ひとがため息をつくことを許したい。

中学生の私は、非常に陰鬱な子供だったと思う。合唱コンクールの時、指揮者から名指しで負のオーラを発してると言われたこともあるし、担任に三者面談で目つきが鋭いと言われて母に心配されたこともある。

件の担任の先生に言われた言葉で、「ため息をつくと幸せが逃げるよ」 がある。中学生の頃は、シンプルに余計なお世話だ、思った。今思い出してもこの言葉にはものすごく強い違和感を感じるし、「ため息をつくと幸せが逃げるよ」 と言ってくる人とは関わりたくないなという思いを持っている。

私が嫌だなと思う理由はまさに、ため息をつく原因に思いを馳せず、幸せが逃げるというふわっとしたデメリットを一方的に伝えられることにウッと感じるからだ。多くの人はため息をつきたいことがあったから、ため息をついたのだ。(もちろん、つくのが習慣になっている人もいるだろう。) だから、ため息をつきたくなったできごとがその人にため息をつかせているのであって、ため息をつきたくてついている人なんていないのだ。だから、ため息をつくと幸せが逃げるよ、をためいきをついたひと対して言うのはなんか違うよね、と思う。

また、私は幸せという言葉をふわっと使う人が嫌いだ。「幸せが逃げる」 というセリフの中での幸せって何を指してるのだろう。私は、"人が幸せになること"は、自分で幸せの形を選んで自分が幸せでいられる状況を選び取ることで生まれると思う。だから、外部から幸せがやって来たり、去って行ったり、という構図は、私にとって本質的な幸せを意味していないのだ。だから幸せが逃げると言われても、はぁ…という感じなのだ。

実際の話、ため息には良い効果もあるのだ。息を長く吐くと、自律神経が整うという報告がある。体は無意識に深呼吸を求めているんだろうな、と思う。ため息はストレス回避行動なのだ。だから私は、人に対していいアドバイスをしてあげていると思いながら 「ため息つくと幸せが逃げるよ」 を言う人が心底苦手だし、ストレス回避ぐらいさせてあげなよ、と思う。

他人の人生の全部を知ることなんてできないんだから、どんなことがあってため息をつきたいのか想像し、相手の人生に対して思いを馳せることができるひとでいたいと私は思う。

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