「孤独」問題
こんちは、かわこうです。
最近読んでるこの本。
ほぼ完読しましたが、宮台さんの話は非常に示唆に富んでいる。
今日はこの本の中にも出てくる「孤独」の話をしたいと思います。
ご想像のとおり、日本では孤独死が増えていて、世界の中でも断トツの「孤独死社会」です。
2015年の研究によると、孤独死の80%以上が男性で、年齢別では60代が最も多い。
別のOECDの調査(2005年。ちょっと古いですが)によると、日本では「友人、同僚、その他の人」との交流が「まったくない」あるいは「ほとんどない」と回答した人が15.3%おり、加盟20カ国の中で最も高い水準のようです。
みなさんも「孤独」を感じたことは、1度や2度じゃなくあるんじゃないでしょうか。
以前は拡大家族で3世帯同居していたものが、核家族化で3世帯同居は珍しくなりました。
団地化によって建物内の隣近所に誰が住んでいるかも分からなくなってしまいました。
僕も就職して、20代前半は1人暮らしで過ごしました。
平日の日中は仕事で、孤独を感じることはあまりありませんでしたが、夜や休日はすごく「孤独」に襲われていました。
そもそも職場の人ともまだそんなに馴染めていないし、学生時代の友達も近くにいるわけでもなく、みんな忙しいし。
もちろん単身用マンションで、ご想像のとおり隣の人やマンション内で交流なんてあるもんじゃないです。
「孤独」からくる寂しさを埋めるために、飲み会の予定を切れ目なく入れたり、何かしらの予定を入れて埋め合わせをしていました。
時間を浪費している感じがする自分を責めたい気持ちも当時はありました。
ただ、そもそも人間は孤独に耐えられるような脳の設計になっていないわけです。
我々ホモ・サピエンスは弱かった。ネアンデルタール人の方が脳も大きく身体も大きく、強かったと言われています。
それでもホモ・サピエンスが残ったのは、集団を作って闘ったから、生き残れたという歴史を持っています。
なので、元々孤独に弱く、実際に孤独はメンタルへの悪影響がとても大きいです。
昔は孤独に耐えられない自分を責めていましたが、それ自体は当たり前のことなんだと今では受け止めています。
その上で、ただ孤独を埋め合わせるだけの行動から、人間としての繋がりをつくっていくような行動をとっていこう思っています。
本の中では、団地化によって隣近所との関係が希薄化したということで、確かにそうなんだろうと思います。
ただ、マンションを買った僕にとっては今更住まいを買えるということは現実的じゃないですよね。
でも、幸い、分譲マンションで300世帯もあると、この中で結構コミュニティができています。
定期的にオヤジたちで集まったり、家族ぐるみで集まったり、夜な夜な飲み会をしたりします。
こういった関係をまずは大事にしていきたいですよね。
大事なのは、「自分の孤独を埋めるために付き合う」みたいに考えてしまうと、損得勘定からくるとても利己的なものになってしまう。
できるだけ利他的であったり、地域のコミュニティをつくっていくという観点で、関係を大事にしていきたいですね。