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働く人を温める朝ごはん Tacos Dorados

標高2,250mに位置するメキシコシティの朝は、真夏でも寒い。日中出歩くと感じる、頭頂部が焦げるような暑さからは想像もつかないほどに、街全体がすっぽりと冷気に包まれている。

そんなこの街には、朝早くから働く人を温めてくれる、とっておきの朝ごはんがある。

朝8時。普段なら、まだパジャマのままバタバタと娘に着替えをさせているその時間に、わたしは1人で通りを歩いていた。家から10分ほどのところにある病院で、検査が必要だったのだ。

そこの大きな交差点の角を曲がれば、あとは病院の門まで1本道。冷えた空気のせいかなのか、それとも慣れない検査を前にした緊張のせいなのか、心なしかいつもより早足になる。

そのとき、ふわっと香ばしい匂いが鼻をくすぐった。温かい、油の匂いだった。

見れば、数メートル先に人だかりが出来ている。歩調を緩めて、ゆっくりと横を通りすぎながらそっと覗き込んでみた。

それは、puesto(プエスト)と呼ばれる屋台だった。puestoは、メキシコシティの街中至るところにある。道を歩けばpuestoに当たる、と言っても間違いではない。もちろんわたしも、これまで何度となく見かけたことがあった。

けれど、朝のpuestoの様子をじっくりと見るのはその日が初めてだった。

ビーチパラソルと、簡素な台と、ぱちぱちと油が弾ける大きな鍋。そこでエプロン姿のおばちゃんが、Tacos Dorados(タコス・ドラドス)を売っていた。『黄金のタコス』を意味するこの食べ物は、焼いた肉やじゃがいもをタコスの皮に挟み油で揚げただけのシンプルなものだ。その名の通り、カリッと黄金色に揚がったタコスが、次々と鍋からすくい上げられては台上の網に並べられていく。

引きも切らずやってくる客たちは、工事現場のおっちゃんだったり、タクシーの運転手だったり、サラリーマンだったり色々なのだけれど、エプロン姿のおばちゃんから紙皿を受け取り、その場で立ったままあつあつのタコスにかぶりつくのは皆同じだった。

そのうち自転車の荷台にアルミの寸胴鍋を括り付けたおじさんがやってきて、タコスを頬張る客たちにあつあつのポソレ(スープ)を売り始めた。

検査のため何も食べずに家を出てきたわたしは、どうやらいつのまにか彼らに釘付けになっていたらしい。5,6人で横並びになってタコスにかぶりついていた工事現場のおっちゃんの1人が、「Muy rico!(うまいぞ!)」と声を掛けてきた。

たしかに、めちゃくちゃ美味しそうだ。空っぽのお腹が急にきゅうきゅうと鳴り始める。

角を曲がる手前まできんと冷えていたはずの空気は、香ばしい油とタコスを頬張る彼らの笑顔ですっかり温まっていた。

工事現場のおっちゃんには、「Hasta luego!(またあとでね!)」とだけ返したけれど、マスクで隠れたわたしの口元は少しほころんでいた。

検査が終わったら、帰り道にあの黄金色に揚がったタコスを食べようか。いや、朝から揚げ物は重いかな。いや、でもやっぱり捨てがたいな。

そんなことを考えながら、1人また病院までの道を歩きだす。

この街の今日も、わたしの今日も、これからはじまる。


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