消えてしまおうとした10年前
8月31日。
明日から学校がはじまるという日に、命を絶つ子どもが多いということを知ったのは数年前。
いじめや、自殺、不登校に敏感になったのは
自分がターゲットになってから。
もう10年前にもなる。
10年前、わたしは毎日のように消えてしまいたいと思っていた。
はじまり
始まりは突然で、修学旅行中にもらったある手紙からだった。
その手紙とは、人生ではじめてもらったラブレターだった。
最初はふざけた文面と、汚い字に、疑問と違和感を感じた。
周りの人も、やめなよ、って止めた。
そう。
この時に、やめておけば、あんなことにはならなかったのに。
差し出し人が、当時一緒の部活に入ってて、その競技で大会で上位に入るくらい強い人だった。
一緒にキャプテンをしていた。
学級委員も一緒だった。
その人とは、友達、の関係だった。
でもたまに、相手からの謎のアピールに、ん?となることもあり意識することもあった。
委員会の会議で隣に座ってる時に、コソッと手を繋いできたり。
気遣いができたり、やさしかったり。
そんなところに惹かれつつあった中
この手紙をもらった。
疑いながらも、答えは決まってた。
修学旅行最終日。
学校に戻ってきたあと、部室の裏に呼び出されて、改めて告白をされて、わたしも返事をした。
ドキドキの雰囲気なかで、どさくさに紛れて
乳触らせろって言われたが、めちゃくちゃ気持ち悪くて断った。
そこで、やっぱ無理って言えばよかったのに。
今なら思う。
罰ゲーム
修学旅行のあと、振り替え休日を経て、ドキドキしながら学校に行くと、付き合っているという話は広がっていた。
幸せな気持ちのまま、浮かれていたが
その日のうちに嫌な噂は耳に入ってきた。
ある女子から、体育の時間に
「あの告白、偽告白だったらしいよ」
と、教えてもらった。
話を聞くと、修学旅行中、男子みんなでUNOをして、負けた人は学年で嫌いな女子に偽告白の罰ゲームということをしていたそうだ。
そのターゲットに運悪く選ばれてしまったわたしは、まんまと罠にハマってしまったという。
その日から、周りの男子の目が変わった。
いじめてもいい存在。
みんなが嫌ってるから、俺も嫌い。
そんな風に扱われた。
暴力や、物を隠されたり、落書きされたりというものはなかった。
だけども、男子が固まって行動して、すれ違いざまに
私の低い声を真似して、その告白してきた子の名前を呼んでバカにしてきた。
わたしは変な行動や、独り言が多い。
それも自覚してるんだけど、あいつらはそれも真似してきて、みんなで笑っていた。
そのほかにも、私の名前からあだ名をつけて、私の行動に対してくすくすと笑っていた。
すれ違うたび、いつも、その単語が聞こえる。
笑い声が聞こえる。
団子になって固まってる男子の集団が、1人の私に嫌な言葉をぶつけてくる。
男子の声が嫌い
男子の笑い声が嫌い
男子の集団が嫌い
それがとにかく苦しくて、次第に学校に行きたくなくなった。
死にたいと思った。
飛び降りる勇気も、首を吊る勇気も
なかったから、自分を傷つけた。
リストカットは怖かったから
指先をカッターでできるだけ切った。
痛かった。
絆創膏でグルグル巻きになった指で、学校に行った。
何か言われると、制服のポケットに忍ばせていたカッターナイフで、指を切った。
この頃、髪を抜くこともあった。
すれ違いざまに、あだ名を呼ばれてクスクス笑う声が聞こえて、耐えきれなくなって、ストレスを髪にぶつけた。
これが、わたしが受けてる痛みだよ。
早くやめて欲しい。
そんな思いを込めて、自傷をしてた。
カッターは保健室の先生から止められてしまい、やらなくなった。
その代わりに、話をたくさん聞いてもらった。
教室で吐けなかった思いや、なんで自分がこんな目に遭ってるのか理解できない気持ちを、過呼吸になりながら、泣きながら吐き出した。
当時、いじめられていたことに関して
家族からも理解がなかった。
姉妹からは「あんたが悪いんじゃないん?あんたが変なことをしてるから変な目で見られるんじゃないん?」
「そうやって家でも悪口いうからいけん」
と、責めれていた。
1番つらかったのは
妹が、私たち姉妹で使っていたケータイで、私を虐めていた同級生達とメールをしていたこと。
みるつもりもないけど、気になって内容をみると
妹も一緒になって、同級生と一緒に悪口を言ってた。
ちょうど妹と喧嘩した日
姉と喧嘩した、という内容を同級生に送ってた。
返ってきた返信を見ると
「あいつ、俺らの中でカスやけ」
とはっきり書かれていた。
妹も、喧嘩していたので「あいつ家でもウザイ」と送って、内容はヒートアップしていた。
その文章を見るのも辛くなり、その日
何重にも被せた布団の中で、叫び続けた。
声が枯れるまで、喉がちぎれそうになるまで。
叫んでると疲れてしまって、ご飯も食べずに眠ってしまいそのまま朝が来た。
次の日、学校に行かなかった。
ここまでが、わたしの覚えてる範囲の辛い体験。
救い
そんな私にも女子の友達はいた。
その存在は、私にとっての救いとなった。
ほんとに助けてもらいたかった人には、助けてもらえなかったけど。
親友だと思ってた人たちは、自分の安全を取って離れていった。
別に、そういう人だったんだな、と思うだけだった。
その人たちから離れたら、今度は違う人と仲良くなっていった。
その子たちは、個人面談で私のされてることを先生に話して、心配してくれた。
その話を聞くだけで、胸がいっぱいになった。
先生は動いてくれなかったけど、そんな友達がいることが、私が学校にいく理由になった。
今でも関係が続いている子がいる。
1人で帰るのが怖くて、その子たちに声をかけた。
その子たちは一緒に帰りながら話を聞いてくれた。
学校での嫌なことを吐き出したり、好きなアニメについて語りながら帰った時間が、わたしにとってのメンタルケアになっていた。
好きなアニメを観る時間
好きなアニメの絵を描く時間
好きなアニメの声真似をする時間
好きなアニメについて友達と語る時間
好きなアニメの二次創作の小説を描く時間
そんな時間が
私の楽しみだった。
私が、唯一生きてる時間だった。
これを見出せなかったら、きっとわたしは、今天国にいる。
相手を恨み、遺書に文句ばっかり書いて、死んでいって、成仏できないまま、ふよふよしていたかもしれない。
そんな選択をしなくてよかった。
今でも、その友達には感謝してる。
その子が、私の好きだったアニメに興味がなかったら学校という場所に行こうと思ってなかったし
人生の中で楽しみを見つけられなかった。
ありがとう。
その子とは今も仲良し。
ずっと大切にしたい。
生きててよかった
ここまで、過去の話をしてきた。
今でもこのことを思い出しては、苦しくなる。
10年経っても傷は癒えない。
成人式で会った時も、話はしてないし
目も合わせてない。
きっと、相手は私が当時どんな気持ちだったか、考えてすらない。
成人式で、誰1人、当時私をからかう時に使ってた言葉を言う人がいなかったのは、唯一の救いだったかもしれない。
だからといって、許したわけじゃない。
これから先も、許す気は無い。
強いものについて行くしかできなかった弱虫達よ。
今でもみんなのことは嫌いじゃよ
わたしは今、その人たちとは全く違う世界に生きてると信じたい。
その人たちよりいい高校に行って
その人たちが行かなかった大学に行って
その人たちが歩まないような人生を歩んで
幸せになってやるんだから。
見てろよ。
いや、見なくていいや。
強く生きていけるのも、10年かけて少しずつ乗り換えていけてるから。
強く生きよう。
これが、最大の復讐。
10年経って思う。
生きててよかった。
8月31日の夜。
10年間貯めこんだ、悲しい過去に別れを告げよう。