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赤ちゃんだって時差ボケをする

少し前に、メキシコへ戻ってきた。

あーでもない、こーでもないとSkype越しに夫と話し合いを重ね、新しい年になってもまだ同じところをぐるぐる悩むのに嫌気がさした。「とりあえず行ってみないとわからない」とブラジルへ飛び立っていったママ友に背中を押されたのも大きい。とにかくわたしは、もうすぐ2歳になる娘を連れて夫の待つメキシコへ戻ってきた。

ところで日本からメキシコへ移動するとき、一番辛いのが、到着後の時差ボケだ。

成田を夕方17時頃に出て、13時間ほど飛び、メキシコシティに着くと時計の針は同日の午後14時すぎ。時差ボケ解消に最も良いのは、「午前中に太陽光をたっぷり浴びてしっかり運動をすること」だと聞くけれど、空港を出て家に着く頃にはすでに夕方になってしまっている。

さらに悪いことに、メキシコシティは標高2,250mの高地にあり、低地に比べて酸素が薄く、一般的に深く眠りにくいと言われている。

理由はどうあれ、とにかく到着した夜から眠れない日が続く。自分が寝つけないのもまあ辛いけれど、その100倍、いや1000倍辛いのが、子どもの時差ボケだ。

そう、赤ちゃんだって時差ボケをする。

日本にいる間、娘は昼13時から15時まで昼寝し、夜は22時に寝ていた。

このサイクルをそのままメキシコ時間に置き換えると、夜22時から24時まで昼寝して、深夜から明け方まで活動し、朝7時に就寝、ということになる。まさか、さすがにそのまんまじゃないでしょう、と思うけれど、到着したその日からの彼女の睡眠スケジュールは、概ねこのまんまだった。

夕飯を食べ、入浴を済ませると、溜まりに溜まった疲れと睡眠不足でわたしは急激に眠気を感じる。娘も眠そうにあくびをしはじめ、寝室に行って灯りを落とすとまもなく寝息を立てはじめる。

21時半。よし、無理やりにでも今すぐ寝よう、と日本でかかりつけ医に処方してもらってきた睡眠導入剤を飲んで、わたしも隣でストンと眠りに落ちる。ここまでは順調。

けれど、決まって2時間半後の深夜0時、「おたーたーん!!!!」の呼び声で目が覚める。

ベッドの上に座って泣く娘の背中を、「うんうん、大丈夫。もう一回寝ようね。いま夜だからね。」と、さすりながらもう一度寝かそうとするけれど、娘はそれを全力で振り切ってリビングへと走って行ってしまう。

いつのまにか涙は完全に乾き、ぱっちり二重のすっきり顔になっている娘は、テキパキと塗り絵やおままごとセットを広げ、のそのそと後を追ってリビングにやってきたわたしに早く座るよう催促し、さらに後からついて来た夫を完全拒絶して追い払う。

そこから深夜のリビングで2人遊びが始まる。塗り絵、積み木、滑り台、絵本、シール貼り・・・。夜ってもしかして永遠だったっけ、と疑いたくなるほど、朝は来ないし娘は一向に眠くならない。時間を意識すると気が狂いそうになる、と2日目くらいで気がついてからは、とにかく無心で目の前の遊びに没頭することにした。

ひたすら遊び続けること、5時間半。窓の外が少しずつ白々としてきた頃、娘がついに眠気でぐずり始める。大泣きの末、リビングのソファで寝かしつけ、ベッドまで運ぶ。ああ、また朝が来た・・・と思いながら、わたしも再び横になる。

そして2時間後、8時にアラームで目を覚まし、娘を起こして、2人で茫然としながら窓から降り注ぐ朝日を浴びるのだ。

こんな生活が1週間続いた。

この1週間、恥ずかしながら何度も泣いた。

日中の家事はほとんどすべて、仕事をしながら夫がやってくれたけれど、心も体もものすごく低いところを彷徨っているような感覚で、深く眠ることでしか取れない疲れがあるんだ、ということを改めて思い知った。

寝ようとしない娘に何度も声を荒げそうになりかけては、規則正しかった彼女の生活リズムを、メキシコまで連れてきてぶっ壊したのはわたしと夫だ、と思うと急激に気持ちがしぼんで、代わりになぜだか涙がこぼれた。

毎日夜が怖かった。やっぱり大人しく日本にいた方が、娘にとってもわたしにとってもよかったんじゃないか、とさえ思えてきて、身体よりも先に心が折れてしまいそうだった。

けれど1週間後の晩から、まるで憑き物が落ちたように、娘の夜間覚醒はパタリとなくなった。

22時に眠りにつき、朝7時に起きる。夜中に1、2度寝ぼけながらわたしを探しはするものの、隣に姿を見つければ安心してまた眠る。

穏やかな娘の寝顔を見ていて、ようやく心からメキシコに戻って来てよかったと思えて、わたしもぐっすり眠れるようになった。

夜はもう怖くなくなった。

怪我をしたわけでも、病気にかかったわけでもなく、ただの時差ボケ。

それでも、こうして書き残しておきたくなるほど、強烈な体験だった。









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