9ヶ月間のインターンを通して
スオスダイ!
インターン終えたやましたです。
帰国をしてから、いろいろと慌ただしいです。
ずっと置いていたマイカーが動かなくなったと思ったらバッテリーがあがっていたり
住民票の転入のために1時間役場で待機したり。
久しぶりの運転は、雨が降っていたのもあり、
とても怖かったです。
なんというか、集中力が持たないんです。
ずっと、ハンドルを持ってアクセルを踏むだけなのに、それすらできない。
疲れました。
日本に帰って数日が経ちました。
日本は、驚きの連続。
トイレは綺麗だし、トイレットペーパーは流せる。
水道水は飲めるし、お湯も出る。
だけども、どこかでカンボジアが恋しくなります。
「カンボジアではご飯は薪に火をつけて鍋で炊いてた」
「カンボジアでは鶏肉を捌いてた」
「カンボジアでは水シャワーだった」
カンボジアでは、カンボジアでは……
と、口癖のように出てきます。
私は、不便でもそっちの生活の方が好きです。
たくましくなったな、と自分でも思います。
だけど、同時に自分がどこかタイムスリップしたような、浦島太郎さんになったみたいな感覚にもなります。
役場で言われていることが、分からない。
言葉が難しすぎるのです。
人と話せない。
言葉が出てこないのです。
時代は令和だし、令和2年だし。
日付も、元号も分からない。
なんだか、とても息苦しくなりました。
たったの9ヶ月間だけでも、周りも自分もここまで変わるものかと。
そんな変化に慣れない日々ですが、もう少しゆっくりし、徐々に社会復帰できたらと思います。
長くなりましたが
そんなこんなで、わたしは約9ヶ月間カンボジアでインターンをしていました。
その9ヶ月間。
やましたは結局、何を学んだの?
やました、カンボジアいって、何があったの?
やました、カンボジアどうだったの?
と色んな質問があると思います。
それを今日はまとめます。
9ヶ月間、カンボジアであったこととは。
最初の思いから、今の思い
最初、わたしはどんなことを目標としてカンボジアに行ったのか。
何度もnoteでお話ししたと思います。
わたしの今回のカンボジアでの目標のひとつに
【インサイダーとしての視点を持つ】
ということがありました。
高校生の時にカンボジアに行って以来、好きになり、将来は住むことを視野に、カンボジアに心酔していきました。
高校生の時から目標だった『カンボジアの人のために何かをしたい』
そのために、大学は社会福祉を学びました。
ですが、いざ就職を考え、カンボジアに関わる企業の創立者の方とお話をした時
お前はカンボジアのために何ができるのか、自分の学んだことをどのように生かせるのか。
と言われた時、自分は何でここまでカンボジアのこと好きなのか。
カンボジアに行ったとして、自分ができることって何か。
悩むうちに、その人の前で泣いてしまいました。
考えているようで、考えていない。
その人からも
カンボジアで障害者支援をしたい、って言ったけども結局は日本の考えの押し付けだし、カンボジアへの先入観がすごすぎる。
お前が言っている『カンボジアが好き』は旅行者としての『好き』だ。現場が見えていない。
と。
だけど、その時は、すぐにでもカンボジアの現地に飛び込む勇気はありませんでした。
怖かったのです。
何もできない自分が。
だけども、カンボジアが好きな気持ちは変わらない。
怖いけど、何ができるか分からないけど、飛び込みたい。
と。
それから、大学卒業後にインターンをすることを決めました。
うずうずして、ずっと目に見えないカンボジアの現状を勝手に想像して思い込むよりは、現地に出たい。
いろんな意味で、当時わたしを叱咤してくださったあの方には感謝をしています。
さて、それで、9ヶ月を通してインサイダーとしての視点を持つことができたのか。
少なくとも、9ヶ月前よりかはできました。
CBBでのインターンは農村部。
カンボジアのよりリアルな部分が見えます。
カンボジアの文化であり、生活であり、人柄であり。
クメール正月やプチュンバンにお寺に行って体験したこと。
マエ、アウポが亡くなり経験したカンボジアの葬儀。
毎日、火を起こしご飯を炊くこと。
水のシャワーを浴びること。
市場で食事をし、買い物をすること。
観光客や来客として、大袈裟にもてなされない、リアルな人間関係。
カンボジア人特有の性格や人柄に、思い悩んだこと。
カンボジアの言葉を話し、コミュニケーションを取ること。
カンボジアに入らないと分からなかったことばかり。
楽しいことばかりじゃありません。
だけども、それを心から楽しめ、つらい事でも乗り越えられたのは
自分の心の底にあった
カンボジアが好きだ🇰🇭
という気持ちがあったから。
ですが、その気持ちに大きな実がついたのが、今回のインターンです。
今までふらふらした思いでお言葉にできなかった、好きという気持ち。
今ならはっきり言えます。
「わたしはカンボジアの温かな雰囲気や、見守ってくれるような人柄、そして自分が自分らしくいることができるこの国が好き」
その気持ちの変化がまず第一にありました。
日本語教師として
CBBスクールは、日本語教師・英語教師を業務しています。
わたしは、その人に何かを教える、ということは初めての経験で、戸惑うこともたくさんありました。
何度も、noteで思いを吐露したように。
話すことはできるけども、それをクメール語で異国の子供達に教えることは、普通に教えることよりもはるかに難しい。
教えることは難しいけれども、生活の中で日本語の素晴らしさに気づくこともありました。
ご飯を食べる時の『いただきます』
食後に言う『ご馳走様でした』
出かける前の『行ってきます』
そのお返しの『いってらっしゃい』
帰った後の『ただいま』
そのお返しの『おかえり』
お礼の言葉『ありがとう』
謝る言葉『ごめんなさい』
授業後の『さようなら、また明日』
そして、1日の終わりに言う『おやすみなさい』
そんなたくさんの言葉が、生徒や一緒に住むみんなとのコミュニケーションになりました。
ひとつひとつの日本語が、彼らと私たちを繋いでくれました。
ほんとうは、みんな会話ができるくらいまで、もっともっといろんなことを教えたかった。
だけども、それも課題点のひとつ。
今後のインターン生に、託します。
次に話す時には、もっと話せるようになっていたらいいな、と期待を込めて。
わたしも、日本に帰って、将来また日本語を教える、という仕事に就く時にしっかり教えられるように『日本語教師』の資格を目指して勉強できたらいいなと思っています。
再びカンボジアに行くまで
インターン後半。
復学を目標にしていた、住み込みプロジェクトですが、1人の男の子が希望する学年に復学できない。ということが起こりました。
希望の六年生ではなく、四年生から。
理由はクメール語が読み書きできないから。
せっかく彼はここまでたどり着いたのに、学校はそれすら拒むのか、と
悔しさが溢れ出したのを覚えています。
その子も、その学年なら今年度は復学はしない。
と言いました。
その時です。
思ったんです、わたし。
このプロジェクト、もっともっと人が寄り添わないと絶対続いていかない、と。
目標は12年生を終えること。
そこまでいくには、とても長い道のりが待っています。
途中で、挫けることもあります。
道がわからなくなることもあります。
親からいきなり、働くために学校を辞めなさい。
と再び言われる日が来るかもしれません。
そんな時、それにいち早く気づき、対処できるのは。
私たちの経験からして、インターン生だと思います。
だけども、必ずしも、住み込みプロジェクトのことを真剣にやりたい人だけではないし、カンボジアのことを知ってるわけでもないし、カンボジアに対し強い思いをもっているわけでもないかもしれせん。
もちろん、住み込みプロジェクトのことを真剣にやりたい!と来た人もいますし、私たちのnoteやブログで住み込みのことを知った人たちもいます。
さまざまな目的や目標がある中で
一体、どうしたら、継続できるのでしょうか。
住み込みプロジェクトは、ただの日本人との交流ではありませんし、孤児院ボランティアでもありません。
ずっとつづく長い目標があり、それに向かって一歩一歩進んでいきます。
その中で、地域や学校、ご両親や家族と繋がりがあります。
本当に、いろんなところに手を伸ばしていかないといけない。
後半、住み込みスタッフと最前線で関わるようになって見えてきたことでした。
この一年、それができたのは、間違いなくそれまでの土台を作ってきたインターン生だし、それをお金の心配なく行えるのはクラウドファンディングに力を注いでくれたインターン生や、ご寄付してくださった皆様のおかげです。
そして、それを繋いでいこうと、一緒になって頑張ったインターン生のおかげです。
住み込みプロジェクトをはじめよう、と話し合ったメンバーが私が帰国することでいなくなります。
そうしたら、後はどうなるのか。
正直、その不安が今は大きすぎます。
だったら、わたしが戻る。
そう思ったのが11月。
新しい住み込みが増えたタイミングです。
誰か分からない人が続けるなら
続けてくれる人がいるかどうかも分からないなら
わたしが、カンボジアに戻る。
そのつもりです。
カンボジアに戻って、住み込みスタッフやプロジェクトを支えていく。
それが、わたしの新しい目標。
次は、その目標に向かってがんばるだけ。
今は日本に戻ってしまいましたが、また再び、できるだけ早く行ける日を目指して。
まずは、できることからはじめます。
今度は、在住者として戻ることができるよう
これからも、やましたを応援よろしくお願いします。
【今日の住み込み】
最年長ダエン😊