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拝み屋見聞録 其の三【失せ人探し~富士の樹海~】

拝み屋見聞録 其の三 【失せ人探し~富士の樹海~】
拝み屋稼業の家に生まれ、跡継いで早、20年。様々な業種の方・年齢層の方達の相談を受けてきた。人の悩み・疑問と云うモノは諺の通りに十人十色・千差万別である。
最近、相談者からお聞きした話・悩み・依頼内容を話していると周りが「面白い」「そんな事があるのか」と感心される。この際「面白い」「そんな事があるのか」と云われる位なら文章にしてみようと。

文章を記す前提として、営利を目的としていません。無論、個人を特定される文章なので(仮称)にしています。それ以外は直接本人より聞いた体験談または私の体験である。只々、書いたモノを誰かが読んで面白いと思っていただければ、それが私の何よりの感謝の極みである

拝み屋見聞録 其の三 【失せ人探しにて~富士の樹海~】
この仕事は霊現象の相談を受けるばかりではなく、現実的な問題の相談を
お聞きする。失せ人=失踪人を探すことを行う。探す方角、県内?県外?
単独で居る?複数人で居る?極論、存命か?等である。

娘さん(Aさん)が2週間前に手紙を残して居なくなったので、拝んで探して欲しいとの相談であった。他の拝み屋さんにも行ったのだけど未だ見つか
らない。失せ人探しの相談者の方には必ずお聞きする事ある。それは
「何故、家を出ていかれたのか?心辺りはありますか?」と聞くのだが、
9割の方は「わかりません」とお答えになる。分かるくらいなら失踪は
しないだろう。が別居や家出上手な人は家族に悟られないように出ていく。このAさんの家出をする理由は、この家族には<有り>の方であった。
今、思い出してもこの話は一人の悲しい女性の話になる。Aさんの母親は
嫁いだ頃から病で床に伏せがちであったのだが、旦那さんの両親と同居で
一男一女に恵まれた。Aさんは中学生の頃から不登校気味になり高校は
中退。それからバイトはするが長続きせず家で過ごす毎日。母親としては
何とか普通の生活をしてもらいたいと思い、習い事など、させてみたが
続かない。ある日、Aさんが東京に友達がいるから遊びに行くと言われ、
送り出したが数日後、Aさんから母親宛に手紙が届いた。内容は自殺を
するからもう家には帰らない。何故、このような経緯に至ったのか?の記述があった。Aさんが中学生の頃から実の祖父から今で言う所のセクハラを
受けていたが、その頃、母親は入退院を繰り返しており、母親に相談が出来なかった。そんな生活を送っていると全ての事に対して億劫になり不登校にもなる。そうなれば自分にも自身が持てなくなる。何度か整形手術も受けたが、やはり心の問題は治らない。親子と言うのはとても近い存在なのに何故か遠い関係性を築いてしまう事例を沢山見てきた。この手紙を受け取った
母親は家族で話し合いをし、探す事になるのだが、Aさんの父親は「娘が
決めたことなのだから放っておけばよい!」と言い放ったそうだ。母親と
して娘の様子に気づいてやれなかった事。病で伏せがちであったとは云え、何もできなかった事。舅に対しての怒り。様々な思いを聞いた後に、御祈祷をして家からの方角・見つかる時期・生存の有無を助言したのであった。
それから数か月後、警察から連絡がありAさんが富士の樹海にて発見され、ご遺体を引き取り、納骨をされたとの報告をうけた。たまたま、地元の
キノコ採りの方が発見され警察に連絡があり所持品の中に携帯電話があった事が早く身元確認出来た要因であった。少し気になる事が、あったので母親に聞いてみた。「娘さんの納骨は何処にされたのですか?」「私は家族が
許せないので、家の墓に納骨するのは反対なので菩提寺{先祖代々のお墓
があるお寺のこと}の合祀墓<大きなお墓の下で複数の遺骨をまとめて埋葬するお墓>にお願いしました」との答えが返ってきた。私は霊魂の存在は
信じているし、毎日、奴らから嫌がらせや相談者の方に憑いてやって来る
アイツらにダメージを受けている。若しこういう生活・体質で無かったと
しても、Aさんの御遺骨を我が家の墓に家族と同じように埋葬された場合、
Aさんの霊に対しては酷すぎる対処だと感じる。有難い事に私の助言通りに方角・時期で発見されたのは嬉しかったのではあったが、こうなった経緯が経緯、故に今でも忘れられない件であった。
以前、この世界の大先輩に「失せ人探しをする際に若し、本人が<やっぱりあの家に帰りたい!家族に会いたい!>と思っていたら服でもモノでも見つかるが<絶対あの家には帰らない!家族なんか知るか!>と思っているなら見つからないし何も帰って来ない」と聞かされたのを憶えている。という事は、あの娘さんは、やっぱり家に帰りたかったんだろうなぁ。と

 

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