誰かが、なら、私が。
スオスダイ テアンオッ クニア。
カンボジアの国際協力NGO CBBの長期インターン生のやましたです。
さて、久しぶりのnote。
5連休、やっとこさ落ち着き、村に帰ってきました。
プノンペンでは特にすることはなかったのですが、ある作業をしていました。
自分が請け負っている業務のひとつとして、インターン候補生の対応があります。
その人達に、事前に配る資料があります。
現地に行く前に、インターンについての理解を深めて、現地をイメージしやすいようにするための資料です。
その資料。
実は今と少し前と、変わったところだらけです。
スクールの2階部分にインターン生の部屋ができたり、マエが亡くなりインターンの状況が変わったり。
住み込みスタッフ制度の再開から、なにから、変わったことばかりなので、これはインターン生に誤った情報を伝えてしまうのではないか?
と思い、今回新しく更新することにしました。
手を加えるのは少し。
ですが、前よりもより具体的にわかりやすく文章を加えました。
完成したら、ぜひ使ってもらえるように、完璧なものにしたいと思います。
そんな作業もプノンペンにいる間にグンっと進み、今日村に帰ってきました。
今日、実はドキドキしながら帰ってました。
それは、新しい住み込みスタッフがちゃんと帰ってきてるかどうかが気になって仕方がなかったからです。
実は、先週から新しい住み込みスタッフが4人も増えました。
簡単に紹介します。
新しい住み込みスタッフ
住み込みスタッフ1人目は最年少ティアリー
クメール語では、ធារីと書きます。
彼はなんと10歳という若さ!
私とは13歳差です。干支がひと回りちょい。
そんな最年少ティアリーは、小学5年生。
他の住み込みスタッフのように、学校は中退はしていませんが、通っている学校が把握している貧困家庭リストに入っているそうです。
また、学年が上がるにつれ、学校から遠くなり、将来的に中退する可能性も無きにしもあらず。
最年少ティアリーは、まだまだ緊張気味ですがお兄さん達に着いていきながら勉強も頑張っています。
2人目は、ソックンです。
クメール語ではសុគុណと書きます。
ありがとう、という意味のオークンと同じ意味だそうです。似ている。
ソックンは14歳の7年生。
彼、めちゃくちゃいい子。
プロサム村出身の子が多い中、彼らのお兄さん的存在です。
小柄で、やんちゃそうに見えても、実はとてもしっかりしています。
どこか出かける時には、手を合わせながら「◯◯に行ってきてもいいですか?」と聞き
わたしがひとりで、スクールのご家族が飲み会しっぱなしで解散してしまって汚くなった教室を片付けていると、サッカーを中断してまで手伝ってくれて。
それをみた他の新しい住み込みのみんなも手伝い始めて、とても感動しました。
(古株のスタッフSP君は気にせずサッカーを続けていたというのは見て見ぬふりをしましょう笑)
他者のために動ける人は、本当に素晴らしいです。
彼が今から、CBBでもっと成長していく姿を見るのがとても楽しみです。
3人目はマカラー。
クメール語で1月、という意味です。
មករាと書きます。
マカラーは12歳。3人兄弟の長男です。
下に5歳と2歳のきょうだいがいます。
マカラーも、やっぱりお兄ちゃん気質。
ソックン同様、しっかりしています。
授業中、集中力があまり続かないのか、ふわふわとしている彼ですが、ひらがなの覚えは早いです。
マイペースな彼ですが、伸び伸びと成長していけるよう、サポートできたらと思います。
4人目は、ポン。ប៉ុនと書きます。
今回来た住み込みの中で最年長の15歳です。
彼は、少し離れたタングロサンという村に住んでいます。
タングロサンへは、プチュンバンの時にお寺に行ったりしましたが、なかなか遠い。
ですが、タングロサンへ行く道はとてもきれい。
そんな豊かな自然に囲まれたところから来た彼は、最初、表情も硬くとても緊張していました。
やっぱり、はじめて親元を離れて新しい場所で、初対面の人と生活するのは緊張します。
なんだか、高校生の時の、寮に入りたてのあの気持ちを思い出します。
今は緊張しているかもしれませんが、だんだんと彼の本来の姿を安心して出せるように、丁寧に関わっていきたいです。
さて、そんな彼らがきて、住み込みスタッフは総勢7人になりました。
それほど人が増えると、今後大丈夫かな、と少し心配になります。
わたしがここにいれるのも、あと2ヶ月を切りました。
今後、CBBはどうなっていくんだろう。
今後、住み込みスタッフ達は誰が支えていくんだろう。
そうなった時、胸の奥がザワザワっとしました。
ある気持ちが芽生え始めたのです。
カンボジアに残って、最後まで見届けたい
住み込みスタッフプロジェクトは、住み込みスタッフが高校を卒業するまで続きます。
最年長ダエンでも、あと4年。
最年少ティアリーは、あと8年。
そんな、長い長いプロジェクト。
きっと、今後、彼らを支えていくのは未来のインターン生だと思います。
それはそれで、いろんな日本人と関わるので、住み込みスタッフにとってもいいことだと思います。
ですが、懸念点といえば
住み込みスタッフプロジェクトを完全に理解していない人たちが、だんだん少なくなるということにより、住み込みプロジェクトの継続が難航するのではないか、ということ。
前回、住み込みスタッフ制度があった時
長期のインターン生が帰った後も、きちんと引き継ぎをされていたインターン生までは続いたのですが、それ以降のインターン生で、住み込みとのトラブルもあり、住み込み制度を辞めた、ということがありました。
すでに、このプロジェクトを再開したメンバーは帰国して、日本で新たな道を歩き始めています。
そして、他のインターン生も、来月帰国し、私も1月には帰ります。
残る少ないインターン生で、7人を支えていくという試練。
そして、彼らもいつかは日本に帰る。
そうなった時に、今後どうなるんだろう、ってすごく胸騒ぎがするのです。
きっと、また新たにインターン生が来て、彼らと関わっていくのでしょう。
ですが、それは今、私たちがしている支援や関わり方とは違うかもしれません。
そう考えた時に、ふと思うのです。
わたしが、彼らを、最後まで見届けたい。と。
わがままかもしれません。
でも、それが本心です。
彼らが、高校を卒業するまで見届けたい。
途中で、再びドロップアウトすることのないように近くで支えていきたい。
できることならば、このままカンボジアに残り、現地スタッフとして、このプロジェクトやスクールを続けていきたい。
そんなことを強く思うようになりました。
インターンと、仕事は、違う話かもしれません。
そんな軽い気持ちではだめだ、とも思います。
ですが、私は、このプロジェクトをやり遂げたい。
会ったことのない誰かがやるならば、私がやりたい。
日本に行って、おしまい。
じゃ、だめな気がします。
帰ってきて、責任を持って続けていく。
自分が今一番やりたいことは、これだ。
夢中になってできることは、これだ。
『他者のために、他者とともに生きる』
ずっとずっと、追いかけてきた言葉を表すものが、やっと見つかったような気がするんです。
日本に帰って、一から仕事を探して社会のために働くのなら、私はカンボジアで、彼らのために働きたい。
今は、そんな思い。
もちろん、私には日本で待つ家族もいるし
たくさんはいないけれど、応援してくれ、待ってくれている友人も親友も相方もいる。
93歳のあと何年、何回、彼のミサに与かることができるのだろうか、という大事な神父様もいらっしゃる。
親のように親身になってくれ、応援してくださる教会の方がいらっしゃる。
残してきたものがたくさん。
せっかくとった社会福祉士の資格も生かしたいし
原宿のショップ店員もやりたいし
結婚して家庭も持ちたい。
だけども、人生は長い。
たかが23年。まだまだ若い。
なにがあろうと、これは私の人生だ。
経験不足だろうと、新卒ブランドを無駄にしようと、後悔はないだろう。
漕ぎ出した船からは、降りることはできない。
わたしが目指す場所に、ゆっくり、ゆっくりと動き出してしまったようだ。
カンボジアが好きで
カンボジアの人達が好きで
住み込みスタッフのみんなが好き。
そんなたくさんの好きを持ちながら
とりあえずはあと2ヶ月、がんばる。
ゆっくりと考えよう。
おわり