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拝み屋見聞録 其の五【自死~亡くなった娘が枕元に~】

拝み屋見聞録 其の五 【自死~亡くなった娘が枕元に~】

拝み屋稼業の家に生まれ、跡継いで早、20年。様々な業種の方・年齢層の方達の相談を受けてきた。人の悩み・疑問と云うモノは諺の通りに十人十色・千差万別である。
最近、相談者からお聞きした話・悩み・依頼内容を話していると周りが「面白い」「そんな事があるのか」と感心される。この際「面白い」「そんな事があるのか」と云われる位なら文章にしてみようと。
文章を記す前提として、営利を目的としていません。無論、個人を特定される文章なので(仮称)にしています。それ以外は直接本人より聞いた体験談または私の体験である。只々、書いたモノを誰かが読んで面白いと思っていただければ、それが私の何よりの感謝の極みである

拝み屋見聞録 其の五 【自死~亡くなった娘が枕元に~】
この仕事は霊現象の相談を受けるのがメインなのだが今までの投稿の様に様々な問題の相談を、お聞きする。だが今回は霊の相談依頼を
この業界で生きて行く事に悩んでいた時に受けた依頼でこの件で”これで食って行こうと”腹を括った依頼でもあった。あの頃はまだ霊も殆ど見えなく霊の事も解らずモヤモヤしていた頃だった。なんだったら霊が見たい霊を説き伏せたいとまで思ってた。いざコレが毎日となると、ねぇ~ソレなりに辛いものがある。

ある家族が「亡くなった娘が毎晩、枕元に立って困るので拝んで欲しい」との電話での依頼だった。話をお聞きすると故、娘さんは母親と父親が離婚を
した際に兄妹は母親に付いて行ったが故、娘さんは一人、父親に付いて
残った。母親と娘は定期的な連絡を取ったり、年1.2回は会っていた。
ある時、母親が故、娘に連絡をするが、なかなか繋がらない。そんな時に
兄妹から故、娘が行方不明になったので捜索していると電話が有り、一緒に捜索したが道路のPAで車中で亡くなっている所を発見された。葬儀を執り
行い無事済ませているのにも関わらず、母親の枕元に立つらしい。話を
伺っている最中、母親が先立った娘に何もしてやれなかった・もっと早くに気付いてやれなかったのか?と涙を流す。正直何もかける言葉はない、
というか何て声をかけていいか分からなかった「葬儀を執り行ってますし、お寺さんの事をああだこうだと言いたくありません。私に出来るのは、
亡くなった現場で拝む・お墓参りをする事しか出来ません、それで良ければ?」と提案して後日、現場で拝んだあと墓前参りを行った。その頃は、
今ほど力が無く拝んだ感じが余り感じられなかった。ただ、墓前参りの時にロウソクが揺れるに揺れた。だから立ち会ってくれた家族がびっくりして
いた。それから娘さんの霊は枕元に現れなくなった。そのあと、付き添ってくれた家族と話をすると父親と故、娘は同居していたが言葉足らずの父親で色々小言を言われていたらしい。そんな父親だが離婚の際に父方に付いた
のだからとても優しい娘だった。と。警察から亡くなる前の携帯電話の発信履歴を聞くと最後から二番目は母親に発信している(母親はその電話に出れなかった。それが一番後悔していると)最後の最後に電話したのは父親で
あった(もちろん電話には父親は出ていない)親子・家族というものは分からない。母親には電話する内容はフガフガ分かるが父親に電話したかった
気持ちが複雑だ。「お前のせいで!」なのか?「先立つ不孝を許せ」なのか?
「あの世には何も持っていけない」という言葉はあるがこの娘さんは、死にたかったんだろうけど、死んでみたものの、やっぱり後悔したのか?あの世に持っていけないから。置いて行ったんだろうな無念?辛さ?いわゆる霊を。
霊とは死んだ人では無く思い・考えた事、思念=思い考えること。常に心に深く思っていること。で形など存在しないのに何故か霊として残るのだと
理解している。
「願えば夢は叶う」と云うのだから思いは夢を叶える程の力を持っている訳で。悲しい思いも霊となる位の力があるんじゃないかなぁ~?と考える毎日です。

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