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不安しかない夜に読んでいた
ぼくを作った文学・エンタメを書棚から出してみた。
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気づいた。ニューヨーク時代愛読した本が目立つ。
2000年4月、旭化成を辞め、翌日ニューヨーク・マンハッタンへ。
不安しかないよ。
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村上春樹さんがイタリア、ギリシャに住んでいた時期のエッセイ。ちょうど『ノルウェイの森』『ダンス・ダンス・ダンス』の頃だ。
日本から離れ、文化も習慣も違う場所で生活する。手紙が届かないだの停電するだの、トラブルに巻き込まれる。
マンハッタンで暮らし始めた自分と重ねて読んだ。
てっきりその頃日本出張の折に買ったものとばかり思い込んでいたんだけど、いまメモを見ると(ぼくは買った日付と書店をメモするクセがある)1990年7月3日旭屋大阪本店になってる。旭化成で広島に赴任していた頃だ。買ってからずっと愛読しつづけ、ニューヨークへも持っていったんだとわかる。
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えーちゃんこと矢沢永吉さんの自伝第二弾。
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35億の借金を抱え、日本を飛び出し、ロサンゼルスへ移住した頃に出た本。
勝ちしかない、と思っていたえーちゃんが、「いつ消えてもおかしくないくらい、事件事件事件、事故、負け負け、口惜しいこと悲しいことの連続だったといえる」と言ってる。
自分と重ねた。
同じアメリカ大陸の東と西に住んでる、というのも嬉しかった。
この本を買ったシーンは覚えてる。日本へ出張し、ベースは神戸三宮のホテルにしてた。三宮ジュンク堂新刊で平積みされてたのを買った。発売日の翌日買ってるのがわかる。
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永井荷風先生がマンハッタンに住んでおられたこと、知らなかった。
25歳から29歳まで、まる4年近くをマンハッタンで過ごされたようだ。
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いまぼくがいるマンハッタンに、何十年か前、永井荷風先生もおられたんだ、というだけで嬉しかった。
文章もいいしね。あちこち赤線引いてる。
公園なんぞうろうろして巡査に捕まって日本人の面(つら)へ土(どろ)を塗るな。
人は時として、「完成」よりも「未成」の風致に却って強く魅せられる事がある。
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サマセット・モーム『月と六ペンス』。買ったのは1994年8月21日、ワイキキのウォールデン・ブックスとある。
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お気に入りなので、ニューヨークへ持っていったんだね。
自らを「大衆作家」と認めていたくらいのモームだけあって、文章は非常にわかりやすい。大ベストセラーになったのもわかる。
それより、やはり中身だ。
職と家庭の「安定」を捨て、芸術の世界へ飛び込む。タヒチへ飛ぶ主人公に、ぼくは自分を重ねていた。
芸術論が中に出てくるが、よくわからない。わからないけれど、とにかく自分のやっている「冒険」に正当な理由付けが欲しかったんだろう。
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堀口大學先生は、ルパンシリーズの翻訳でも親しんでいた。ニューヨークから神奈川県葉山へ引っ越しした時、自宅近くに先生のお家があった。その頃既に先生は他界されていた。
記念館かどこだったか忘れたのだが、『月下の一群』初版本を見た。それはそれは豪華で、美しかった。
大學先生の日本語、単語の選択に惚れている。
・・・こうしてみると、ぼくの人生の中で、ニューヨーク・マンハッタン時代は「ロング・バケーション」だった。長い休暇だった。だから本も入ってきた。
その後も、文学エンタメは親しんでいるのだけど、やはりどこか、「稼ぐ」「仕事する」ことが優先されてしまっているのかもしれない。だから自分の中に残ってない。
あるいは、出会えてないだけなのかもしれないけれど。