〈書評〉『神は俺たちの隣に』
第5回翻訳者のための書評講座に参加しました。当日の欠席はご連絡していたのですがお伝えきれなかったようで、幽霊部員みたいになってしまい失礼しました。録画を見たうえで皆さんのご指摘を反映して書き直しました。
前回、この講座で初めて提出した書評の時と同様、説明が足りないために読者に疑問を抱かせる点が最大の問題点です。字幕翻訳のときも同じなのですが、何度も繰り返し読んだり見たりしてうちに、読者や観客の立ち位置に戻れなくなってしまう未熟さ。次回こそ独りよがりに決別しようと思います。
〈リライトした書評〉
「本書はテロリズムについて書かれたものではない」。『神は俺たちの隣に』(ウィル・カーヴァー著 佐々木紀子訳 扶桑社ミステリー)の著者は冒頭にそう記した。この物語は問いかけに満ちている。問いに答えればテロリズムではない何かが見えてくるだろうか。
ストーリーの向かう先はロンドンの地下鉄での爆破テロ。現場の車両に乗り合わせる男女の日常の断片が入れ代わり立ち代わり語られる。
マンションに一人で暮らす脳腫瘍持ちのデイブ。病んだ脳が生み出す妄想の中で、人格がころころ入れ替わるもう一人のデイブと同居している。二人のデイブの会話やケンカの物音を壁越しに聞いているのは、同じフロアの隣人だ。
二年前に最愛の妻を亡くしたソールは、妻を追って服毒自殺を試みるが死にきれない。間借り人のナサニエルとレイラのカップルが、自殺は成功したと思い込んだソールを騙して、自分は煉獄にいるのだと思いこませマンションの部屋を乗っ取ろうとする。そこに、電話に出ない父を心配してソールの息子アッシュが久しぶりに訪ねてくる。
看護師ヴァシティは、長年の激務に心をすり減らし患者のつらさや苦しみにも動じなくなっていた。エスニック・マイノリティとしてアイデンティティ問題に悩み数年前に家出した弟のこともあまり気にかけていない。そんな彼女のもとに入院してくるのは、競技中に骨折したアスリートと地下鉄でレイシストに立ち向かい負傷した脚本家志望のトーマス・ダヴァント。すると突然ヴァシティに思いやりの心が戻り、人を癒やす特別な存在となった。パニック状態の患者は手を握られるだけで落ち着きを取り戻し、骨折したばかりか色覚を失ったアスリートの目にはモノトーンの世界で彼女だけ色がついて見える。
無関係なこれらの登場人物たちをつなぐ語り手は、正体不明の人物。ロンドンの地下鉄に数日間乗り続けている。ジャケットに隠れた胸にくくりつけられているのは爆弾。怒濤のように流れ出るモノローグはクエスチョンマークでいっぱいだ。自分は神なのか?テロリストなのか?なぜ地下鉄に乗っている?革命とは何だ?自分は世界を終わらせるのか?自分の姿は周囲から見えているのか?なぜ質問し続けているのか?――ありとあらゆる質問を読者に投げかけ、その答えを待っている。
語り手の問いかけに翻弄される読者は、テロの現場へ目隠しのまま手を引かれて歩いていくような気分を味わうかもしれない。でも最後の瞬間、デイブが、ソールが、ヴァシティが乗り込んだ地下鉄で、正体が明かされた語り手の瞳を読者がのぞき込んだとき、分かるはずだ。あまたの問いの答えが。物語が何について書かれたのかが。
(20字×57行として1140字/想定媒体:新聞書評欄)