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自分にとっての薩摩会議とは『150年後の子孫たちと笑い合えるように』

先週末は、薩摩会議の学生クルーとして朝早くからあっちこっちと飛び回った。
参加者はすごい方ばかりで、情熱でムシムシの環境は、僕の特性:人見知りを最大限に発動してしまう。
こういう時は、だいたい人間観察をしてしまうのだ。

“会議”なのに“人間観察”

それでも、たくさんの情報を吸収し、反芻し、自分なりの言葉を模索し続けた。
発言する機会は少なかったが、心の中の「リトル久保」と何回対話したことだろうか。
きっと、人は他者との会話だけでなく、自分自身とも会話をするのだろう。


山極寿一先生は、人の話を聞くとき、目をつむって静かに何かを考えてらっしゃるな。心の中を覗きたい。

森田秀之さんは、心が好青年な方で、人や自然に寄り添える素敵な方なんだろうな。

藤岡聡子さんは、単純に惹かれた。人として好きな方だと感じた。


他にもたくさんの素敵な方々と出会えた。
このご縁を大切にしていきたいし、いつかまた、成長した姿でお会いできたらいいなと思った。



人とのご縁だけでなく、プログラムもたくさん充実していた。
DAY2は新留小学校に赴き、「教育」とは?を考えつくしたと思う。

『自律分散型組織』とか
『あわいの世界』とか
『SFC』とか
『KPI』とか

知らない言葉があっちこっち飛び交い、何言っているか分からない状態で溢れていた。
けれど、ここまで「教育」や「地域」、「文化」に「自然」といった、人を取り巻く大事な要素について、様々な経験や想いを持った方々と話し合う場は貴重だなと実感した。

印象的だったのは、熊野英介さんがおっしゃっていた「思想の多様性」というお言葉。
個性や特徴の多様性に焦点がいきやすいけど、私たちが見たモノやコト、ヒトなどをどう感じ、どのように表現するのかを尊重することって大切だと思う(熊野さんのお話はとても難しいお話だったので、自分なりに解釈しています)。

思想の多様性は、薩摩会議でたくさん感じた。
○○っぽい人とか、ラベリングとか。
一人一人を認識するには必要なことかもしれない。
けれど、そんな安易な言葉たちが、多様性を尊重しづらい要因になっているのかもしれない。

そこにいる人は、その人。
久保憲祐という人間は、久保憲祐なのだ。

以前、多様性についてnoteで書いてみたけれど、改めて多様性について考えさせられる1日になったと思う。
そして、ふるかわりささんをはじめとして、鹿児島の教育を支える温かい方々がたくさんいることも、「教育」を学ぶ上で恵まれた地にいるんだなと、改めて実感した。今後、自分なりの「教育」を、世の中の一部となる形として、150年後の未来に遺したいと思った。



DAY3は、鹿児島県内10か所への遠足から、朝早くに参加者の方々が城山の地へ帰ってきた。ハードスケジュールにも関わらず、元気な方々の姿を見て、体力に「若さ」とか関係ないんだなとも感じた。

特に、トークセッション「コモンズ×Transformation」は、自分の中で感情が揺さぶられた時間になったと思う。

「コモンズ」は、新留小学校でも話題になったキーワード。
自分は、「コモンズ」について理解できないままでいた。
ネットで調べても、「共有資源」とか、「共同体」とか、「入会地」とか、「共有地」とか。
んー。よくわからない。

それでも、登壇者や参加者との対話を聞いていく中で、「しんどい時・辛い時に居心地がいい場所」だなと実感した。

これについては、結婚相手に求める条件とか、そんな感じでぼんやりしていたけれど、過去を振り返ると答えが見つかってくる。
高校時代は「サッカー部」が僕にとっての「コモンズ」だったし、
大学時代は、五月から参加させていただいている「MOKUMOKU」が僕にとってのコモンズだ。

トークセッションが始まるとき、モデレーターの井上英之さんが、この場を「温泉」と表現していました。その名の通り、会場中に広がる温かい場が、一つの「コモンズ」になっていたんだろうなと思った。


この三日間、自分にとって、一つのマイルストーンになった感じがした。
なんなら、自分と同世代のご夫婦が、新婚旅行として薩摩会議に来たというのも衝撃的だったな笑
彼らにとっても、最高な3日間になったと思う。

そして翌日。いつも通り研究室にいる。
モリンガのことも考えねば。

未来に想いを馳せる3日間。
答えは、今やっていることの延長線上にしかない。
自分の進む道を、時空は違えど150年後の子孫たちと共に笑い合えるよう、走り続けていたい。


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