在住半年を迎えて感じる、自分の変化とは
プチュンバンもいよいよ終わり。
毎日出かけすぎて、さらに真っ黒になりました。
肌の色はカンボジア人、やましたです。
ちゃんと日焼け止めを塗ったはずなのに
やっぱり焼けてしまう。
何年後かにシミになって現れないか心配です。
恐るべし。
そんな肌の色だけカンボジア人やましたは
本日29日で、カンボジアに住み始めてから半年を迎えました。
6ヶ月と聞くと
なんだかもう早すぎて焦ります。
8ヶ月長いなぁ、と言っていましたが
いや、あっという間でした。
毎月29日には『カンボジアにきて〇ヶ月』と振り返っていましたが、今日は特別編。
半年、カンボジアに住んでみて、過ごしてみて
自分の身に起きた変化についてお話したいと思います。
ゆっくりと振り返りながら、残りの生活についても考えたいと思います。
性格が明るくなった気がする
まず変化のひとつに自分の性格があると思います。
私は最初、とても人見知りで雰囲気から暗く、生徒や村の人ともなかなか話をすることができませんでした。
そんな性格でしたから、大学の最後の年はあまり人と関わらず単体行動が多かったように思います。
そのため、ここにきて急に集団生活になったのでそれに慣れるのに最初は大変でした。
コミュニケーションを取りたいけれど、英語もできない、クメール語もできない。
とにかく自分に自信がありませんでした。
大好きなカンボジアの地に降り立ったは良いけど、現地の人との濃い関わりは今回がはじめてなのです。
そんな人見知りのわたし。
毎日、カンボジアの人と暮らしたり、生徒に日本語を教えることでは、人と話すことが増えていきました。
朝の市場に行く時に、近所に住む子供からの
『ハローーーー』の声から一日が始まります。
最初はこの『ハローコール』にさえ答えるのがとても恥ずかしかったです。
はろーなんて………
ですが、半年後
しっかりと『ハロー!』と返せるように。
声をかけてくれる知り合いが増えた、ということもあるのでしょうが、それ以上に抵抗がなくなりました。
毎日可愛い子供達に声をかけてもらえるだけでも幸せを感じてます。
こんなこと日本じゃありえません。
いろんな人が元気よく声をかけてくれるから
いろんな人が名前を呼んでくれるから
わたしはここにいていいんだ、と感じます。
ここにいる皆さんが私たちを受け入れてくださってる。
その恩返しとして、子供達に日本語を教えていけたらいいなと思ってます。
もちろん、日常会話で必要不可欠であるクメール語も、今後在住を考えるのであれば今まで以上に語彙を増やし話せるようになりたいです。
めざせカンボジア人。
自分のことについて真剣に考えるようになった
今日Twitterをみていると、あるツイートが目に留まりました。
国際協力界隈では有名な原貫太さんのツイートです。
このツイートが、自分に言われているみたいでびびっと来ました。
私は、アフリカのタンザニアに行ったことがあるし、カンボジアにもたくさん。
中国、韓国、フィリピン、と、どれも短い期間ですけど滞在しました。
そう聞くと、なんだかすごいように感じます。
アフリカなんかと聞くと、おおおっとなります。
東京の四ツ谷のイグナチオ教会でも何百人の前で、タンザニアのお話をしました。
と、そんな自慢話はなんぼでもできます。
ですが、他の人が聞きたいのは、そこで何をしたのか。
私の場合、タンザニアは人が行くのについて行った感じなので、自分の意思ではありましたが、自分の力で行ったのではありません。
私がCBBの他にスタッフとして関わっているKids & Smile(前:バッタンバン友の会)という団体があります。
その団体は、カトリック教会の信者によるグループで、会員の皆様からのご寄付をアフリカとカンボジアへ届け、現地の教会や修道院の神父様やシスターと連携を取り、教会が支援をしている村や学校、施設に配分し、現地での活動の援助を行っています。
カトリック教会は、世界各国にあります。
国や話す言葉が違えど、皆兄弟。
その活動を間近で見て、一緒に活動をさせて頂き、様々な支援の形があることを知りました。
ですが、やはり年に数回行くだけでは、現地のことは何も分かりません。
現地では何が課題なのか、どんな支援が必要なのか、誰に、どこに、どのくらい。
そして、今後、この支援が終息に向かうことができるためには、どのようにすればよいのか。
それを知りたくなり、支援先は違えど、現地で、しかも農村部で活動しているCBBでインターンをする決断をしました。
さて、インターンをすることが決定し、航空券を取り、半年前、無事にカンボジアの地に降り立ちました。
大事なのは、その地で何をするのか。
何をしたのか。
後付けでもいい。
じゃあ、今ゆっくりと考えようと思います。
半年前、CBBのサイトに私の自己紹介としてブログを書きました。
でで。初っ端からの誤字が少しダサい・・・
私が目指していたこと。
インサイダーとしての視点を持つ。
抽象すぎるとは言われましたが、これが原動力。
「お前は何もわかっていない。お前が言うカンボジアが好きは、旅行者としての好きだ」
その言葉が、そのとおりで、悔しくて、その言葉を言われてから大号泣しました。
その人の前で。
だから来ました。現地を見るために。
かっこつけた言葉はなしです。
本音で話します。
就職をしなくても、人と違っても、私はカンボジアに住みたかった。
カンボジアの人の声が聴きたかった。
生活を体験したかった。
そこで、やましたあやのという人間が、何ができるかを見つけたかった。
答えは、まだ見つかっていません。
でも、少しの自信はつきました。
現地の人とクメール語で、コミュニケーションを取り、日本語を教えることができる。
日本から来た人に、カンボジアを案内することができる。
その他もろもろ。
では、このインターンで培った経験を、帰国後はどのように活かすのか。
帰ったらどうなるんでしょう。
考えているのは「自分の県にいる外国にルーツを持つ子どもへの言語や福祉面の支援」をすること。
教育支援に関わり、住み込みスタッフと関わり、自分が日本語が通じない世界に飛び込み、言語の大切さを実感しました。
日本にいても、その国の言葉が分からないと、やはり大変です。
私は、インターンという環境で、カンボジア人スタッフや、日本人の在住者の方々にたくさん助けてもらいました。
クメール語が分からないと教えてくれました。
元気がないとき、困った時、ビザの延長の時、体調崩した時。
そんな時に、頼りになる方がいるのは本当に力強いです。
もし、この立場が逆転している人が日本にいたら。
仕事や親の都合で、日本に来ている外国人がいたら。
そんな時に、生活面、言語面、福祉面で頼りになる人がいなかったら。
頼りになる人や機関を見つけるのが困難だったら。
果たして、日本には、私の県にはそんなときに最前線で外国人に関わる人はいるのでしょうか。
帰国後は、そんな機関を探したい。
なかったら道を作りたい。
そして、そこで働きたい。
外国にルーツを持つ子どもや親世代への支援を生業とする、社会福祉士、やましたあやの。
それを実現させるためには、私の今の力では何年もかかりそうです。
英語を話せる力もありません。
社会人としての経験もありません。
日本語をちゃんと教えれるようにもなりたいです。
長い長い道のりですが、大丈夫。
I am too young.
これからの可能性と、未来に期待を持ちながら、あと数年は日本で頑張ります。
この先、どうなるかは、未来のやましたに聞かないと分かりません。
未来のやましたが、またカンボジア住みたいよう!っと叫んでいたら、それはまた新たな人生がそこから始まるのでしょう。
どんな未来かは、誰もまだ知らない。
でも楽しくなるはず。
素敵な未来になるよう、今、ひたすら経験を積むだけです。
私のインターンも、あと3ヶ月を切りました。
予定では、1月の二週目に帰国します。
私の好きなゴスペラーズが、私の地元山口県下関市で、グループ結成25周年記念の全国ツアーライブを1月に行うもので。
帰らせていただきます。
冗談はさておき。
あと少し!!!ただひたむきに頑張ります!!!
SUSUやました。
おわり。
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