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しばらくのさようなら

日本から、おはようございます。

私、日曜日にカンボジアからの旅を無事に終え、自宅のある山口県まで帰ってきました。

涙涙のお別れ。

最後のわがまま。

今日はカンボジアを出てから日本に着くまでにあったことを語ります。

最後の村

土曜日、朝起きてからなんだか体調が悪い。

すっきりとしない気分と、吐き気、めまい。

これは今日帰れないな、と勝手に思い込み

8:30くらいまで寝ました。

ですが、母と電話をする約束の時間になり

ケータイを開きます。

母は、住み込みのみんなに最後に「あやののことありがとう」と言いたかったみたいです。

そして「いつか日本に来たら、うちに住んでいいよ」

って言いたかったみたい。

祖父母の家が空いたら、そこで住み込み、そこから仕事に行く、というプランを母が考えたみたいです。

幸い、地元は子供たちがやりたい!と話した果物を作る仕事や、農業が盛んですし、外国人が働いている縫製工場が徒歩数秒のところにあります。

それが実現したらいいのになぁ、と母と2人で笑いあい、電話を切りました。

帰るんだなぁ、、、と。

そして、最後にインターン生に送る写真を印刷しよう!と一階に降りるが、自転車がない………

どうしよう、と悩んでも子供たちは帰ってこないので歩いていくことに。

市場までは意外と距離があって、片道30分くらい。

ですが、9ヶ月もいて、1度も歩いていったことがなかったので、最初で最後のタウダウプサーでした。

これには住み込みもスタッフもびっくり。

帰りは、スタッフのバイクの後ろに乗って帰りました。

最後のわがまま、みんなとプノンペンへ

私、最後の最後にやりたいことがありました。

それは

【みんなでプノンペンにいくこと】

最後、村をひとりで出て、プノンペンに行く。

それでもよかったのですが、最後はみんなにプノンペンを見てもらいたい。

なんだかそんな思いがありました。

お金は全部自腹。

かわいい子供たちやこの無謀な案にのっかって協力してくれたインターン生のためですので、悔いはありません。

学校から帰り、そそくさと準備をする住み込みスタッフ。

こちらも、よそ行きの服があるようで、素敵ながらのシャツを着ていました。

そして、村やスクールと最後のお別れの時間が。

4月から、私の生活をずっと見守ってくれていたおじいちゃん、おばあちゃん。

人見知りでなかなか話しかけられなかったけど、最後の方はご家族の方々との距離も縮まり、名前も覚えてくださっていました。

そして、やんちゃ坊主、ウィサーとウィサーのお母さん、スレイタイ。

ウィサーのお母さんとは、最後の方はよくお話をしました。

最後に「あやがまた来る時にはスレイタイは歩けるようになっているよ」

と言われた時には、そっかぁ……って。

いろんな成長をここでみたかったけれども、限界もあります。

お母さんとも涙涙のお別れをしてから、みんなでトゥクトゥクへ。

住み込みから「あやはここだよ」と真ん中の特等席へご招待。

左にソパ、右にソリ

前にソックン、マカラー、ダエン、ポン。

残念ながらティーリーは年齢的に小さすぎるため、ご両親の許可がおりず、そのまま家に帰りました。

またいつか、みんなが大きくなった時に行けたらいいな。


プノンペンに行くまでの道中。

長距離の車の運転に慣れていない住み込みの子たちは、数人途中で気持ち悪くなったらしく、着いた頃にはみんな疲れていました。

同じカンボジアだけども、都市部はやっぱり違う。

車の数も、バイクの数も、人の数も。

人生最初のプノンペンがちょっとハードだったかな?と心配なりました。


空港にて

空港に着くと、代表のマサさんやプノンペンでお世話になった方が待っていてくださっていました。

マサさんと少しミーティングをし、みんなと写真を撮りました。

すると、子供達からメッセージカードのプレゼントが。

住み込みスタッフの写真や、子供たちからのメッセージが書いてあります。

真ん中には、QRコードが。

これは、金曜日に見せてもらった動画に飛ぶそうです。

これは全く知らなかったので、もらった瞬間に、本当に嬉しくて泣いてしまいました。

よく泣く。

そして、私からもプレゼント。

住み込みの子達ひとりひとりの似顔絵を描いたものを貼り、メッセージをクメール語と日本語で書きました。

もちろん彼らの写真も。


そうこうしているうちに、時間はどんどん過ぎていきます。

チェックインに行かないと、と急いで行きました。

チェックインを終えると、もう時間がありませんでした。

そして、最後のお別れの時間に。

さよなら、というと泣いてしまいそうで

みんなの顔を見ると、泣いてしまいそうで

最後は、笑って終わりたい。

「またね!!」

それが、最後の言葉。

そう。カンボジアがある限り、CBBがある限り、みんなが勉強を続けてる限り、また会えます。

いろんな人に言ってきた

『8月に会おうね』

それをただ、信じるのみです。

とは言いながらも、空港に入って寂しくなって、ひとりで金曜日に見た動画をさっそく見て号泣していたのは、みんなには秘密です。

離陸の時も、9ヶ月住んだカンボジアから身体が離れてしまうことが悲しくなり、涙。

ふと聞いたクメールソングで、こどもたちと合唱したことを思い出して、涙。

このしばらくのお別れが、やっぱりつらい。

この間に何が起きるのか、という不安もあります。

誰も辞めなければいいな、とも思いますし

「あやこわい」と言ってた人達が、わたしが帰った事で、どう変わるかも分かりません

もしかしたら、圧力がいなくなったため、好き放題することがあるかも、、と心配になったり。

日本に帰った今でも、たまに「そういや◯◯は今日は学校ちゃんと行ったんだろうか」とか

「◯◯はバイクを私用で使い過ぎてるよなぁ」とか思ったり。

いろんなことを思い悩みましたが、それも一旦休憩。

しばらくは心と身体を休めます。

さて、長くなりました。

次のnoteでは、私がこの9ヶ月間

CBBで何を学んだのか、どんな経験をしたのか

お話ししたいと思います。

今後もたまにnote続けて行きますので、よろしくお願いします。

山下

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