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読書記録『ジョン・アーヴィング著「ピギー・スニードを救う話」』

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ガープの世界とかが有名だろうか。アメリカの小説家ジョン・アーヴィングの短編集「ピギー・スニードを救う話」
23ページほどの非常に短い話だけど、「物語とは」とか「フィクションとは」とかいう問いが、すべて詰まっている。
アーヴィングの小さい頃の話なのか、創作なのかわからないけど、作中にはアーヴィング本人が出てくる。

主人公のピギー・スニードはゴミ集めの男で、すさまじい体臭を放ち、容姿の醜さもすさまじいという。そこで、近くに住む子どもからは「豚ちゃん(ピギー)」と呼ばれていた。
ピギーと呼ばれるのはもう一つの意味があって、それは彼が豚小屋に豚と一緒に住んでたからだ。
近所の子どもたちとは、からかわれつつも交流があり、なんとか暮らしていたが。あるとき豚小屋が焼けてしまい豚と一緒に焼け死んでしまう。
焼け跡で、ピギーの遺体を探していたアーヴィングは「ピギーは実は死んでおらず、今のこの状況が嫌になって町を出たんだ」と話し始めた。
周りの友人もアーヴィングの話に乗りはじめた矢先にピギーの遺体が発見される。


フィクションや文学、物語とはつまりはこういうことである。
事実上では、文学は火をつけることも救うこともできない。
その何も成し得ない文学ができることは「火をつけたことにして、救えたことにする」ことだけだ。

事実自体はなにひとつ揺り動かさないが、それを見ている人々の心を揺り動かすことができる。現実では救えてないけど、虚構によって(何らかの意味で)救えたかもしれない。
虚構とはなにか、物語とはなにか。フィクション(つくること、言葉を立てること)によってなにが生まれるのか。未だに答えはよくわからないけど、この物語にヒントがあるかもと思って、折にふれて思い出す。

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