんは、かねぽん、こと金子愛子です。
第4回「特許の鉄人」の出場から早1ヶ月超。
各所で新しくお声がけいただく等、さっそく交流が急加速しているのを感じます。改めて、鉄人効果、すぎょい。
色々と自己紹介をする機会も増えてきたのですが、そういえば自己紹介記事を書いてねぇなぁと、今さらながら徒然なるままに私の今までの歩みを記そうと思った次第です。
■ かねぽん生誕
4人姉弟の長女として、平成の世に産まれました。
大阪産、大阪育ち。阪神ファン。根っからの大阪人です。
親族はほぼ全員文系。私だけ理系。
「川の下で拾ったのよ」と言われて育ちました。
大丈夫です。私は母と瓜二つです。
■ 大学入学:神戸大学工学部
地元の某仏教系女子高校から、神戸大学工学部電気電子工学科に入学。
色々と選択肢があった中で「電電(でんでん)」を選んだ理由は、
「小説や漫画のネタ集めのため」。
意味不明ですね。
高校生当時、私はComic Creation Club(いわゆる漫研)に所属しており、色々と漫画を描いておりました。好きなジャンルはSF・特撮系。トンデモ能力よりは、「なんかちょっと頑張れば実現できんじゃね?」くらいのラインのサイエンス・フィクションが好きなので、そういった知識を入れるべく、「何となく手広くやってそう」というフワッとした動機で、電気電子工学科に進みました。
それまで女子100%の環境から女子4%の環境へ。
ええ、とても刺激的でした。
学業はそこそこに、推薦でそのまま神戸大学大学院に進学しました。
■ 大学院での転機:参考書の執筆
大学院にて、私のその後の人生を決定付ける転機が訪れました。
『太陽電池のエネルギー変換効率(コロナ社)』の執筆活動です。
キッカケは2011年、院生1回生になる春、東日本大震災です。
当時は神戸におり、被災こそしませんでしたが、関西でも電力の調整等の関係上、「計画停電がされるかも?」という状況になりました。
私が所属していた研究室(フォトニック材料学研究室)は、半導体の光学デバイスに関する研究をメインとしており、半導体の真空成膜装置で作成したサンプルをフォトルミネッセンス(PL)等により観察して、特性を解析する…という流れで、日々の研究を進めていました。
(久々に研究室ウェブサイトにアクセスしましたら、私が十ウン年前に紙粘土で作った分子線エピタキシー装置の妖精「MBEちゃん」が未だにトップ画像に使われておりました……)
この真空成膜装置(MBE等)を、計画停電の可能性が生じた段階で停止させる必要が生じたのです。成膜装置を電源OFFにするには、「はいスイッチオフ」というわけにはいかず、「るつぼ」の中の融解した成膜材料をゆっくり冷やす等、数日単位での立下げ作業が必要となります。このため、いつ停電が起こるか不明な状態では運転を継続することができません。
院生1回生の春から初夏。通常であればバンバン試料を作成して実験して修士論文のネタを揃える時期だったのですが、このようにやむを得ない事情により、ポッカリと研究活動に空白が生じました。
そこで、この空き時間を利用して、春から新しく研究室に入った4回生の学生さんに光学デバイスの基本を教えるべく、「太陽電池キホンのキ」というテイストのpptスライドを作り、研究室の教授に、週1回のゼミの場で発表させてくれないかと掛け合いました。
まぁ他にすることもないですし、そのままスンナリと企画は受け入れられて、数回、ゼミで「化学電池と太陽電池の違い」「太陽電池の発電のしくみ」「太陽電池の変換効率を可視化しよう」等の発表をしたところ、手前味噌ですが、意外と好評でした。
ので、せっかくなので私の卒業後も、研究室に入る新4回生の教材として使えるように、ゼミ資料を大学生協で冊子化して、研究室で保管・利用してもらえないかと教授に提案してみたら、「いっそのこと、出版社から参考書籍として発行したらいいんじゃない」という斜め上の逆提案がなされました。
そこから、研究活動の空き時間を利用してpptスライドの内容を文章化する作業をコツコツと進め、他の学生さんも(主に教授が)巻き込んで、翌年2012年、書籍が完成しました。
本書は主に学生が各章を記載し、教授が監修・編著したものです。
全8章のうち、金子が執筆した章は1章から5章までと、7章です。ええ、ほとんど私の本です。6章の各節を他の学生さんが、8章を教授がご自身の講義用に執筆されました。
ちなみに、金子が書いた1章は、上記のコロナ社書籍ページから途中まで立ち読みできます。若かりし頃に書いた文章なので、今読むとめちゃくちゃ恥ずかしいです。
そんなこんなで、学生の間に「技術的な事項を、修士論文以外の機会に、文章化(書籍化)する」という経験を積むことができました。
この経験が、後々、私を弁理士の道に歩ませることになろうとは………
■ 就職活動:大日本スクリーン製造株式会社
その後、のらりくらりと就職活動をし、大日本スクリーン製造株式会社(現:株式会社SCREENホールディングス)に入社。
実家の大阪からそこまで離れたくなかった私は、主な事業所が京都・滋賀にコンパクトにまとまっていて、かつ半導体系の製造装置メーカーということで、同社を選びました。
学生時代、ガッツリと半導体デバイスの成膜・評価をしておりましたので、開発部やR&Dに配属されるものと思い込んでいた私。入社式を数カ月後に控えた2月の辞令で配属先が「知的財産部」であるとの通知を受け、「え?チテキザイサン……??ナァニソレ??」と真っ青になったことを今でも鮮明に覚えています。
後々に聞いた話では、面接にて、上記の書籍執筆の経験等をアピールしたことが効いて、知財配属になったとのことです。
そのような事情もつゆ知らず、知財部が何をする部署なのかも知らず、特許の「と」の字も知らず、ソワソワした気持ちで入社式を迎えることになりました。
新卒社員の中で知財部配属は私ひとり。知財部に新卒社員が配属されるのは7~8年ぶり。最も年齢の近い知財部員も7~8歳年上……。
波乱の(?)社会人ライフが幕を開けました。
(続)