肩身が狭い。
肩身が狭い。
なぜかというと、サッカーワールドカップ、日本がスペインを下したことに感激しないから(笑)
まったく興味がないのである。
しかし、SNSを中心に、世の中、大騒ぎ。
あ。とくにぼくは皮肉言ってるわけではなく、ほんとうに、興味が持てないのだ。
うちの家族は朝4時起きで声ひそめて応援してた。ぼくは寝てた。5時ごろだったかな、起きて、テレビのとこ行って「どうなん?」と聞いたら「1点取られた。ボールぜんぜん持てない」とのことだったので、あー、このまま負けるのかと寝た。起きたら、勝ってた。
ふーん、とは思うが、それ以上の感情がわかない。繰り返しますが、これは世相を批判するとか自分は特別だとか、そういう意図はゼロです。ほ・んとうに、興味ないんです。ワールドカップに限らず、オリンピックもそうだね。何の興味もわかない。
スポーツが嫌いなわけではない。テニスやってたし、水泳は好きで、コロナになる前は定期的に泳ぎに行ってた。
たぶん、「自分にウソつかない」ポリシーが徹底してるんだろうなあ。
自分にウソつかない、というのは、クリエイティブであり続けるため。
脳には原始脳(大脳辺縁系)と新脳(大脳新皮質)がある。原始脳というのは、情動や意思決定を司る。でも言語はもたない。新脳はいわゆる知性を担当する。世間常識とか、「空気を読む」のも新脳の仕事。
社会的動物として、人は生きていくのに、「世間と合わせる」必要がある。職場の常識とかね。それらすべてにイエスと言えるのであればいいんだけど、中にはそうじゃないものもある。でも、上司や会社の常識に合わせるために、賢い新脳は、「イエス」と言う。ところが、「ほんとうの自分」であるところの原始脳は「ノーなのに・・・」と感じてる。言語化できないから、「なんとなくモヤッとする」いやーな気分だ。
これが続くと、ストレスになる。身体に影響が出る。
心因性の病気は、この、原始脳と新脳の乖離が起こす。
ほんとうは左に行きたいのに、何かに合わせるため、右に行く。要するに「自分にウソをつく」わけだ。すると、もやもやする。本当の自分が見えなくなる。
クリエイションというのは、「人との違い」differenceによって生まれるのだが、「人と合わせる」ことに注力する癖がついていると、Me, too思考になる。Me,tooこそがクリエイションの敵だ。
この写真をSNSのカバー写真にしたりしてる人の投稿をよく見かける。きっとすごいことなんだろうね。でもぼくにはわからない(笑)
今日の記事の音声版です。
シングルマザー就労支援をミッションとするNPO法人JW-UP専用グループだけのための音声メディア。今朝更新したメンバー限定版なんだけど、特別に。