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私が食べたのは甘い葡萄だと信じて。
あなたは我慢していることはありますか。
そんな自分を肯定できていますか。
私は、我慢をしている人は、凄いと思います。
辛抱しているんです。読んで字のごとく「辛さを抱えている」んです。
誰もそんなもの抱えていたくは無いはずなんです。
でも、自分のためであったり、他人のためであったり、空気のためであったり、何かのために自分が辛くても耐え忍んできたのでしょう。
例えば、 恋人に会いたいときけれども、相手が忙しいから我慢して連絡を控える。
上司に理不尽に𠮟られたけど、全体の空気のために我慢して謝る。
子供のために、自分の欲しいものを我慢して養育費用に充てる。
きっと、恋人に我儘を言ったり、上司に反論したり、自分の欲しいものを買ったりしたいけど、我慢を選んできたのでしょう。
自分の心を押し殺して、相手やみんなのために選択してきたのでしょう。
それ自体は凄い素敵なことなんじゃないのかな、って思います。
でも、我慢って選ばなかった気持ちを置いて行っちゃうから
どんどん積もっていってパンクしてしまうんですよね。
私自身仕事の我慢を重ねたせいなのか、適応障害になったことがあります。
「助けてほしいけど上司に迷惑をかけちゃいけない」
「このくらいの苦難を自力で切り抜けられなくてどうする」と言った
我慢なのか、傲慢なのかわからない感じで働いていたら、病みました。
しかし幸いにも周囲の環境に恵まれていたため、すぐに回復することができましたけど。
その時に学んだことは
ボンヤリと我慢のし過ぎってよくないんだぁ。
案外、我慢の限界って小さいものなんだなぁ。ってことくらいです。
自分に素直に生きるとかなんて、小心者の私には机上の空論です。
できたら苦労しないし、心が病む人なんてこの世にはいないです。
だから未だに、メンタルを病んだにも拘らず我慢することは多々ありますし
今後も生きていくには絶対に必要な場面は出てくるものだと思っています。 精々出来る事は、我慢した自分に我慢しないことくらい。
そんな小心者の私が我慢と付き合っていくために必要なことは、
「我慢に代わる私の選択肢」は沢山あったのだけれども、我慢を選んできた
という自分の選択の正しさを信じることくらいなんじゃないかなと。
まぁ、結局我慢するしかないんだけれど。
せめて「選ばされたんじゃなくて、選んだんだ」と思いたいじゃん。