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9ヶ月のカンボジア生活を乗り越えるためには〜メンタル編〜

スオスダイ!

日本もだんだんと暑くなってきました。

カンボジアは、ホリデー。

一年前、インターン生ふたりでシェムリアップに行ったのを思い出します。

わたしのお気に入り写真のひとつ。

アンコールトムと、さやちゃん。

朝の早い時間だったから、観光客もおらず、この静けさ。

なんだかとても神聖な感じがして好きです。

またいつか朝日リベンジしたいですね。


さて。今日からはシリーズ化。


今日は、メンタル面にフォーカスしてお届けします。

ではまず、事前知識として。

私が行っていたインターンについて

私は、2019年4月から2020年1月まで

一般社団法人 Cycle beyond the Borders

というNGOでインターンをしていました。(以下CBB)

活動拠点はカンボジア コンポンチャム州。

首都プノンペンから約70キロほど離れたところにある小さな村で生活をしていました。

そこは、NGOスタッフの実家がある村で、生活していた場所はそのスタッフの実家でした。

実家といっても、そのスタッフはプノンペン在住のためそこにはいません。

大きな土地の中に、スタッフの祖父母の家、両親の家、兄家族の家があります。

言わば、ホームステイみたいなものです。

そして、その中で1番大きな二階建ての建物が
我々が生活していた家です。

1階部分が教室、2階部分はインターン生の部屋とシャワーとトイレがあります。

そこで、日本人インターン生やカンボジア人スタッフと住んでいました。

そこでの活動内容は、主に2つ。

1.村の子供たちに日本語と英語を教えること。

2.近隣の村に住む学校中退者の復学支援と彼らへの教育支援。

平日の週5日、学校が終わった生徒たちが日本語や英語を学びに来ます。

彼らの習熟度に合わせ、ひらがなやカタカナ、簡単な単語など楽しく学べるよう授業をしました。

高校生には、テキストを使ったよりレベルの高い授業も行いました。


学校中退者への支援は、当時10歳から17歳までの7人の子供へ行っていました。

うち3人が、学校中退者で、CBBにきて復学を果たしています。

彼らが朝起きて学校に行き、帰ってきてご飯を食べ、一緒にお皿を洗い、日本語を勉強し、一緒にご飯を作り、一緒に食べて、勉強して、寝る。

一日を共に過ごしました。

その中での問題事や悩み事など、こと細かく相談にのるのも、インターン生の仕事のひとつ。

言葉の壁もありましたが、親元を離れて一生懸命勉強している姿は、誰よりもすごい。

我々は村でそんなことをしていました。

村での生活を9ヶ月もつづけました。

目覚まし時計は、にわとり。

朝ごはんは、市場。

買い物も、市場。

シャワーは、水。

敷布団なんかなく、ゴザ。

蚊除けの、蚊帳。

その話をすると

大抵の人から

あやさんはどんなメンタル持ってるんですか

って言われます。

どんなメンタルと言われましても

ということで

前置きが長くなりましたが、今日は

わたしがカンボジア9ヶ月生活を乗り越えたメンタルについて語ります。

代表はプノンペン、自分のメンタルが崩れていくのを感じた在住1週間目

カンボジアにきて最初の頃は日本人1人。

どうみたって、普通じゃない状況。

言葉もわからず、初めましてのお宅にいきなりホームステイ状態。

全く働かなくて、遊んでばかりの手付かずな自由人カンボジア人スタッフ。

なんだ、このNGOは。

というのが、本音。

ここまで、放任主義があるか、と思いながら暮らしてました。

数日たって、私は村に残され、代表はプノンペンに帰る。

言ってしまえば、着いてすぐにどん底状態まで落ちていきます。

インターンとはいえ、異国の男性とひとつ屋根の下、天井繋がった隣の部屋に住み、シャワー、トイレの音もダダ漏れ生活。

ご飯もいつの間にか、彼が作り、英語もクメール語もどちらもできない私には顔を合わせて2人きりで食事をする時間が苦痛で仕方がなかった。

バイクに乗って授業を放棄し、勝手に出かける日も、女子トイレを使われた日も、慣れていない私にとっては苦痛だった。

それを、Twitterで吐露していたものを見た代表が、追い打ちをかけるようにSlackに

カンボジアではトイレもシャワーも共有が当たり前です。トイレとかシャワーに男女という区別はありません。

とか

カンボジア人はシェアの文化があって、人のものでも勝手に使うのは彼らにとっては当たり前です。使われたくないものはきちんと管理しましょう。

というメッセージが更新されていきます。

代表もカンボジア在住歴が長いため、言われていることは理解できますが

この状況下、なかなかわたしも意固地になってました。

ここで、わたしのメンタルは最低ラインまでガタ落ち。

そこで取った行動は

①逃げてもいい。ここはカンボジア。一旦自由になろう。

ということ。

この問題に向き合えば向き合うほど、自分の常識に囚われてしまう。

こいつらの常識は非常識だ!

なんで、この人たちこんな行動しかしないんだろう。

なんで、なんで。

と、いつの間にか自分が正当化されてしまう。

そして、カンボジア人スタッフを意見の合わない敵と見なしてしまう。

日本人1人とカンボジア人たくさんの生活の中で、不満を吐き出す相手がいないことも自分の中での限界ポイントだったので。

イライラしてしまう時には

とにかく逃げました。

スタッフと顔を合わさないよう

わざと、自転車に乗り遠い市場まで行ってみたり

生徒の家にホームステイをしたり

午前中は近くの池に行って、ポカリを飲みながら、ひとりでボーーーっと過ごしたり。

幸いにも生徒がチラホラと来ていたので、自分の授業に集中したり。

そうする間に、クメール正月も来たので

大脱走して、プノンペンまで行きました。

この大脱走が、後々に繋がる大きな転機となります。

②第三者に話そう。外からの意見が時に自分を楽にする。

そこで出会った、Twitterのフォロワーさんでプノンペン在住の日本人女性と偶然出会い、仲良くなりました。

その出会いと、そこで何時間もお話したことが、わたしの中でのメンタルヘルスになりました。

人に話すこと、第三者に話を聞いてもらうこと

その大切さに気づいたことが、その後のカンボジア生活を支える鍵となりました。

その方とは、後々も関係性が続き、ほぼ1ヶ月に1回のペースでプノンペンで会い、お話を聞いてもらっていました。

その方以外にも、プノンペンでカフェを経営している方ともTwitter経由で知り合い、お店に行くことでお話をよくするようになりました。

それも、わたしの趣味が繋いでくれたものです。

同年代の方ばかりではなく

大人の方のお話を聞くことで、いろんな意見がもらえました。

その方達が普段カンボジア人と働いているからこそ、共感してくれる部分もありますし、彼ら特有の文化や性格も私より知っています。

そんな話を聞きながら、こうやったらいいのか、こういう考え方があるのか

と受け入れる態勢ができていきます。

この出会いは、自分のカンボジア生活の中では最幸の出会いでした。

③どうしようもないメンタルも、時には自分でどうにかするしかない

それでも、どうしようも無い時だってあります。

話してもわかってもらえない時。

不満があっても、実際に口に出せない時。

聞こえるところに人がいる時。

誰にも言えない時。

自分の不甲斐なさに堕ちる時。

そんな時は、やっぱり自分で治すしかありません。

私はメンタルは弱い方です。

恐怖政治並の父親の元育ち、些細なことでも叱られ過ぎて怒鳴り声は愚か、ちょっとした注意に怯える性格です。

その上、学生時代の男子からの言葉によるイジメから自分に向けられたマイナスな発言に、すぐに涙を流すことも。

カンボジア在住中、1度だけ

中学の時のイジメの主犯が大声で歌っていたため、嫌な記憶と結びついてしまったあやまんJAPANの歌が隣の部屋のスピーカーから流れたことがあります。

フラッシュバックを起こし、当時の記憶と当事者の顔と声が蘇って立つことも出来ず、過呼吸になり息をすることも出来なくなり、ベランダの隅で這いながらガタガタ震えて泣いたことがありました。

やべぇ。自分でもやべぇと思った。

心配ご無用、そこにいた全員と、あやまんJAPANさん。誰も悪くはありません。

そんだけ、メンタルは弱い。

んが、やっぱりそんなことも自分で解決していかねばならんのです。

例えば、好きな音楽を聴いたり

プノンペンで思いっきり楽しんだり

美味しいものを食べたり、映画を観たり。

気の向くままに自転車に乗り、片道10キロ先まで走ったり。

友達に連絡をしたり。

自分の機嫌は、自分でとる。

不機嫌は、立派な環境破壊。

そう、心の中でいいながら

自分と戦いました。

④自分は自分の目的と考えがあるし、彼らには彼らの目的と考えがある。みんなちがってみんないい。

それでも頑張れない時はこれです。

たどり着いた答えは。

人は人は、うちはうち。

ここで強く生きるために大切にしたことは、自分が自分だというアイデンティティを持つこと。

そして、自分はこうなんだ、こういう考え方があるんだ、と自分を自分で認めること。

それと同時に、他の人のことも認めること。

みんな同じ目的で来てるわけじゃない。

足並みが揃わない時もある。

それが当たり前。

じゃあ、わたしはここでどう生きるのか。

わたしはどうありたいのか。

その結果、身についたものがあります。

生徒や住み込みの子達と、プライベートの時間までも共にした結果、生まれた信頼関係。


日常会話レベルまで行き、文字の読み書きまで少しできるようになってきたクメール語。

これからも彼らを支えていきたいという夢。

なんだろう。

その原動力や、9ヶ月間もの期間、がんばれた根底にあるものは

やっぱりたったひとつの

⑤好きだから。

という気持ちなのかもしれません。

好きじゃなかったら、来なかった。

アンコールワットトゥクトゥクツアーで50ドルぼったくられた時点で嫌いになり、二度と来なかった。

だけど、戻ってきたし、これからも、戻るつもりです。

この気持ちの原動力は、やっぱり好き、という感情から。

嘘はないですわ。

結局、この言葉で落ち着いてしまうから

それでいいんでしょう。

こうして、9ヶ月間かんばってました。

さて、明日もしごとです。

おやすみなさいまし。

次回は、何編書こうかな。

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