ショートストーリー【Hello, my Birthday 】
来月の今日、私は一歳年を取る。私はまた一歳分の価値を失う。
土曜日、13:40に目が覚めた。私にとっては今が朝。
右まぶただけが重たい。29歳の体に相応しく、疲労の蓄積が女の大事な顔面に出てきてしまう。最近のガラリと変わった生活習慣が原因だってもちろん分かってはいる。でもつい何かにつけてやるべきことも休むことも後回しにしてしまう。朝はSNSを見たくてまずスマホを開いてしまう。眠気眼にブルーライトの刺激を浴びせる毎日。私の朝は、SNSで知り合った誰よりもキラキラしていない。
人間関係諸々をこじらせて四年間勤めたアパレルの仕事を辞めた。雇用保険を貰いながら実家暮らしでニートだなんて情けなかった。親に対してもイライラと肩身の狭さがあり、今は祖母の一軒家に転がりこんでいる。祖母は十数年前にいわゆる“熟年離婚”しており、私には余った部屋…おそらく祖父が使っていたらしいすっかり片付けられた部屋を使わせてくれた。
祖母の優しさゆえ転職を急かされず居心地は良いが、比例して自分の堕落加減に心ばかりが焦る。なのに現実逃避と言うか、SNS上でしか知らない人たちと交流し、甘い言葉で励まされたり暇つぶししたりしながら寝て起きての繰り返し。
何人かの投稿にイイネをした後、やっと彼氏からの連絡に気づいた。私には付き合って半年の彼氏がいる。翔太と言う四歳年上の彼氏だ。マッチングアプリで出逢ってデートしてるうちにあっちから好きになってくれた。だからなんとなく付き合った。翔太は見た目も稼ぎも趣味も普通。長所は結構一途で連絡がマメな所か。
実は私は翔太をあまり好きになれていない。だってあまりにも楽観的過ぎるから。
「さいちゃんおはよう!」 10:23
「遅くてごめん今起きた」14:20既読
「うんうん、よく眠れたんだね」 14:20
「夜更かしした。ずっと求人見てた」14:21既読
「転職活動えらいな!でもさいちゃん焦らずに」 14:21
こういう所だ。何でも肯定的に切り返してくるから冷めてしまう。私とは性格が違うんだなと心底思う。前向きさは現実を歪めてしまうから苦手なんだ。翔太の存在はありがたく思うけれど。
「俺来週夜勤だから今日か明日電話できたらしようよ」 14:22
「しよー 私はずっと暇」 14:24既読
「電話まってる!」14:25
今電話しても良かったが、キッチンから祖母の声が聞こえた。私が起きた気配を感じたのか、ご飯でも用意してくれたのだろう。
「今起きたんか」
キッチンに行くと祖母の故郷の関西風に味付けされた煮物と、数年前に祖母の糖尿病が見つかって以来これと決めて買っているらしい玄米ご飯、味噌汁、加えてテーブルの真ん中に見慣れたタッパーがあった。
「お母さんが来たの?」
「さいちゃんが起きるまで待っとったんやけどな。家の用事する言うて帰ったわ」
祖母はタッパーの蓋を開けて私に中身を見せた。母が作った煮凍り。不味くはないが、旨くもないやつ。タッパーの下には母が見つけて来たらしい地元の求人誌が敷かれていた。うんざりする。まぁまぁ気分は悪いがお腹は空く。今日も出されたものをひたすら食べる。
「なぁ、月曜日病院行くんやけど、夕方まで家空けてええか?それか何か予定あるんか?」
「大丈夫。留守番するよ。予定なんかないし。転職活動もまだ始めてないし」
「そうかいな。仕事はまぁ…ゆっくり見つけや。あと、ほら、さいちゃん、付き合うてる子とは遊びに行ったりせんのか」
母と違い、距離感をある程度保ってくれる祖母には珍しく私のプライベートに介入してきた。
「必要なときに会ってるよ」
「必要て何やねん」
熟年離婚した祖母にとったら孫の恋愛事情が気になってアドバイスでもしたくなるのだろうか。祖母が離婚した理由を家族の誰もはっきりとは知らない。
「さいちゃん、聞いて悪い気にならんといてや。さいちゃんはその子のことほんまに好きなんか」
「は……何聞いてくんの!?」
「さいちゃんは好きな映画とかなんやアプリやらネットやらの人の話は嬉しそうにしてくれんのに、その子の話はしてくれへんやないの」
「それは…」
そういえば、最近翔太と会ったり話したりする時間よりも部屋で横になったままSNSにログインする時間の方が多かった。あるSNSで私はSARAという名前にしている。映画の話とか好きな動物の話とかをして小ぢんまりと交流をしている。SARAの時は失業のことも祖母の家に転がり込んでいることも秘密にしていた。他愛もない話をして、それが負担なく楽なのだ。
「まぁ彼氏のことは恥ずかしいから。いちいちおばあちゃんに言うもんじゃないでしょ」
祖母の見解は図星だった。私は翔太をちゃんと好きになれていないし、ネットの世界に逃げ込んでいる。転職からも、恋からも目を背けている。
「雇用保険、いつ切れるんや」
「あー……確か、来月」
来月の今日、私は一歳年を取る。来月で雇用保険が貰えなくなる。来月私には良いことが何もなくなる。
「昨日も夜遅うまで起きとったみたいやけど、仕事はゆっくり見極めていきや」
「そうだね。ありがとう」
食べ終えて、また自分の部屋に戻る。すぐ横になってSNSを開く。誰も濁った私を知らない。誰かしら構ってくれるし、私が悩んでいたら励ましてくれる。翔太も優しいけれど、翔太とは価値観がズレていると言うか。このまま猶予期間が続けばいいのに。泣くほどでもない…ぼんやりとした不安な日々が続いている。
『SARAちゃんこんにちは!』
『こんにちは♡』
『SARAちゃんがオススメしてくれた映画観たよ!出てきた犬がかわいかったー』
『嬉しいです!映画気に入ってくれて良かった!ワンちゃんかわいいよね!私動物大好きなんです』
コメントで交流していると一人ぼっちじゃないんだなって安心する。不安まみれの私を隠せるし私は誰かの役に立てるんだなって必死になって感じている。現実社会では私の市場価値なんて下がる一方だから。
『来月仕事でSARAちゃんのいる県に行くんだけど良かったら会う?』
前から交流している男の人からDMが来た。他のアプリ経由で顔やら仕事内容やら見たことある人だからどんな人かは解っていたけど。だからって安全って決まったわけじゃあないけど、いつも優しくしてくれるしやり取りして結構経つし…単に会うだけの誘いだよね?同時に翔太の顔が浮かんだ。
『こういうの彼氏にとめられてる?』
『いいえ、お誘いは嬉しいですよ!』
『やましい誘いをしてるわけじゃないから!いつも話してて楽しいから俺はぜひぜひ会いたいんよ!』
私は私の中に浮き沈みする戸惑いを確かに感知してしまった。私は何に揺れて何を期待しているんだろう。急いでDM画面を閉じた。そういえば、と翔太に電話をする。
「いきなり電話してごめん」
「おー いいよ。今ゴロゴロしてるから」
「会おうよ。近々」
「いいねぇ〜どっか行きたい?明日でもいいよ」
「私も明日がいい!カフェとかでゆっくり話がしたい!」
「……大丈夫?何かあった?」
何故か私は早めに翔太に会うべきだと思った。元々私は翔太をそんなに好きじゃなかったはずなのに、申し訳ない気持ちが私を困惑させていく。
え?私、狼狽えてる?
だとしたら、ナニに??
「翔太は私のどこが良かったの?」
「何急に…不安なの?声でわかるよ」
「不安とかじゃなくて聞きたいの」
「全部が好きだよ」
「ねぇ真面目に具体的に答えてよ」
「全部好きなんだから全部なんだって」
「ああそうですか!」
そうだ、翔太の言葉を信じられないから苦手なんだ。翔太はいつも良い事ばかりで偽りに感じてしまう。私みたいな女を誰も好きにならないのに好きだなんて言うの。
……翔太より前の彼氏や出会った男共はみんな私を見下したり遊んだりしてきたから。簡単に信じられるわけないでしょ。
私がキラキラできるのは失業中なことも居候していることも彼氏を好きになりきれないことも全部隠していられるSNSでだけ。
「なんか今の彩は不安定だし明日会った時に話さない?」
「やだ。今話したい」
「ほんとどうしたの?俺が彩を好きかそんなに心配になった?」
「違う……私が翔太を好きか」
「どういう意味?」
言わない方がいいに決まってるのに。こんな時まで私は翔太を試して傷つけている。
「翔太が好きか分からなくなったの。価値観が違うから」
「価値観って……価値観は違っていいんだよ」
「翔太は前向きなことしか言わないじゃん。馬鹿みたいだよ」
悪い言い方だって分かってる。伝わらなくてイライラする。付き合っているのに何で嫌な気持ちを味わうんだろう。
「彩がそうなるからだろ」
「は?私のせい?」
「違うって。彩が不安定な時に俺まで暗かったら共倒れだろ。彩は揺らぎやすいんだから」
「揺らぎやすいって……」
「会ったときから感じてた。でも嫌とかは思ってないよ。欠点じゃないし」
「確かにそうだね…他の人に揺らいだもん」
流石の翔太も少し沈黙していた。流石の翔太も私のことを嫌うだろうか。
「お、おー。何かする前で良かったじゃん」
「なんで?なんで別れたくならないの?」
「別れたいの?さっきから」
初めて聞いた翔太の鋭い声。怒ってるんだ。
「俺さ、さいちゃんを裏切るような行動したっけ?」
「……してない。でも信じきれないの」
「さいちゃんがそんな悩むなら別れようよ」
「だから私のせいにしないでよ!」
醜く怒鳴ってしまった。さらに泣いてしまった。翔太は悪いことをしていないから、私が悪いことを考えたり感じたりしていると自覚しているからこそ情けなかった。
来月の今日、わたしは一歳年を取る。自分に降りかかる三十歳って予想より遥かに子どもだ。思っていた以上に私は何も知らない。やるべき事をしていない。どうにもならないことにイライラして、答えがないことに悩んで、甘えてばかりなのに距離を取って、冷めたふりして最後は爆発しちゃう。
「さいちゃんもう電話やめよう?明日にしよう」
「翔太は悪くないよーー…」
「うん、もういいから。今夜は求人検索も無理矢理するな」
窓の外から雨の音がした。降り出したんだ。
やりたいことがないし、できることも少ない私。別に一歳年を取らなくても既に価値なんかない私。
廊下を通る祖母の足音が聞こえた。見られるかもと思って、急いで涙を拭いて翔太との電話を切った。足音が少し止まり、また進んだ。もう今日は何も考えるのはやめよう。SNSで相談を……いや、よそう。
日曜日は9:30に目覚ましをかけていたが、動き出したのは10時過ぎだった。私にとってはこれが頑張り。両方の瞼が薄く腫れていた。疲れた顔のまま翔太に会いに行く。デートらしからぬままで。祖母が何かを察したのか玄関まで見送ってくれた。
「さいちゃん、あんた泣いたんか」
「おばあちゃん」
「泣かされたんか、泣いたんか」
「私が勝手に泣いたんだよ」
「あんたはもっと自分の腹の中を出さなあかんよ」
メイクしたから落としたくないのにまた目元が熱くなる。もしかしたら祖母の離婚の原因が“祖母側のひたすらの我慢”だったら…と想像した。離婚に踏み切る前の自分を私に重ねたのだろうか。
「出すも何も自分の気持ちが解らなくて…とにかくしんどいの」
「そんなんわからんでええやないの。わからんて事を分かってるんやから十分や」
私は頷くしかなかった。いつか祖母が言った意味が解るのかな。これでいいのかな。
「でもその子を傷つけたくないんやったら、あんたからはっきり言わなあかんよ」
何のことかは言わない気遣いが苦しかった。私は人から助けて貰うに相応しいくらい何かを頑張れているのかな。
電車で移動中、ずっとこれからどんな事をしたいのかを考えていた。仕事も、人付き合いも、家族とのことも。希望よりもまだまだ心配が色濃く映った。
待ち合わせ場所に着くと翔太はいつもと変わらずに笑顔で私の手を握った。いや、目はいくらか泳いでいたかもしれない。いつも二人で入るカフェでケーキセットを頼んで食後のコーヒーを時間をかけて飲む。コーヒーの色を見つめて何分経っただろう?
「さいちゃんはこれからどうしたい?」
霧がかったみたいなムードの中翔太から本題に口を開いてくれた。他力本願ながら私はホッとしていた。
「まだ…付き合っていたい」
「俺もだよ」
やっと真っ直ぐ翔太と目を合わせられた。言わなきゃ。
「私はもっとちゃんと翔太を好きになりたい」
「うん。ありがとう。俺ら恋する前に付き合っちゃったもんね。俺は彩のこと知り合った時から好きだったけど」
「翔太のそういう所も今の自分には難解だけど…」
「難解って言うなよ」
翔太は寂しそうに笑った。この前は私の陳腐な感情のせいで翔太を傷つけてしまうところだった。会ったこともない人に揺らぐなんて。自分が許せない。翔太は許してくれても。
「なぁ、ゆっくり行こうよ。俺たち」
翔太が私の頬に触れた。涙を救うみたいに、私の涙の受け皿みたいに。
「私ダメ人間だね……。仕事も恋愛も…結局翔太に依存しかかってるし」
「依存していいんだよ。それが彩なりの俺への気持ちなんだから」
翔太を好きだと思った。正直になれたと思った。
そうよ。私、かっこ良くなりたい訳じゃなかった。キラキラしたい訳じゃなかった。私は幸せになりたいの。弱くても情けなくても幸せになりたいの。
「蓋してた……多分」
「何?蓋?」
「うん。傷つきたくないし失敗もしたくないから気持ちに蓋してた」
「あー みんなそうだよ。彩は気づけたんだな」
翔太とはカフェにいる間中沢山今迄と将来の話をした。転職の事。動物が好きだから動物に関わる仕事に就きたい事。でもその経験もスキルもない事。アパレル店員のキャリアはあまり評価されなくて悔しい事。前職を辞めた理由は上司のパワハラと接客仕事に疲れたからという事。SNSでこっそり自分の弱音を発信していた事。祖母の病気の事。翔太はひたすら聞いてくれた。私は百点満点で翔太に甘えることが出来た。
帰宅すると、おばあちゃんが映画を見ながら待っていてくれた。私が勧めた映画だ。
「おかえり。どうやった?」
「一旦はまだ付き合う」
「そうか。今あんたが納得できるんやったらそんでええ」
「二人で納得、じゃないの?」
「あんたが納得せな意味ないやないか」
おばあちゃんは普段あまり見せたことのない表情で笑った。私はおばあちゃんの内面を知りたくなって、知っておいたら良いような気がして踏み込んでみた。
「おばあちゃん、何でおじいちゃんと別れたの?」
おばあちゃんは驚いた後、何を聞くねん、とはぐらかしかけながらも凛とした声で私に言った。
「自分のことをもっと可愛がるべきやった、て気ぃついたんよ」
当時、腹の中までおばあちゃんが見せたかは知らないが……おばあちゃんからそう告げられた時おじいちゃんはどんな気持ちで離婚を受け入れたのだろう。今お互いどんな気持ちで一人で暮らしているんだろう。おばあちゃんは今でもおじいちゃんを思い出すのだろうか。だっておじいちゃんとの写真を全部まだ捨てていないことを私は知っているから。
「おばあちゃんは糖尿の病気でしょ。一人になるって怖くないの?」
「病気は怖いけど… アタシは一人やけど一人ぼっちにはなってへん。さいちゃんもこうして来てくれよるし」
おばあちゃんの強がりだと私は思った。似ているかもしれない。おばあちゃんと私。私もいつかは翔太と離れたくなるのかな。自分の心を優先して……。
ああ、優先していいのか。私は私を。
「おばあちゃん、私は翔太のことが好きだと思う。今は」
「翔太って……あぁあぁ、そうか」
「やりたい仕事とかないけど私はとにかく動物が好き。人相手はめんどくさい」
「せやろなぁ。まぁ、さいちゃんはせやろなぁ」
おばあちゃんの何枚も上手な口ぶりに私は恥ずかしくなった。
来月の今日、私は一歳年を取る。私はまた一歳分……
「彩、お誕生日おめでとう」
私は今日、また一歳分自分の価値を重ねた。
【終】
“Hello, my Birthday ”
imaged song by kyuujitu “狼狽”
words by Keila
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