古泉一樹の挑戦──別解・『孤島症候群』

「この事件……と言うかこの小旅行。SOS団夏合宿と言ってもいいだろうが、今回の件で真の犯人として指摘されるべきはお前だ。違うか?」

角川文庫『涼宮ハルヒの退屈』287頁

 語り手であるキョンが指摘するように、『孤島症候群』(以下『孤島』)という物語における犯人は古泉一樹である。
 絶海の孤島で起きる密室殺人事件――しかしその真相は、助けに入るために扉を破ったことが被害者を絶命させるとどめの一撃になるという「悲しむべき事故」であった――そのようなミステリーショーの絵図を描き、実演してみせた。
 その動機について問われた彼はこのように語る。

「なぜこんなことを計画した?」
「涼宮さんの退屈を紛らわせるために。そして僕たちの負担を減らすために」
「どういうことだ」
「あなたには言っておいたはずですよ。つまり、涼宮さんに変なことを思いつかせないように、あらかじめ彼女に娯楽を提供しようということです。当分、涼宮さんは今回の事件で頭がいっぱいになるでしょうから」

 驚くべきことに彼は、この体験型殺人劇をハルヒに向けて提供した娯楽なのだと言う。
 それが劇だと予め分かっているのは仕掛け人の『機関』のみ、サプライズを受ける側にとっては本物の殺人事件に遭遇したように感じていたのだから笑い事では済まされない。ましてやハルヒにとっては、自分の部活仲間が二人も殺人の咎を負ってしまうという受け入れがたいミスリードまで用意されているのだ。
 それを言うに事欠いて娯楽などとは如何なる了見か、ハルヒはそんなものを楽しむ人間ではない、見くびるな――と、呆れたりムッとしたりする者が出てくるのも当然である。この発言を素直に受け止めるならば、古泉一樹というキャラクターは全く共感性というものを欠いた人物に映るだろう。

 ……果たして本当にそうだろうか? 曲がりなりにもハルヒがSOS団の一員として選び招き入れた者が、人の心を欠いたロクでもない人間なのだろうか。ハルヒはその本性を見抜くこと能わず、愚かにも自らを陥れる殺人劇への招待を功績として称えてしまったのだろうか。あるいは逆に、ハルヒはそのような悪人でさえも懐に入れる仏心に満ちた人間だということなのだろうか。

 このように素直な読解をしても構わないのだが、ここは敢えて彼を擁護する別の道を模索してみたい。
 第一に、私は百人が左の道を行くなら「じゃあ右を選ぼう」と言ってしまうタイプの捻くれ者だ。第二に、私は涼宮ハルヒシリーズに出会って以来十年以上、古泉一樹のことを考えなかった日は無いといっても過言ではない程度のキャラ萌えオタクなのである。
 以上の筆者の立場と動機の表明をもって導入を終えよう。


無関係な挿話の意味

 犯人・古泉の真の動機を検討する前に、『孤島』の中には、本筋からは些か浮いているように見える、事件との関連が不明瞭なエピソードが差し挟まれていることを指摘したい。(この挿話の謎を探ることこそが、彼の真意を探る手掛かりに繋がると私は半ば確信している)

 それは、「(SOS団以外の)誰が来ても扉を開けるな」というハルヒの命令を文字通りに解釈し実行するという長門の唐突なジョークめいた行動である。らしくもないジョークを飛ばした理由も、何故キョンに言われた途端に態度を翻したのかも、作中で明らかになることはないままに物語は幕を降ろしてしまう。

 『孤島』における犯人役が古泉なら、探偵役はキョンだ。その彼は、「長門流のジョークだったのではないだろうか」と推測した。殺人事件という異常事態に動転する皆の心を、少しでも日常に引き戻そうとしてくれたのではないか(成否はともかくとして)、と。
 ところが、この評価には些か不都合が生じることを認めなければならない。何故ならば長門は次の場面にて、発見時の被害者の体温を聞かれて答えるという犯人へのアシストを行っているからだ。この体温から推定された死亡時刻が残酷な偽の真相へとハルヒを導くことになったのは言うまでもない。
 そもそも心のケアを慮ってのことであれば、圭一氏は生きている、これは悪趣味な芝居であると暴露するのが最短かつ最善というものだ。やはりこの推理は瓦解してしまう。

 では長門の行動の真意はどこにあるのか。
 私は、長門なりの言外の告発めいた意図が込められていたのではないかと推測する。そしてその告発とは、古泉とハルヒの二人に向けられたものなのだ。
 そう考えれば、キョンが口を挟んだ途端に態度を翻した理由もおのずと見えてくる。わざと言葉の意味を杓子定規に解釈することで部屋から締め出す、その理由を持つのはあくまでその二名だけだ。無関係のキョンまで巻き添えにしてしまうのは本意ではない。それ故、彼の言葉によって長門はその「ジョーク」を取り下げたのだ。
 もし仮に気絶から回復したみくるが皆を部屋に入れるように頼んだなら、長門はやはり鍵を開けたのではないだろうかと思う。
(余談だが、アニメ版の『孤島』ではキョン妹の存在ごとハルヒらを締め出しているのでこの解釈は成立しない)

 長門がこの行動によって告発しようとしたもの――それは無論、事の真相とその犯人である。古泉一樹に加え、涼宮ハルヒもまた、ある意味では犯人と呼ぶに相応しいのだと彼女は告発する。


『孤島症候群』の真相

 もう一人の探偵・長門有希は、「事件」がどのようにして生成したのか、そのあらましを無言のうちに示してみせた。
 即ち犯人は、ある人物の行動や言動を、見たまま聞いたままを文字通りに受け止めて、それを叶えるべくして事を起こしたのである。たとえばそれは以下のようなものだ。

「行くわよ孤島! きっとそこには面白いことがあたしたちを待ち受けているに決まってるの。あたしの役割も、もう決まっているんだからね!」
 そう言いながら腕章にマジックで書きこんでいる。その乱暴な文字は、俺の目には「名探偵」という三字の漢字に見えた。

193頁

「それで、その建物は何て呼ばれているの?」
「と言いますと?」
黒死館とか斜め屋敷とかリラ荘とか纐纈城とか、そんな感じの名前がついてるんでしょ?」
「いえ、特に」
「おかしな仕掛けがいっぱい隠されてたりとか、設計した人が非業の死を遂げたとか、泊まると絶対死んでしまう部屋があるとか、おどろおどろしい言い伝えがあるとか」
「ございません」
「じゃあ、館の主人が仮面かぶってるとか、頭の中がちょっと爽やかな三姉妹がいるとか、そして誰もいなくなったり」
「しませんな」
 執事氏の声が付け加えた。
「今のところは、まだ」
「じゃあこれから起こる可能性はかなり高いわね」

220頁

「あたしの勘では犯人はここの主人なのだわ。たぶん、一番初めに狙われるのはみくるちゃんね」

236頁

 ……等々、このように作中で事件を期待するハルヒの言動は枚挙にいとまがない。しかも彼女が口にするこれらの事件とは、誰かが危害を加えられるような、もっと言えば「人死にがでる」ような類のものだと推測するのが妥当である(検索によって見当がつく範囲に限っても、「黒死館」「斜め屋敷」「リラ荘」「そして誰もいなくなったり」はいずれも連続殺人がテーマの小説から取られている。また「纐纈城」も血染めの布というおどろおどろしいアイテムの登場する伝奇小説が元ネタと思われる。「設計した人が非業の死を遂げた」「泊まると絶対死んでしまう部屋」で人死にが起きているのは言わずもがな)。

 当然ながら、これらの言動を元にハルヒが血みどろの事件に狂喜乱舞する異常者として理解するのは愚かな読解だ。圭一氏の死体(と思われたもの)を発見した後のハルヒのリアクションを見れば誰の目にも明らかだろう。

「まさかなあ。こんなことになっちゃうなんて、思いもよらなかった」
 呟いているが、それこそまさかだな。さんざんお前は事件を熱望するようなことを言ってたじゃないか。
「だって、本当になるとは思わないもん」
 ハルヒは唇を尖らせ、すぐに表情をあらためた。こいつはこいつでどういう顔をしていいか悩んでいるようだ。喜んではいないようで一安心だ。

259頁

 しかしながら、だ。本心からの言葉でないのならばどんなことを言っても構わない、その本意を斟酌して許容すべきである、という主張にも私は同意しない。我々が生きる社会のルールもまたそのようにはできていないはずだ。
 個人的な物差しに照らして言えば、(結果的には『機関』の一員として企みを抱いていたとはいえ)合宿のスポンサーである圭一氏を何も起きないうちから犯人呼ばわりしたり、気の小さい性質の朝比奈さんをわざと脅かすような言動を繰り返したりといった点は、一線を超えた言動だと感じる。
 月並みかつ陳腐だが、口は災いの元だ。後から「そんなつもりじゃなかった」などと狼狽えるぐらいならば、それは初めから口にすべきではない類の言葉だったということなのだ。
 合宿へ行き事件に遭遇する前のキョンが似たような教訓めいた言葉を発しているのはきっと偶然ではないだろう。

〔朝比奈さんのお茶を飲まないと禁断症状が出て死んでしまう、というモノローグに続けて〕
 というのは冗談だ。断るまでもないのだが、一応言っておかないと冗談の通用しないヤツがいるということを俺は高校に入学して学んでいるんでね。この数ヶ月で学んだことがそれだけという俺が言うんだから間違いない。冗談と本気の線引きはちゃんとしておいた方がいい。でないとロクでもない目にあう恐れがあるからな。

183頁

 楽しい合宿旅行のはずが殺人に遭遇してしまうという脚本は確かに悪趣味だ。逃げ場のない閉鎖環境でそんなサプライズを体験させられるのは、なるほど「ロクでもない目」には違いない。
 ただしその事態は、四人のうちただ一人、ハルヒに限っては、自らが発したたちの悪い軽口が最悪の形ではね返ってくる、という自業自得の側面を僅かながら孕んでいることもまた、動かしがたい事実だといえる。

 実行犯・古泉に並ぶ、ある意味においてもう一人の犯人と呼び得る存在として、長門がハルヒを名指したのはこういうわけなのだ。


 ところで、賢明な諸氏は既にお気づきのことと思う。
 今のところ私が語ってみせたのは、ざっくり言えば「古泉だけが悪いんじゃない、ハルヒだって悪いんだ!」という足掻きでしかない。『孤島』におけるハルヒの自己責任をいくらか認めたとしても、それによって古泉の何かが免責されたりはしない。
 冗談が通じない上に一般的な良識を欠いている大馬鹿が、「涼宮さんは殺人事件に挑む名探偵になれば喜ぶらしい、よーしやったるぜ!」と本気で喜ばせようとした、そこに、結果としてたまたま偶然ブーメランが刺さった恰好になった……そんな一文を付け加えたに過ぎないのだ。

 今度はまた別の角度から『孤島』という事件を語ることとしよう。


推理ゲームとしての不備?

 この事件を、古泉がハルヒの希望を叶え喜ばせるために用意した、事件を解決する名探偵のロールプレイをさせるシナリオとして解釈しようとするとき、いくつかの不可解な謎が浮かび上がってくる。それは次のようなものだ。


  1. 連続殺人事件ではなく、また館の主人が犯人でもない

  2. 「名探偵」涼宮ハルヒの不在

  3. 古泉が仕掛けた偽の真相


 順を追って見ていこう。
 まず一つ目。ハルヒが期待した事件とは、挙げられる例から察するにどうも連続殺人事件であるようだ、という推測は既に述べた通りだ。知っての通り、『孤島』で起きた事件は単一の密室殺人である。
 ただしこれに関しては、連続殺人事件を実行するだけのリソースをもたなかったという可能性が考えられなくはない。ハルヒがそうした期待を列挙して語るのはフェリーの上での出来事なので、シナリオの用意が間に合わなかったのかもしれない。事件が重なり複雑になるほど演者の負担が増え、ボロが出る可能性も大きくなるだろう。推理ゲームとしての難易度調整といった理由も考えられる。

 それを差し引いたとしても、「館の主人」である圭一氏が、犯人ではないどころか被害者の役を割り振られているのは不思議な点だ。
 先に引用したように、ハルヒは事件が起きるより以前に館の主人が犯人だとする推理を述べていた。もちろん、展開をそのまま馬鹿正直に採用などしてしまえばゲームとしてのおもしろさが損なわれる…としても、第一にして唯一の被害者として容疑者から完全に除外してしまうのも、ベクトルが反対方向なだけで同じことではないだろうか?

 幸いにして今回の密室に必要なギミックは、主人の部屋だけは鍵の管理が別で外からは開けることができないという館の物理的構造だ。更に「スペアも含めた全ての鍵は室内で発見された」「合い鍵はない」といった情報については、本編でも古泉の口頭説明のみで特に疑われもせず流されている以上、それほど重要視されてはいないようでもある。
 つまり、実のところ部屋で倒れているのが裕氏、姿を消すのが圭一氏であっても、事件の大筋はさほど変化しないと言えてしまうのだ。
 このシナリオには動機当ての要素は一切含まれていない。事件後に姿を消す怪しい容疑者がただ一人存在し、真相としても実際に最初に襲ったのはその人物なのだから、犯人当ての要素もメインとは言いがたい(これが連続殺人ならば彼が第二の被害者として発見されるどんでん返しがあったことだろうに!)。推理を求められているのは密室の謎ただ一つなのだ。

 古泉は初日のハルヒの推理を確かに聞いていたはずだ。「絶海の孤島で起きる殺人事件」までは叶えたにもかかわらず、この一点についてはオーダーを完全に無視するというのはどういった思惑によるものか、疑問が残る。


 その疑問を更に強化するのが二つ目だ。同様に、出発前のハルヒが「名探偵」の腕章を作っていたことはその場にいた古泉も当然知っていたはず……にもかかわらず、古泉はハルヒに殆ど密室事件の推理を行わせないのである。

 扉を破り、倒れた圭一氏を発見して以降の物語のフェーズは大きく三つに分けられる。キョンとハルヒによる捜査、古泉による密室殺人の推理披露、そして最後にキョンが『孤島』という事件の全ての真相を看破する解決編といった具合だ。
 特に注目してほしいのが古泉による推理披露のパートである。

 古泉は悠然と答え、人差し指を立てた。こいつはどこぞの名探偵にでもなったつもりなのか。

279頁

 キョンがこの場面で感じている印象はまったくその通りなのだ。
 鍵の所在、合い鍵の有無、そして死亡推定時刻といった重要な情報を矢継ぎ早に繰り出し、事件の推移、密室と化した理由から何から、用意したほぼ全ての謎を語り尽くしてしまう。一体何をそんなに急いでいるのかと思うほどに(合宿は三泊四日の予定であり、事件の発生と解決が描かれるこの日は三日目である)。
 たとえば、想定外の嵐のため、本来ならば通報により駆けつけた警察や鑑識がもたらすはずだっであろう解決のヒントをゲームマスターとして与える必要があった――そういう事情があったと仮定して、長門とのやり取りをはじめとする多少の不自然さには目を瞑ろう。
 それを鑑みても、古泉はやり過ぎだ。彼は自らの推理の最中、疑問を挟もうとしたハルヒを制してすらいる。

「それを見た裕さんも、殺したと信じ込みました。(中略)それで、嵐の夜だというのにクルーザーを奪取したのです」
「え? でもそれじゃあ……」
 言いかけたハルヒを古泉は制して、
「説明を続けさせてください」

280頁

 ハルヒに名探偵を演じさせるどころか、自分がその美味しい役どころを奪ってしまっている状態だ。
 そうして語られた推理の穴はただ一つ、それが真相ならば死体はうつ伏せで発見されなければおかしいという、とてもあからさまな矛盾である。
 完成目前のパズルの最後の一ピースだけをはいどうぞと渡されるレベルのお膳立て。ここまでできあがった推理の最後の最後、その一ピースを自らの手で正しく埋めたとて、それは本当に推理ゲームとして、名探偵のロールプレイとして、娯楽たり得るだろうか?


 そして三つ目、そんな茶番に付き合ってまで推理を完成させたところで、待ち受けている真相には謎の解体によるカタルシスなど欠片もありはしない。真実を明らかにするということは即ち「同じSOS団の仲間」であるキョンと古泉を――犯人の思考に則り、より適切な表現にするならば「唯一、涼宮さんが共にいたいと思った」(『憂鬱』264頁)存在であるキョンを――殺人者として糾弾することに等しいのだから。

 ここに至って、違和感はもはや決定的な矛盾となる。
 『孤島』の密室事件とそこに連なる真相は、古泉がハルヒに楽しんでもらうため用意した、悪趣味かつ独りよがりな推理ゲームとしてさえ、そもそも成立しているか疑わしいのである。
 キョンはハルヒにとって大切で特別な人だから、世界でただ一人一緒にいてほしいと望み(『憂鬱』)自分の期待に応えて華々しく活躍してほしいと思ってしまう(『退屈』)。そうしたごく普通の心の機微を理解しながら、しかしそんな大切な人が取り返しのつかない罪を犯してしまったら…という苦悩にだけは一切想像が及ばない、という歪な人格を想像できるのならば話は別だが……。


発想の逆転

 さて、古泉はハルヒを楽しませようとしているはずだという前提と、実際に現れた諸事実とがどうも合致しないということが分かった。ならば次にとるべき行動は前提条件を疑ってみることだ。
 こう考えてみる。古泉はハルヒを楽しませるためではなく傷つけるために、善意や好意などではなく悪意によって、この劇を構想したのだと。

 すると、少なくとも先ほどの三つの謎に関しては驚くほど綺麗に氷解してしまうのだ。
 ハルヒの言っていたような連続殺人でも、館の主人が犯人でもないのも当然だ、初めから彼女を喜ばせるつもりなどないのだから。むしろ中途半端に期待を叶え、上げてから落とすことでより落胆させる効果まで期待できるだろう(同様の構図が、フェリー上から館を目視したシーンにも見られる)。密室の推理披露という美味しい役を奪い取るのも全く自然である。辿り着いた真相に苦悩する様は最高に胸のすく光景だったに違いない。
 傷つける? 悪意? とんでもない!
 だってこれらは全て、彼女が望んだことじゃないか!
 ……このように、楽しませようとしたと解釈するよりよほど事実との整合性が得られてしまいそうなのだ。

 だが、この解釈もまた盤石ではない。
 ただハルヒを傷つけたくて嫌いだからというだけの理由で、こんな大がかりな芝居を打つという大変な労力を払うことができるものだろうか? また、何故このように回りくどく伝わりにくい方法を敢えて選んだのか新たな疑問が生じてしまう。
 実際、『孤島』は後味の悪いバッドエンドでは終わらない。色々あったけど丸くおさまってめでたしめでたしの大団円なのだ。ハッピーエンドのその影で、古泉は己の悪意が届かず目論見が打ち砕かれたことに舌打ちの一つでも鳴らしていたというのか。
 そして、この解釈が『孤島』内で生じた疑問を解決するものだとして、ハルヒシリーズ内の他のエピソードと衝突してしまうことは本当にないのか。
 この路線もまた、喜ばせようとした解釈と同様に壁に突き当たってしまう予感がある。


解かれるべき本当の謎

 古泉はハルヒに密室事件を推理させようとはしていない。この事実から、『孤島』の密室事件とそこに連なる真相は、ハルヒを楽しませるための推理ゲームとしては成立していないことを指摘した。
 では、もう一つの事件ならばどうか? 発想を再び転換させてみる。

 ここで、今一度冒頭に引用したキョンのセリフを思い返してみよう。

「この事件……と言うかこの小旅行。SOS団夏合宿と言ってもいいだろうが、今回の件で真の犯人として指摘されるべきはお前だ。違うか?」

 キョンが見抜いたように『孤島』には、演じられた密室事件と、SOS団をサプライズにかける合宿企画それ自体という二つの「事件」が存在していた。
 であるならば、密室事件の推理を行わせないことと、推理ゲームとしての破綻は、必ずしもイコールで結ばれない。本当に立ち向かってほしい謎のために、本命ではない密室の謎は早々に処理される必要があった――このような仮定が、ここで可能になる。

 古泉がハルヒに本当に解いてほしかった謎とは何か。もちろん、『孤島』という事件の真相に他ならない。
 キョンに真相を看破されてからの古泉の発言がそれを裏付ける。事件後の圭一氏を決して死体とは呼ばなかったこともそうだが、より確定的なのはフェリーで合流した際の新川氏とのやりとりだ。
 こんな手の込んだ芝居を計画するのに、役者と一切顔を合わせていないというのは考えにくい。また、後に『憂鬱』でキョンを閉鎖空間に連れていったタクシーの運転手は彼であることが仄めかされている。
 とすれば、「お久しぶりです」が本来脚本にはなかった筈のうっかりミスであった可能性は低いだろう。これも真相に辿り着くために古泉が撒いておいたヒントの一つだと考えられる。
 彼が目指したものは絶対に誰にも露見することがない完全犯罪などではなく、充分にパズルのピースを揃えればきちんと解けるように作ってある推理ゲームなのだから。


古泉一樹の真意

 古泉が仕掛けたゲームの有り様がどのようなものであったかは、本考察ではひとまずの決着を見た。
 しかし、その動機には未だ踏み込めずにいる。結局のところ、彼は何を思ってこの計画を織り上げたのだろうか。

 それを考えるにあたり、一つの示唆を与えてくれる場面を私は見いだした。それは、合宿中二晩にわたり繰り広げられる酒宴である。長門のジョーク同様、この場面も事件の大筋にはあまり絡まないエピソードだ。
 ワインを勧められ(※未成年飲酒は法律で禁じられています)その甘言に乗って羽目を外したハルヒは、泥酔して「(キョン曰く)何か恥ずかしい醜態を演じ」た挙句、飲酒後の記憶を失い「時間を損したような気分」になり後悔する。失態を反省した彼女は「ワインはもうやめておくわ」と表明する。

 大変あっさりとした文量で描かれているが、このエピソードで描かれているものは失敗と反省、今後の対策という一連のサイクルである。最も重要なのは、ハルヒが誰に言われるでもなくすすんで、自らの行動を省みて意思決定を行うということなのだ。
 高校生、ましてや一年生はまだまだ子供だ。大人の庇護を受けるべき存在だ。しかし、一挙手一投足に至るまで大人に面倒を見てもらわなければいけないほどには、もう子供ではない。
 例えばこれが、ハルヒがワインに興味を示した時に「未成年飲酒は良くない。お酒は二十歳になってから」などと真正面から諭されていたとしよう。その場合の心の動きとして、たとえ実際に飲んでみて後悔の念を抱いたとしても、ばつの悪さも相まって一層意固地になってしまうといったことが想像できはしないだろうか。
 そうなるぐらいならば、敢えて失敗を経験させてみて自発的な変化を促してみよう、という方針それ自体は、それほど理解の難しいものではないように感じられる。
(それはそれとして、未成年飲酒の責任は同席した大人にあることは忘れずにいてほしいものだが)

 この挿話を踏まえて、私なりの一つの読みを提示したい。
 古泉はハルヒに、絶望の淵に立たされてトラウマになるほどの――たとえば「殺人事件を期待するようなことを言ってはしゃいでいたら、過失とはいえ想い人が殺人を犯してしまった」というような――手痛い失敗と、それでも心折れることなく思考を巡らせ続ければ脱出口を見つけられるという、二つの事柄を経験させたくてこのような劇のシナリオを用意したのだ、と。
 そのためには、最終的に否定され棄却されるべき仮初めの真相がハルヒにとって酷な形をとることは、決して欠かすことのできない要素だったのである。


終わりに

 結果として、犯人の目論見は失敗に終わった。
 ハルヒが自らの手で真相を掴むことはなく、物騒な冗談の類を律するようになるのはもう少し先――冬の日の出来事を待たなくてはならない。
 ならば、『孤島』という古泉一樹の挑戦は無意味で価値のないものだったのだろうか?
 こればかりは価値観の領域に踏み込むことになる。論を重ねるのは無粋だろう。
 犯人・古泉一樹の擁護という筆者の企てが成功したのか失敗に終わったのかも含めて、評価は読んだ人の手に委ねて筆をおこうと思う。


2022年8月10日 くみん。

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