自然(ナチュラル)
「心が激しく動く瞬間」を大切にしている。夕食いただいていて、サラダの葉っぱ大きかった。手のひらの半分くらい。あまりに見事なので、しげしげ見入っていたら、発見した。葉脈のかたち、木が枝を広げているのと酷似しているんだ。なーんだそんなことか、とあなたは言うかもしれない。とっくにそんなん、知ってるよ・・・でもぼくは初めて気づいた。これはすごい発見だ。
葉っぱの葉脈と木の枝ぶりが相似形なのは、何も「神様が造った」とかいうわけではなく、ニュートラルな物理法則に従っているわけだ。コンストラクタル法則といい、すべては流れを良くするデザインになる。
生命は流れであり、動きであり、デザイン。葉脈内を流れる水や栄養素が流れやすくなるためのデザインの結果、こうなっている。木の枝ぶりも、流れやすくなるためのデザイン。人間の肺のデザインが木の枝ぶりに似ているのも、同じ理由だろう。
自然(ナチュラル)とは、「流れやすくなるための動き、デザイン」。万物がこれに従う。ということは、ぼくたちの行動も、商売も、同じだ。繁盛している商いはお金だけではなく、人の喜び、感動、嬉しさ・・・といった陽の感情がうまく流れている。陰陽だから、陰もあるはずで、それは何かというと、流れがきれいになるような、オモテには出ない努力だったりする。毎朝早く店に出て、店内はもちろん、表玄関周囲もきれいに掃除する、とか、毎晩睡眠時間を削ってメニュー開発研究をするとか、職場の人間関係に悩むとか。そういうものすべてがあってこその自然であり、あって当たり前なんだ。
すると、「流れが止まっている」商いはうまくいかない。たとえば、「店開けておくより6万もらったほうがいいから」と閉じちゃってる店。その6万は税金なわけで、そういう心の姿勢の経営者はまず納税できるだけ稼いでないから「貰いっぱなし」だ。入って、出ない、というのは流れになってない。だからやがてその商いそのものの生命が終わる。
何か物事を判断するとき、難しい理論は要らない。
「それって、自然かな? 流れてる? 動く? デザイン、美しい?」
これが判断基準。
ところで、昔、「腕コン」なんていうのがあったんだね。時計にコンピューターがくっついてるという。どう見ても自然じゃないから広がらなかったのも納得だよね(笑)
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