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幸せの本質はここにある

こんちは、かわこうです。

今日は幸せについて考えてみたいと思います。

先日、とある集まりで、僕が半年ほどボイトレに励んでいることを話しました。

ボイトレの話をした時に、必ずと言って良いほど、「何のために?」みたいな話になります。

純粋に歌うのが好きで、上達するのが楽しいからやってるだけなんですが、一般的には「何のために」それをするのか、ということがないといけないような感じなんでしょうか。

僕は幸せに生きるということの本質の1つに、ここにポイントがあるんじゃないかと思っています。


僕は7年ほど前にうつ病になってから、幸せに生きるにはどうすれば良いだろうといろいろと試行錯誤してきました。

はじめは、人生の時間の中で仕事に使う時間がとても長いので、仕事をどうにかしないといけない、と思い、フルコミットで仕事に取り組んだ時期があります。

その中で、いろんな人と協力しながら、信頼も得ながら、最終的には評価もされて、充実した日々でした。

これはこれでとても良い経験でした。

でも、人事異動があって、自分のそれまでの経歴が活かされないような部署に行くと、モチベーションも上がらないし、自分の存在価値みたいなものも確信が持てなくなって、モヤモヤした日々が続きました。

仕事を人生の唯一の柱だと捉えてしまうと、どうしても自分にはどうしようもない外的な要因でうまくいかなくなることがあります。

人事異動は自分で希望することはできても、それが叶うことはほとんどありません。
人間関係も選ぶことはできませんよね。


なので、外的要因に左右されにくい自分なりに取り組める活動というものが必要だと思います。

そして、その時に、純粋に楽しめる活動というのが僕は必要だと思います。

その活動に、「何のために」という意味を求めるのではなく、ただその活動が楽しいからやる。それだけのことをやるんです。

僕らは子どものころから、意味を求められすぎたんじゃないかという気がします。

何のためにそれをやるのか。おそらく、人間にとって経済活動にどれだけ寄与するかということが重要だと捉えられすぎていて、例えば、歌の練習をするというのは、プロとしてお金をもらって活動するのでなければ、やる意味なんてないというようにです。

いつしか純粋に楽しむということを忘れてしまっている人が多いんじゃないかと思います。


僕はボイトレをやって、もちろんこれから歌手になるとかじゃないんですが、少しずつ歌がうまくなって、テクニックが使えるようになったり、発声が上手くなっていったりして、純粋にその成長している感じが嬉しいし、楽しいし、充実している感じがするんです。

ただそれだけで良いという活動も、自分の中に持っていると良いんじゃないかと思います。

みなさんも、これをやっていて「楽しい!」と思えることがあると思います。

「今さら」とか、「何のために」とか、考えずに、純粋に楽しめることをやってみてください。

それが幸せの本質なんだと思います。

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