置かれた場所でいかにして成長するのか
こんばんは。NGO CBBでインターンをしているやましたです。
別れ
最初の住み込みスタッフが来て、4ヶ月が経ち、来月から5ヶ月目に入ろうとしています。
そんな中、早すぎる別れがありました。
以前からよく紹介していた住み込みスタッフのソリがCBBスクールを離れることになりました。
彼の口からは理由は語られませんでしたが、家に帰りたい、という彼からの申し出があり、非常に残念ですが、彼の申し出を受け入れました。
彼は家庭が貧しく、学校にも行けず、クメール語の読み書きができませんでした。
学校に復学する際には、希望した学年の6年生ではなく、4年生からやり直したほうがいい、と学校側に言われて、近くの小学校に通うことを諦め、もともと自分が通っていた学校に6年生から復学することが決まりました。
制服姿もよく似合い、学校に行ったらクメール語も教えてもらえるし、友達もできるだろうし、とこちらもワクワクしていました。
ですが、現実はそう簡単ではありませんでした。
文字の読み書きができないことが、時には彼の劣等感になり、よく彼の口から「クメール語むずかしい」という言葉を聞きました。
それに対処しようと、授業の中でクメール語を学ぶ機会を作ったり、逆にソリからクメール語を教わってクメール語の文字に触れる機会を作ろうと試みたのですが、なかなかうまく行かず。
彼は学校を休むようになり、クメール語からも遠ざかるようになりました。
そして、新しい住み込みスタッフが来た途端、彼に変化が訪れました。
新しい住み込みスタッフはソリの近所に住む子で、同じ学校に通っています。
彼らがCBBを知ったのも、おそらくソリがCBBの話をしていたからだと思います。
そんな住み込みスタッフ達は、ソリよりも年下です。
はじめは、年下がきたからちょっといい格好を見せたいのかな?と思っていましたが
その行動が時にはルールを破ったり、よくなかったり、人を傷つけたり、と問題があることもありました。
また勉強に関しても、新しい子達に日本語を教えることは、とても張り切っているのですが自分の勉強となると………
そして、学校もちゃんと行ってるのかな、という感じ。
こちら側も毎日起きる問題に頭を悩ませる日々。
そして、ソリと直々にお話し、学校に行かない、ルールを守らないという行動が続くようなら、1週間家に帰ってもらうよ、というお話をしました。
その際、彼が本当にここで勉強したいのか確認したところ、「したい。学校にも行きたい」と答えてくれたので、大丈夫かな、と思っていた、次の日でした。
彼の中で何があったのか、分かりません。
彼の本音を聞き出すことができない自分の無力さと、彼へのアプローチがむずかしい、というさまざまなことがあり、送り出す際にはなんとも言えない気持ちでした。
この住み込みプロジェクトは、様々な理由で学校を中退せざるを得ない子供たちが、日本人と一緒に住みながら安心して勉強できる環境で学び、学校に復学することを目標としています。
ですが、せっかく学校に行くことができるにも関わらず学校に行かなかったり、勉強できる環境下にいるのにスマホに夢中になって部屋にこもっている姿は、目指している住み込みスタッフの姿ではありません。
「CBBは勉強する場所で、みんな一生懸命勉強するために来ている。そうじゃないなら、家に帰ってくれ」
これは、過去の住み込みスタッフが同じように、まじめに勉強しないスタッフに向かって言った言葉だそうです。
言われたスタッフは、これを機に心を入れ替え、本気で勉強を始めました。
その彼に、プチュンバンの際に会いました。
彼は日本語がとても上手で、全て日本語で会話をしました。
その時に、いつか住み込みスタッフ達もここまで話せるようになってほしいな。
と希望がみえました。
その時は。
勉強って
たくさん考えました。
彼らにとって、勉強ってなんなんだろうか。
人によっては、勉強好き!もっと勉強したい!
という子がいます。
ですが、人によっては、勉強苦手という人もいます。
その違いってなんなんだろう、と。
たしかに、勉強勉強言われ続けた小学生中学生高校生の頃はちょっと苦痛だったかもしれません。
宿題もしたかと言われたら8割はやらない人間でしたし。
ですが、その苦痛にも理由があったんだと思います。
きっと、ソリにも。
クメール語が書けない、読めない。
習ったはずの勉強が分からない。
自分は周りより歳はお兄さんなのに。
学校を辞めてから離れていた分、学校に再び適応するのはそう簡単ではないかもしれません。
きっと、自分が世間に置いていかれている、ということを直に感じてしまう場所かもしれません。
ですが、その場所で、いかにして成長するのか。
その場所にいることに意味を見出し、自分の将来のために奮闘することができるのか。
それが、この復学支援に求められていると、私は思います。
大切なのは、学校に通うということだけで終わるのではなく、学校に通い、卒業することで、自分の将来がどのように変わるのか、を理解すること。
それがわかるのか、分からないのかで、モチベーションが大きく変わると思います。
日本で働きたい、ダエン
もう一人の住み込みスタッフにダエンがいます。
彼も、家庭の事情で学校を中退しました。
そして、2019年度の一番最初の住み込みスタッフとしてCBBに来ました。
彼は、17歳。
あと1年したら出稼ぎに行ける年齢です。
学ぶより、働く。
それを身近に感じたことで、彼の中に良い方にも悪い方にも影響しています。
まず良い方。
カンボジアでは学歴がない人は、工場や力仕事をして働く道しかありません。
そして、彼はもうすぐ働ける年齢になるので、家庭の労働力として働くという、一歩手前でCBBと出会い、再び学校に行くことが決まりました。
自分が働かないと、家族が貧しいまま。
その現実を十分に理解しています。
ですが、理解ある彼のご両親や兄弟姉妹の後押しがあり、彼は心置きなく勉強することができています。
働くことの大切さ、勉強することの大切さ。
その両方を理解しているからこそ、CBBで日本語を学ぶこと、学校に毎日通うことの意味を見出せてるのだと思います。
年齢が若いと、どうしても家庭の事情や、金銭のこと、学ぶことの大切さを理解することが難しいです。
特に今の子供達は、発展の恩恵を受け、ほぼ学年通りに学校に行くことができています。
自分が家庭のために働かなければ、家庭が貧しいままだから、将来のために勉強しなさいとか、学校に行くことが当たり前のようで当たり前ではないから、きちんと行きなさいとか。
そんなことを10歳から15歳の子供が理解できるか、と言われたら、おそらくできないでしょう。
ダエンは、その家族からの応援やプレッシャーもあり、今勉強をとても頑張っています。
ですが、それが時には悪い方にもいきます。
彼は時々「わたしは、高校も卒業せずに、すぐにでも日本で働きたい」と話します。
最初は、しっかりした目標だな、とは思っていたのですが、どうも本気です。
働いて、家族のためになりたい。と。
ですが、現実を見ると、彼は今9年生。
中学3年生。卒業すらしていません。
最終学歴は、小卒。
現実を叩きつけると、無理の一択だと思います。
そもそも、日本で働くための語学力もまだN5にも及びませんし、年齢的にもむずかしいし、そもそも就労ビザがおりない。
もし、天地がひっくり返って行けるとなっても、今の日本の技能実習生制度を見ても、やっすい賃金でやっすい労働力として働くだけのように思います。
日本という国をある程度知る私たちからしたら、ダエンをそんな環境下では絶対働かせたくないです。
ダエンだけではなく、日本に憧れる全ての外国人にもです。
今はただの憧れかもしれません。
ですが、それが日本人と関わり、日本のことを知るうちに早く実現させたい気持ちが早まったのでしょう。
そうなると、日本人側でできることはなんでしょうか。
下手に応援することもできませんし、無理だ、と彼の意志や希望を奪うこともできません。
できるのは、彼にたくさんの成功例と人生の選択肢を見せることだと思います。
わたしの友人には、CBBの住み込みスタッフを経て、日本語学校へ行き、日本に働きに行った人がいます。
元住み込みスタッフには、メコン大学の日本語学科に通う人もいます。
みんな、日本に行くために、学力をつけ、日本語能力を身につけて、夢に向かって頑張っています。
千里の道も1歩から。
その言葉を、今はダエンに送りたいです。
自分が学生の時、中学校のその先や、高校のその先を見せてくれたのは、そこに通う先輩方でした。
実際、授業を受けている先輩の姿や先生方と出会うことで、より目指しているところやそこに向かうための地道な道のりが分かるのです。
村に住む子供達に、その機会があるのか、と言われたら多分無いに等しいでしょう。
あるのは、親や親戚が自分の村で働いている姿や学校の先生の姿、そして、出稼ぎに行く家族や親戚の姿だと思います。
全員を連れて行くことは無理ですが、一番自分の将来について考え悩んでいるダエンには、ぜひプノンペンのメコン大学でがんばっているCBBの先輩の姿を見せたい。
と、今、インターン生は考えています。
そして、日本に行くために、どんな勉強が必要なのか、大学で何を学んでいるのか、など、カンボジア人の口から聞く必要があると思います。
彼の、中学校、高校のその先にある明るい未来を見つけ出すために。
そんなこんなで、今週、住み込みスタッフに関していろんなことがありました。
住み込みスタッフとの関わり方を今一度考えると同時に、住み込みスタッフのことをもっと支えることができるよう精進したいと思います。
前回話したよう、インターンが終わったら
もしかしたら、再びカンボジアに住み、近くで住み込みスタッフを支えることができるような生き方ができたらいいなと思っています。
少しでも彼らの役に立てるように、まだまだがんばります。