出生〜
2001/11/22
私は東京で産まれました。
小さい頃の私は人見知りで、髭が生えている叔父を見て大号泣をするような子供でした。
保育園に上がる頃には
人見知りは直りませんでしたが女の子にしてはやんちゃで男の子とばっかり遊んでいました。その中には保育園で男子と殴り合いをしたり年下の子を蹴飛ばしてしまったり
やんちゃでは済まない事もしていました。
今思えばそれは、これから深堀していくお話に繋がるのではないかと思います。
家族構成
父 / 母 / 兄(2歳差) / 私
私の家は至って普通の"両親がいる家庭"ではなく
"両親は居たけどいないようなもの"でした。
父はたまに仕事をしてすぐクビになり
寝腐ってはお酒を飲みゲームをし気に入らないことがあれば私や母を殴り蹴り
私はその後遺症とまではいかないのかもしれませんが
AC(アダルトチルドレン)、解離性障害を患っており父から殴られた記憶は普段ない状態です。
母はそんな父親と私達兄妹を育てる為に
朝から晩まで平日土日問わず働いていました。
ある日の事でした。
保育園に行く直前自分で髪の毛を結わえて居た私を父が後ろから蹴り飛ばし私は鏡とその台に顔を挟み頬に大きな痣をつくった状態で保育園に行きました。
「あぁ、やっと先生が気付いてパパからの暴力から逃げれる。でもママはどうなるんだろう」そんな気持ちを持ちながら保育園までの道のりを母と歩いた記憶があります。
保育園に着き、母が先生に言った最初の言葉が
「ちょっと転んじゃって!痣があるんですけど気にしないでください!」
私は、幼心に《これは公言したらいけないことなんだ。》そう思いました。
それからと言うもの家ではなるべく両親とは当たり障りの無い会話をして、
寝ている時でもテレビを見ていても神経を張り詰めて、少しでもそれを失敗すると殴られ蹴られ。
今思えばそのストレスを保育園で暴れ発散していたように感じます。
同時期
私は寝る時に父からお腹を撫でてもらい寝ていました。
この時間だけが唯一父が暴力をせず、父親という側面を見せてくれる時間でした。
ただ、父は時々
私のお腹だけではなく、胸なども触ってきていました。
それが性加害に含まれるのか私は今でも分からないのですが胸も膨らんでいない保育園の私はそれがとても気持ち悪く感じ《私が女だから。》と自分の性別を否定するようになりました。
自分の性別に違和感を持ち、女の子という言葉に苛立ち
ズボンしか履かない、髪の毛もバッサリ切って男の子として見られるように努力をしました。
今思えば本当に保育園児でここまで考えれるのかと感心しますが
私はそれくらい生きること・加害されないことに必死だったのかもしれません。